第十一話 【クエスト6 : 友達を増やそう ③】
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前回の出会いから、ユーリくんと柚希くんのお話が始まります。
日曜日の図書館で、二人の距離が少しずつ近づいていって――。
どうぞお楽しみください。
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路地裏での出会いから数分後。
僕と柚希は並んで駅への道を歩いていた。
柚希はキャップを深く被ったまま俯きがちに歩いている。時折ちらっとこちらを見ては、すぐに目を逸らす。
「……あの、改めてごめんなさい。つけてたの」
「気にしてないよ」
「で、でも本当によく気づいたね。僕、結構距離取ってたつもりなんだけど……」
「まあ、勘がいい方なので」
二十四年の戦場経験とは言えないのでそう誤魔化した。
「……柚希くん、って呼んでいい?」
「あ、う、うん」
「柚希くん、今は学校には来てないんだよね」
柚希の足がほんの一瞬止まってまたすぐに歩き出した。
「……うん。ちょっと色々あって」
それ以上は言わなかった。僕も聞かなかった。
……ただ思い出していた。
凪紗さんが僕をあちこち案内してくれた場所。あの坂の上の小さな公園で夕日に照らされたバスケットゴールを見つめていた凪紗さんの横顔。そして今日の図書館。
どちらも凪紗さんにとって大切な場所で、そこには必ず昔の友達の記憶が紐づいていた。
あの公園は颯太。図書館は柚希。
凪紗さんは僕を連れて回りながら、きっと昔の仲間たちのことを思い出していたんだろう。
「柚希くん」
「う、うん」
「凪紗さん、今日の図書館で柚希くんの話してくれたよ。本が大好きで連れてくと何時間も動かなくなるって」
「……凪紗が?」
「うん。すごく楽しそうに話してた。でもちょっとだけ寂しそうだった」
柚希は歩きながらキャップのつばを握りしめた。
「……僕に何かできることがあったら言ってね。無理にとは言わないけど」
しばらく二人の間に足音だけが響いた。
「……ありがとう、結城くん」
柚希は小さく呟いた。
「でも今はまだちょっと……心の準備が」
「うん。全然いいよ」
「あと、その……凪紗があんな風に笑ってるの久しぶりに見た。結城くん、凪紗のこと……よろしくね」
駅の改札が見えてきた。柚希は小さく頭を下げてそのまま反対側の出口へ歩いていった。
キャップを被った小さな後ろ姿が人混みに消えていく。
僕はそれを見送ってから改札を通った。
電車を待つホームに立って夕暮れの空を見上げる。
……ずっと柚希のことが頭から離れなかった。
あの怯えた目。でもその奥にあった友達を心配する気持ち。
凪紗さんもあの公園で寂しそうな顔をしていた。颯太のことで悩んでいた。柚希は登校できずにいる。
まだ全部は分からない。
でも凪紗さんが僕に親切にしてくれた分、今度は僕が凪紗さんの大切な人たちを助ける番だ。
――できることからでいい。一歩ずつ。
*****
翌日、日曜日。
僕はもう一度あの図書館に来ていた。
吹き抜けの天井まで続く本棚。その隙間から見える海。昨日凪紗さんと来た時の穏やかな空気がまだ残っている気がした。
館内を歩いていると奥の方から小さな悲鳴が聞こえた。
「わっ――!」
駆けつけると高い本棚に掛けられた梯子の上から大量の本を抱えた人影が落ちかけていた。
――反射的に体が動いた。
梯子の下に滑り込んで落ちてきた体を受け止める。本が何冊かばらばらと床に散らばった。
「……っ、だ、大丈夫?」
腕の中にいたのは昨日の少年だった。
キャップは被っていないがあの長い黒い前髪と細い体は間違いない。
「……え」
柚希が目を丸くして僕を見上げていた。
「ゆ、結城くん!? なんでここに!?」
「昨日ここが気に入ってまた来たんだ。……それより大丈夫?」
「あ、う、うん……ありがとう。運動神経すごいね……」
僕は柚希を下ろして散らばった本を拾い始めた。
「これ全部柚希くんの? すごい量だね」
「あ、うん……つい取りすぎちゃって」
柚希は恥ずかしそうに俯いた。
本を一緒に運んで閲覧席まで持っていく。柚希は何度もお辞儀をしながら「ありがとう」を繰り返した。
「結城くん、今日は何しに来たの?」
「さっき言った通り、昨日来た時にここがすごく良い場所だなって思って。あと柚希くんともう少し話してみたかったから」
「……僕と?」
柚希が驚いた顔をした。
「でも僕今日はちょっとやることがあって……」
積み上げた本の山をちらりと見る。
「……あ、でもこれ読み終わったらなら大丈夫、かな」
「じゃあ僕も何か読みながら待ってるよ」
「え、いいの?」
「うん。僕も本読むの好きだから」
柚希の表情がふっと緩んだ。
「……じゃあ隣、座る?」
「うん」
窓際の閲覧席に二人で並んで座った。
柚希は自分の本の山に向き合い、僕は棚から一冊選んできた。
――「世界のデザート大全」。
表紙に載っている色とりどりのスイーツの写真が目に留まって思わず手に取ってしまった。
二人で本を開く。
僕がプリンの歴史についてナビさんの解説を聞きながら読み始めた横で柚希が自分の本を開いた瞬間、空気が変わった。
さっきまでのおどおどした雰囲気が嘘のようにまっすぐな目で文字を追い始める。ページをめくる指が正確で迷いがない。
――この集中力。
リーナが魔法の研究書に没頭していた時と同じだ。周囲の音も気配も全部遮断してただ目の前の知識だけに没入していく。
僕は小さく微笑んで自分の本に目を戻した。
*****
数時間が経っていた。
僕はとっくにプリンの歴史を読み終えてエクレアの起源に移りさらにモンブランの系譜まで辿り着いていた。この世界のデザートの奥深さは底知れない。
隣の柚希はまだ読んでいた。
姿勢一つ変えずページをめくり続けている。時折小さくメモを取る手つきも正確で無駄がない。
――本当にリーナそっくりだ。あの子も一度集中したら声をかけても聞こえなくなる。アレンが「飯だぞ」と三回叫んでやっと顔を上げるくらいだった。
ふと柚希が顔を上げた。
「……あ」
窓の外を見て慌てた顔をする。太陽がだいぶ傾いていた。
「ご、ごめん結城くん! 僕、本読み始めると止められなくて……こんなに待たせちゃって」
「全然。僕も楽しかったよ」
「……ほんとに?」
「うん。プリンの歴史がこんなに深いとは思わなかった」
「……プリンの歴史」
柚希が不思議そうな顔をした。まあいい。
「柚希くん、喉乾いてない? 何か飲みに行こう。僕が奢るよ」
「え、そんな悪いよ」
「本待ってる間に読むもの選んでくれたお礼。行こう」
柚希は少し迷ってからこくりと頷いた。
*****
図書館に併設されたカフェのテラス席に移動した。海が目の前に広がっていて午後の光が水面にきらきら反射している。
アイスティーを二つ頼んで向かい合って座る。
柚希はストローの包み紙をくるくると丸めながらしばらく海を見ていた。
「……結城くん」
「うん」
柚希は小さく笑った。どこか自嘲的な笑みだった。
「結城くんがずっと待っててくれたの、嬉しかった。昔……幼馴染の友達がいてさ、あの子たちもこうやって僕が本読み終わるまで待っててくれたんだ」
その声は穏やかだったがどこかに針が一本混じっているような響きがあった。
「僕たち、小さい頃はすごく仲が良かった。でもある時……すごく悲しいことがあって。それからみんなバラバラになっちゃった」
柚希はアイスティーのグラスを両手で包んだ。
「僕はその後ちょっと……殻に閉じこもっちゃって。でも凪紗とはたまに連絡してて。凪紗が颯太ともう一人の友達と同じ高校に行くって聞いたんだ」
「もう一人?」
「うん。りあ……小花りあっていう子。昔からの幼馴染で」
――小花りあ。また一人、名前が増えた。
「凪紗がね、まずこの二人からもう一度仲良くなってみるって言ってて。それ聞いたら僕も何かしたくなって。本当は成績的にはもっと上の学校に行けたんだけど同じ高校を受けたんだ」
「……そうだったんだ」
「でも」
柚希の声が少し小さくなった。
「入学してみたら颯太もりあも全然変わっちゃってた。りあは……僕らのことなんて眼中にない感じで。颯太はもっとひどくて」
言葉が途切れた。
「……僕、昔からからかわれやすくて。見た目がこうだから。小学校の時はそれで結構つらい思いもした。でも幼馴染のみんなが守ってくれて、おかげで少しずつ平気になれたんだ」
柚希は前髪の隙間からこちらを見た。
「高校に入ったら颯太が……直接僕をいじめるようになって。昔みたいに守ってくれるどころかあいつ自身が僕を傷つける側になったんだ。昔の颯太なら絶対にそんなことしなかったのに」
「……」
「りあも見て見ぬふりだった」
柚希の手がグラスの上で小さく震えた。
「凪紗が気づいて止めに入ってくれたんだけど……その時に凪紗が少し怪我しちゃって」
――凪紗さんが。
「颯太、一瞬だけすごく驚いた顔してた。昔の颯太に戻ったみたいな顔。でもすぐにまた……冷たい目に戻ってた」
柚希はアイスティーを一口飲んだ。手はまだ少し震えていた。
「僕が学校に行くとまた颯太とぶつかってそしたらまた凪紗が間に入ってまた凪紗が傷つく。それが怖くて……学校に行けなくなった」
「……」
「僕は結局臆病者なんだ。全部凪紗に押し付けて逃げてるだけで」
柚希は俯いた。前髪が顔を覆い隠す。
僕はしばらく黙っていた。
それから口を開いた。
「柚希くん」
「……うん」
「柚希くんは臆病なんかじゃないよ」
「……え?」
「成績を犠牲にしてまで同じ学校を選んだのも、昨日、凪紗さんが心配で見知らぬ僕をつけてきたのも。全部、友達のためだよね」
柚希は何も言わなかった。ただ唇を噛んでこちらを見ていた。
「それにさっき何時間もかけて読んでた本。背表紙がちょっとだけ見えたんだけど、あれ全部、友達との関係をどうにかしたくて読んでたんでしょ」
柚希の目が大きく見開かれた。
「『集団内葛藤と関係修復の臨床心理学』とか……『認知行動療法に基づくトラウマ回復のアプローチ』とか、あれ。本気で友達のことを考えてなかったらあんな本を何時間もかけて読まない」
「……見て、たんだ」
「ごめん。でもそれを見て思ったんだ。柚希くんは臆病なんかじゃない。ただ優しすぎて自分が傷つく方を選んじゃうだけだ」
――その姿がナーシャと重なった。
いつも自分より他人を優先して傷ついても笑っていてそれを弱さだと勘違いする。でも本当はそれが一番強い。
「僕が手伝うよ」
「……え?」
「学校、一緒に行こう。僕も凪紗さんから少しだけ聞いた。昔の友達との間に何かがあったって。全部は分からないけど柚希くん一人で抱え込む必要はない」
「で、でも僕が行ったらまた凪紗に迷惑が……颯太とも……」
「凪紗さんは迷惑だなんて思わないよ。昨日、図書館で柚希くんの話をしてた時の凪紗さんの顔、見てたから。颯太くんのことも僕がいれば大丈夫。何かあったら僕が間に入るよ」
柚希の目から涙がぽろりと零れた。
慌てて袖で拭う。
「ご、ごめん……」
僕は何も言わずに海を眺めていた。
しばらく柚希は俯いたまま肩を震わせていた。
テラスに吹く海風が二人の間を通り抜けていく。
やがて柚希が顔を上げた。目は赤いけれどさっきまでとは少しだけ違う目をしていた。
「……僕、行ってみる」
「うん」
「明日……学校、行ってみる」
「うん。学校で待ってるよ」
柚希は鼻を啜ってそれから小さく笑った。
初めて見る怯えのない笑顔だった。
*****
図書館を出て駅まで一緒に歩いた。
改札の前で柚希が立ち止まった。
「結城くん」
「うん」
「あの……ライン、交換してもいい?」
「もちろん!」
スマホを取り出してお互いの画面を重ねる。ぴ、と音がして新しい名前が表示された。
――水瀬柚希。
二人目の友達が増えた。
「明日、学校で。……よろしくね、結城くん」
「こちらこそこれからよろしく、柚希くん」
柚希は小さく手を振って改札の向こうへ歩いていった。
去りゆく小柄な背中が、少しだけ大きく見えた。
ぽんっ、と目の前にウィンドウが浮かんだ。
☆クエスト6 : 友達を増やそう CLEAR☆
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報酬:さらなる出会い
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家に帰って夕食を済ませ風呂に入り、ソファに座ってぼんやりしていたらスマホが鳴った。
画面を見ると「七海 凪紗」の名前。ボイス通話。
出ると、いきなり弾けるような声が飛び込んできた。
「ユーリくん! ゆずから連絡来た! 学校、行ってみるって!」
「……うん」
「えっ、知ってるの!?」
「実は昨日帰り偶然会って、今日もう一回会って話したんだ」
「ええええ!? なにそれ聞いてない!」
凪紗さんの声がスマホのスピーカーから溢れ出しそうなくらい大きい。
「ゆず、ずっと学校来てなくて……わたしもどうしたらいいか分からなくて。ユーリくん、何話したの?」
「いろいろ。でも柚希くんは元から学校に行きたかったんだと思う。僕はちょっと背中を押しただけだよ」
「ちょっとじゃないよ……ゆずがあんなに嬉しそうなメッセージ送ってきたの何年ぶりか……」
凪紗さんの声が少しだけ震えた。
「……ユーリくん」
「うん」
「ありがとう。本当に」
「僕の方こそ。凪紗さんが最初に僕を助けてくれたから」
少しの沈黙。
「……あのさ、ユーリくん」
「うん」
「わたしの昔の友達のこと、柚希から少し聞いたんだよね」
「うん。詳しく全部は聞いてないけど」
「……近いうちに、ちゃんと話すね。わたしの口から」
「うん。凪紗さんのタイミングでいいよ」
「……うん。ありがとう」
それからしばらく他愛もない話をした。明日の時間割の話。購買の新商品の話。朝、駅で三人で合流して一緒に登校しようという話。
通話を終えてスマホを置いた。
窓の外には凪原の夜空が広がっている。
(ナビさん)
『はい、マスター』
(友達が増えたよ)
『はい。お見事でした』
(……ナビさんのおかげでもあるよ)
『いいえ。今回もマスターご自身の力です。わたしはプリンの歴史を共有しただけです』
(それは違うと思う)
『仕様です』
……やっぱりそれで締めるんだ。
僕は小さく笑って目を閉じた。
*****
クエスト6・了




