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仮称 underdogs  作者: 青江兼次
ライフ・イズ・シット
14/16

トラック13

 トラック13


 そこからは柊木さんの言う通りだった。

 増していく悲しみが私を捕まえて離さなかった。

 深くなる絶望が私を捕らえて離さなかった。

 死んで美咲と一緒になりたいと常に思ってしまった。


 私は毎日泣いた。

 美咲の死を知ってから泣かなかった日はないんじゃないかって思うくらい、朝起きた時から夜眠るまで涙が止まってくれなかった。

 でも、もう美咲はいない。帰ってこない。

 だから、私はその日その日を仕方なく生きていた。

 美咲との約束を背負ってしまったから。

 好きと言ってくれなかった人に背負わされてしまったから。


 背負った重さのせいか生活に変化が出てきた。

 ずっとソファに座って帰りを待っている時には出来なかったことが、不思議と出来るようになった。

 大学に行くようになった。

 休学届を出していなかったから学費が落ち続けていたし、留年も確定してたけど、柊木さんの言葉を信じて卒業まで頑張ろうと思えた。

 バイトを探した。

 生きる為にコンビニ弁当を買ってしまって貯金を無くしてしまったから、買えなかった美咲への指輪を改めて買おうと思った。


 朝起きて『おはよう』を呟いて手を合わせられるようになった。

 夜眠る前に『おやすみ』を呟いて祈りをささげられるようになった。

 かつて、美咲を神様と崇めた時にしていた行為と同じでも、伴う意味は違うものになった。

 美咲が人として死んだから、その魂がどうか安らかに眠って欲しいと私は願いを込めていた。


 私は心の中で美咲に話しかけることが増えた。

 一人で見たクソ映画の感想を求めて『どう思ったよこれ』って語りかけた。

 両耳に収まっているイヤホンから流れる音楽を聴いて『いい曲だね』って語りかけた。

 一人でジャンプを立ち読みして『この漫画完結しちゃったね』って語りかけた。

 隣には誰もいないのに、時が止まってくれることはなくて、無常にも流れ続けていった。


 そうして、私は一年の留年を経て二十三歳で大学を卒業した。

 就職はできなかった。

 受けた会社が軒並みタトゥーお断りですと言ってきた。

 私は面接の時に馬鹿正直に左肩にタトゥーが入っていますと言っていた。

 仕方ないじゃん。美咲と対なんだから。むしろ見せつけたいくらいだった。

 私は片翼の天使なの。

 あはは。バイト暮らしが確定して、ちょっと泣いた。


 卒業とほぼ同時にあのタワーマンションを出ることにした。

 社会に出るわけじゃないけど、青春は終わらせようと思ったんだ。

 鍵を返す為に久々に柊木さんにあった。

 連絡先を交換していなかったから、あの事故物件を訪ねようかと思っていた時、ふらっと柊木さんはタワーマンションまで来てくれた。

 エスパーは伊達じゃなかった。

 お久しぶりですって挨拶をキチっと交わすと柊木さんは、

『恋人は出来たか?』

 と聞いてきた。

『酒と煙草とセックスは止めてませんけど、恋人は出来てません』

 と答えた。

 柊木さんは爆笑した。

『くは! あはは! 馬鹿正直過ぎるだろ宇多葉ちゃん』

 って私を指さして笑った。私はキレそうになった。柊木さんは

 『その内詐欺師に騙されるんじゃねえの?』

 って更に爆笑した。

 私は尊敬すべき大人を間違えたかもしれないと思った。


 大体、アンタが言ったんですよね?

 その三つは切らすなって!

 滅茶苦茶真面目な顔で言いましたよね?

 教育に悪いことしないと人生損だろって!

 理不尽過ぎるでしょこの仕打ちは。柊木さんは捨て台詞として

『ケツ持たなくていいガキの人生狂わすのは最高に面白れえや』

 って言って帰っていった。

 クソ、アンタ最低な大人だよ。

 柊木さんがそんなだから、美咲も頭がおかしい子になっちゃったんじゃないの!

 えぇ、私は馬鹿正直にアンタの言葉を信じて実行してましたよ。

 おかげでアルコール中毒で、ニコチン中毒で、セックス中毒ですよ。

 私の人生をやり直させろ。


 そう、私もまた最低で駄目な大人になっていた。

 ギャンブルやってたらいよいよ救えない女だった。


 私は美咲を無くしてから、誰かを抱きたいとは思わなくなっていた。

 だから、常に抱かれる側だった。

 私を抱きたい子は意外と多かった。

 いや、白状すると選り取り見取りだった。

 美咲が隣にいなければ、私は結構な美人らしかった。

 柊木さんが私に言ってくれた『マジでツラいいなお前』って言葉は、お世辞じゃなかったみたいだ。


 人生にモテ期が来ていた。遊ぶには最高だった。

 だから私はそんな子たちに自分を抱かせてあげた。

 みんな何故か優しかった。

 私に好かれようと一生懸命みたいな感じだった。

 認識のずれが生じていた。

 私が『これは遊びだから』って言うと『分かってます』って泣く子もいれば『諦められません』って言う子もいて、終いには『付き合ってくれないと死にます』なんて言う子も現れた。


 私はそれらをバッサリ切って捨てた。

 私が生涯で好きと言う相手は、神崎美咲ただ一人だけなんだ。

 そして、もういないんだ。

 だから私の隣はずっと空いたままでいい。

 それで仕方なく生きていく。

 それに約束があるから、有象無象を隣に置いて生きる気もないんだ。

 私は美咲へ渡すはずだった指輪をいつも首から下げていた。

 迫ってくる子にはそれを見せながら言ってやった。

『私が好きな人はもうこの世にいない。その人を忘れたことは一度もない。私は未来永劫その人以外を好きになるつもりはない。私は貴方のことを好きにならない。そんなに死にたいなら一人で勝手に死ね』って。

 当然、逆上して殴ってくる子もいた。

 少し痛かった。

 でも、甘んじて受け入れた。

 弄んだのは私だから、それくらいは受け止めてあげようと思ったんだ。

 それに耐えられない程じゃなかった。

 柊木さんの拳をモロに食らって私も最後の螺子を落っことしてしまったのか、はたまた幼少期のシゴキのおかげか、素人の拳では私の骨を折ることは出来なかった。


 そろそろ経験人数が三桁になろうとしていたけど、美咲としたヤツ以外で満足したと言えるセックスは一度もなかった。

 私は美咲とお行儀のよくない危ないセックスをし過ぎていた。

 私に媚びる優しいセックスでは満たされない身体になっていた。

 でも、優しいセックスが嫌いというわけでもないから、満たされないことが分かっていながら止められなかった。


 遂に記念すべき百人目の時が来た。

 出会い系アプリでアポイントメントを取った人だった。

 ただ一抹の不安があった。

 プロフィール欄がほぼ空欄だったし、何よりハンドルネームが貞次(さだつぐ)って名前で、全く女性らしいものではなかったから。

 こんな古風な名前を自分に名付ける子は今時珍しいんじゃないかな?

 少なくとも出会い系では余り見ない気がする。

 因みに、私のハンドルネームは葉子だ。

 一二三の家で暮らしていた頃、おばあちゃんは私をそう呼んでいた。

 だから……なんだろうね?

 馴染み深いあだ名みたいなものかな。


 まぁ?

 どんな不安要素があろうが結局は会うんだけどね。

 何つっても、自撮りのアイコンがめっちゃ盛れてたから。

 当然、この遊びで写真通りの子が来ることはないって私は学んでいる。

 学んでいるんだけど、同時に儚い希望をもってしまったんだ。

 だって記念すべき百人目だったから、ちょっとぐらい高望みしたかった。


 待ち合わせ場所に着く。

 事前に教えられた服装の女性を探す。見当たらない。

 私の方が早かったんだろうか?

 そう思っていると視界に美人が映った。

 その美人は人混みの中でもかなり存在感があった。すれ違う人みんなが振り返って見ていた。

 私と釣り合う顔の良さ。あの子が待ち合わせ相手だったら楽しめそうだと、薄い笑みを浮かべて見つめていた。

 すると何故か目が合って、真っ直ぐとこっちへ向かってきた。

 しかも偶然か必然か、服装が教えられたそれだった。


 もしかして……マジでそうなのかな?

 テンション上がるね。

 でも、この美人が『貞次』とかいう良く分からんふざけたハンドルネームを使っているのか?

 世の中不思議だね。中身残念系美人なのかな?

 それとも歴女ってヤツ?


「待ち合わせまでまだ十五分はありますよね。お待たせして申し訳ないです。お久しぶりです、宇多葉先輩。じゃあ行きましょうか。昔みたいに手を繋いで、ね?」


 何を言ってんだこいつ。

 またこの惑星のクソみたいな法則が発動してんのか?

 大体、なんで私の名前を知ってるんだ。しかも先輩だと?

 そんな風に呼ばれたことなんて一度だって、あれ……あった、かも、しれない。

「手、貸してください」

「え、ちょっと」

 手を握られる。私の右手と彼女の左手が。

 かつて私達がセーラー服を着ていた頃のように。


 瞬間、脳内に溢れ出した彼女との記憶。

 彼女と手を繋いだ。

 彼女に引っ張られて廊下を走った。

 階段を駆け上がった。

 屋上で彼女の潤んだ瞳を見た。

 路地裏で抱きしめた。

 嘘をついた。

 ベッドという宇宙の中で私の初めてをあげた。

 私が弄んだ仮初の彼女だった女の子。


「い、おり?」

「ふふ、思い出しました? 忘れられてたらどうしようかって思いましたよ。ここに来るまでも心臓バクバクしてました。でも、宇多葉先輩は私のことを憶えていてくれました。それがとっても嬉しいんです」

「なんで、え? ごめん。なにがなんだか……」

「分かりませんか?」

「うん」

「当ててみてください。ヒントは私との約束です」


 約束とは何か?

 それは私にとっては美咲に背負わされた願いを意味する言葉だ。

『憶えていて欲しい』というたった一つの想い。

 私が仕方なく生きる理由そのもの。

 それ以外の約束なんてしただろうか。私は伊織と何を約束したんだろうか。


「そっちは忘れちゃいました?」

「……ごめん」

「いいですよ。別に。私はそんなことで怒ったりしません。でも私はその約束を忘れたことは一度だって、一瞬だってないんです。だから、思い出させてあげます」

「う、うん。ありがとう?」


 なんか、滅茶苦茶圧を感じる。

 伊織ってこんな感じだったっけ?

 もっと優しくてふわふわした雰囲気の子じゃ……いや、思い出した。昔からこんな感じだった。

 それよりもさ、背がバカ高くなって美咲並みになってるじゃん。

 あの頃に比べて美麗で妖艶な女性って感じになったね。

 昔も美咲っぽさをほんの少しだけ感じちゃったけど、今の方がより美咲と似てる気がする。

 因みに、私の背は高校入ったころから変わらないよ。

 てか、私の出会うツラのいい女ってどいつもこいつもデカくね?

 美咲は言わずもがな、柊木さんもクソデカいし。

 そんで大概頭おかしいよね。伊織もそうなっちゃったんだろうか。嫌な予感がするんだよね。実際その片鱗は見たことあるし。

 美咲はどう思う?

 ごめん美咲もイカれてたね。なんならこの法則を私に叩きつけたのって美咲だったね。


「宇多葉先輩は私と約束しました。宇多葉先輩が高校を卒業した後も、私が宇多葉先輩のことが忘れられなかったら、ずっと好きでいるなら、熱が本物なら、伊織とまた一緒になりたいと思える気がするって」


 まじ?

 最低な自覚はあるんだけど全然記憶にない。

 本当に記憶がございません。責任は勝手にやらかした秘書が取りますので。

 私は政治家かって。そんなこといってる場合かって。

 え、なに。伊織ってまだ私のこと好きなの?

 片思いで人生取り返しがつかないことになっちゃった私が言うのもなんだけど、ヤバいよそれ。完全に拗らせちゃってるよ。

 そんで私は何でそんな約束しちゃってんだよ。ばっかじゃねぇの私。

 いくらあの時、自暴自棄になってたからって言っちゃいけないことがあるでしょうが。


「あー……えーと、伊織ごめんね? 変な約束しちゃったみたいで。それ……その、あれなんだ。その場の雰囲気で言っちゃったというか。そこまで本気じゃなかったというか。伊織がそんなに本気にすると思ってなかったというか、その……」

「宇多葉先輩は私に嘘をついたってことですか?」


 こっわ。

 食い気味で言ってくるじゃん。

 いやいや待ってくれ。全面的に私が悪いけど。なんなら伊織に言った言葉大体全部嘘だったんだけど。

 全身から溢れ出てるオーラっていうか殺気を抑えてくれ。

 ぺしゃんこになっちゃうって。私は可憐で孅い女なんだよ。


「えっと、そうなるのかな? ほんとにごめんね。お詫びに今日は全部私が出すから」

「ぷっ、くく、あはは」


 伊織は爆笑した。なんなんだよこれ。

 怯える私がそんなに面白いか?

 いや……もう笑ってくれ。それでこの件については、うやむやにしてくれ。


「どうでした? 私の演技。ちょっと危ない女の子ぽかったですよね。なんでしたっけ? メンヘラとかヤンデレって言うんでしたっけ? 宇多葉先輩がそんなに動揺するとは思わなかったです」


 演技なのかよ。

 ほんとか?

 本当に演技か?

 もう私には『演技であってくれ』と願うことしかできないけどね。

 助けて美咲。今すぐ墓から這い出てきて。美咲が私に好きって言わないからこんなことになっちゃってるよ。


「でも、約束は本当にしましたよ。私は今でも宇多葉先輩が好きです。ずっと好きです。私はまた宇多葉先輩と一緒になりたいって思ってますよ」

「その、ありがとう。伊織みたいな美人に言われると嬉しい」

「本当ですか?」

「うん」

「じゃあ、またしませんか?」

「えっと、その、久々の再開だし、積もる話もあるでしょ? だから、今日のところは普通のデートにしない?」

「私、我慢してたんですよ、ずっと。宇多葉先輩のこと欲しくて欲しくて堪らなかったんですよ。この状況でお預けなんて……酷いですよ」


 うぅ、ヤバい。

 負けそう。

 伊織の後輩力に負けそう。

 てか、おい、なんでだ。

 私の中の悪魔は美咲が死んでからすっかり音沙汰なかったのに『よっこらセックス久しぶりだね』って『昔常連だったんですよ』って、雰囲気醸して居酒屋の暖簾をくぐるみたいに顔を出したんだが?

 全然うまくねえし面白くねえよそれ。

 今時ハゲ散らかしたおっさんでも言わねえやつだろ。

 なんで今なんだよ。お前、ツラが良ければなんでもいいのかよ。

 くそ、ホントにマズい。

 美咲の顔でも思いだして気を紛らわそう。

 だめだ、私達酒と煙草とセックスばっかしてたね。

 いやらしいね美咲。伊織もいやらしいね。

 悪化しちゃったよ。


「だから、諦めて私に抱かれてくださいよ宇多葉先輩。それに宇多葉先輩だってそういう目的で私とアプリでやり取りしてたじゃないですか」

「伊織だって知らなかったから」

「慣れてる感じでしたし、これもその一つってことでいいじゃないですか」

「伊織はそれでいいの?」

「いいですよ」


 そう言って、手を繋いだまま歩幅を合わせて私たちは歩いた。

 そして伊織は煮え切らない私の手を引いてラブホテルへと入っていった。

 その目は決して、火遊びする女の目じゃなかった。

 快楽でセックスに臨む女の目じゃなかった。

 あれは本気の目だった。

 有象無象とは違う目だった。

 欲しいものは必ず手に入れるという目だった。

 熱があった。



 数奇な人生だ。神崎美咲と入れ替わるように富士山伊織は私の前に現れた。



 伊織は部屋に入ると鞄を投げ捨てて、私をベッドに組み伏せた。

 その力強さに驚いた。

 間髪入れずに私の服を引き裂くんじゃないかって勢いで脱がせた。

 そこから自分の服を脱ぐ時間すら惜しいと私に噛みついた。

 吸いついてきた。

 舌をねじ込んできた。

 つらぬいてきた。

 それはかつて彼女が私に教えてくれた優しくて正しいセックスではなかった。

 私が酔って記憶をなくして美咲を赤く染めてしまった時と同じ、正しくないセックスだった。

 そして、私はそういうお行儀の悪いセックスでしかイけない身体だった。

 だけど、私と美咲のセックスっていうのは私が常に抱く側だったから、こんな風に抱かれるのは初めてだった。

 だから……伊織の荒々しさに、その激しさに、私は抱かれる側で初めて満足してしまった。


 伊織は笑っていた。

 それは邪悪が宿った笑みだった。好きを拗らせた顔だった。

 私は知っている。

 その顔をよく知っている。

 美咲の綺麗でずっと見ていられるあの瞳に映っていた私の顔と、どうしようもなく似ていた。


 伊織は本気で一二三宇多葉という女が好きだと、私に暴力的なセックスでそれを叩きつけてきた。

 馬鹿な私にも分かるよう徹底的に。だから理解させられた。

 私はどうしたらいいか分からなかった。

 分からなかったけど、私はもう一度だけでもいいから美咲とまた星が創りたいと思ってしまった。

 寂しいよ、私。美咲がもういないなんて信じられないよ。未だに納得なんか出来ないんだよ。


 終わった後、チェックアウトまでベッドでくつろいでいた時だった。

 伊織は私が首に下げている指輪を指摘してきた。

 そうなるよね。

 私のことが好きだという伊織が意味深な指輪を見逃すはずはないし、指摘しないはずもない。

 むしろ服を脱がせたときに聞くのを良く堪えたと言ってもいい。

 いや、あれは理性を失っていただけなのかな?

 美咲を前にした私みたいに。


「それって、結婚指輪ですか?」

「どう思う?」

「結婚指輪ですかって、私は聞きましたよ?」

「そっか。そうだったら、良かったんだけどね。最初は結婚指輪として買いたかったわけじゃないよ。もっとくだらない理由だった。でも、そうなって欲しいという気持ちがあったことは多分、否定できない。だけどね、今はもう何の意味もない指輪になっちゃったんだ」

「宇多葉先輩って時々、遠回しな言い方をしますよね。私は傷付きませんから、はっきりと言って欲しいです」

「神崎美咲って憶えてる?」

「……えぇ、よく憶えています。私の告白邪魔してくれましたし」

「そんなこともあったね。懐かしい。この指輪は美咲にあげたかったんだ。でも渡せなかった。それだけの話」

「別れちゃったんですか。神崎先輩と」

「いや、付き合ってすらないよ。笑っちゃうでしょ? 付き合ってもない相手にこんなもの渡したいって思う女って」

「そうは思いませんけど、告白とかしなかったんですか? 神崎先輩って宇多葉先輩には心を許してるって印象でしたけど」

「言えないよ、美咲に好きだなんて。伊織には分からないと思うけど、私には美咲に好きという資格が無かったんだ。それにね……」


 あぁ、また流れてしまう。

 私に好きと言ってくれる女の前で、

 私が好きと言えなかった女を想って、

 私に好きを言ってくれなかった女への涙が。


「美咲死んじゃったんだ。死んじゃったんだよ」

「……そう、だったんですね。知らなかったとはいえ、辛いことを話させてしまいました。ごめんなさい」

「いいよ。伊織には知る権利があるでしょ。私のことが好きなんだからさ。そして、私には答える義務がある。聞いて、伊織」

「はい」

「私は神崎美咲が好きなの。伊織とは一緒になれない。なる気もない。だからごめんね。この一回で終わりにして欲しい。もう私のことは諦めて」

「嫌です」

「伊織……お願いだから。私のこと困らせないでよ」

「大体、私はそんなこと別に気にしてないので。宇多葉先輩が神崎先輩のことが好きでも、私は宇多葉先輩が隣にいればそれでいいんです」

「何を、言ってるの?」


 伊織が言っていることが私には理解できなかった。

 自分のことを好きじゃない女を隣に置きたいという欲望が理解できなかった。

 かつての私と似ているようで決定的に違うから。

 私と美咲は互いに好きとは言わなかった。私には言えない理由が明確にあって、美咲にも多分何かしらあったんだと思う。

 だから何も言わなかったけど一緒にいた。

 私は美咲と一緒にいたかったし、美咲も私と一緒にいたかったと思うから。


 私達は両想いだったんだ。


 でもこれは違う。

 私は伊織のことが好きじゃないんだよ。

 もう答えが出ているじゃないか。

 一緒にいることに何の意味があるんだ?

 それでも私を隣に置きたいって分からないよ。

 伊織がそんな辛い思いをする必要なんかない。

 伊織は私と違って何の罪も背負ってないんだよ?

 何も悪いことしてないんだよ?

 悪いのは全部私なんだ。

 私のことなんかサッサと忘れて、ちゃんとした幸せを掴まなきゃ駄目なんだよ伊織は。

 私は誰も幸せになんか出来ないんだから。

 幸せにしたかった人すら……幸せだったかどうか知らないんだよ。

 そういう女なんだよ、私は。


「私の好きは、もう全部宇多葉先輩のものになっちゃってるんです。今更別の誰かを好きになんてなれないですよ。宇多葉先輩が神崎先輩を代わりなんていない唯一の存在だと思うように、私にとってはそれが宇多葉先輩なんです」

「そんなの……辛いだけだよ」

「今、辛いのは宇多葉先輩の方ですよ。好きな人を亡くしてしまったんですから。でも私はまだ亡くしてない。だから辛くない。むしろ、また巡り会えて嬉しいとすら思っているんです。私は私の為に、宇多葉先輩を離す気なんてさらさらないんです」

「そんな生き方……辛すぎるよ。悲しすぎるよ。幸せじゃないよ。ちゃんと好きになってくれる人と伊織は幸せになるべきだよ」

「宇多葉先輩はどうしてそう……他人の気持ちを勝手に決めつけてしまうんですか? 傲慢ですよ、それ。私の気持ちは私が決めます。私の幸福も私が決めます。私の人生全てが私のものです。宇多葉先輩だろうが勝手に推し量って決めつけていいものじゃない」


 伊織が話を区切って、私を見つめる。

 私は目を閉じて俯こうとした。

 それを伊織は許さず、私の首をぐいっと掴んで前を向かせる。

 観念した私は瞼を開いて伊織と目を合わせた。


「私が決めた私の幸福は、宇多葉先輩の隣にいることなんです。私がそうだって決めたんです。誰にも否定なんかさせない。宇多葉先輩にだって否定させません」

「伊織……」

「死ぬまで、私と一緒にいてください。神崎先輩のことを忘れなくていいです。神崎美咲が一二三宇多葉の一番でいいです。だから私を、富士山伊織を、貴方の二番目にしてください。優しい宇多葉先輩なら、きっと神崎先輩への好きを一欠片ぐらいは私にくれるはずですから」


 二番でいいだなんて、そんな悲しいこと言わないでよ。

 私が何も言えなくなるじゃん。突き放せなくなるじゃん。

 伊織を放っておけなくなるよ。ずるいよ、そんなの。


 そうか、私にとって富士山伊織は有象無象ではないのか。

 その名をいつの間にか憶えてしまっていたのか。

 私が傷つけたから、私を癒そうとしたから、頭に刻まれてしまったのか。


 いいのだろうか。

 伊織を私の隣に置いてしまっても。

 美咲、怒るかな。怒るだろうな。屋上で睨みあってたもんね。

 でもさ。

 もう私はこの子を冷たくあしらえないよ。そんなに私は強くないよ。寂しいんだよ。この心に空いた穴を美咲に埋めて欲しいんだよ。でも埋まらないんでしょ?

 別の何かを、形の合わない誰かを、無理やりここに押し込めなきゃいけないんでしょ。


 邪悪だ。

 私は度し難いほどに邪悪だ。

 富士山伊織を隣に置いてもいいと、思ってしまっている。

 有象無象には感じなかった感情を持ってしまっている。

 私の美咲への操はこんなにも脆いものなのか。

 ほんと、ツラが良ければなんでもいいのかよ。飽きれるよ、くだらないよ、死んでしまえよ、一二三宇多葉。

 お前という屑は、どこまで。


 ──違うだろ宇多葉ちゃん。


 頭の中に力強い声がリフレインした。

 柊木さんの声だった。

 忘れたことなど無い美咲が交わしたかった約束を改めて確認する。

 それは『憶えていて欲しい』というただ一つの願い。

 美咲のいない明日を……私はそれでも生きていかなきゃいけないって、こと。


『新しい恋をするな』って美咲は言ったんじゃないって、こと。


 これは恋じゃない。まだそうじゃない。

 でも、ひょっとしたら……そうなってしまうかもしれない。

 美咲はそれでもいいって、柊木さんは言っていたんだ。

 望んでもいいのか?

 美咲への想いを抱えたまま、この子を、伊織を。

 私みたいな女がそんなことして許されるのか。

 美咲にすら好きと言えなかったのに、ずっと忘れられないのに、今だってどうしようもないほど好きなのに。

 時間が流れてもそれは永遠に変わらないのに。

 伊織への気持ちが美咲への想いと同じようなものになってしまったら、その時は伊織に好きと言うのか。

 私は、言ってしまうのか。

 私は、言えてしまうのか。

 美咲への好きと伊織への好きを同時に存在させていいのか。

 そんなふざけた生き方を選んでいいのか。


「宇多葉先輩」

「な、に?」

「抱きしめていいですか」

「なん、で」

「私の好きな人が泣いているからです」

「やめて、これ以上……私を求めないで。熱を分け与えないで。好きって言わないで。お願いだから、伊織」

「嫌です。私はその涙を見過ごせません。私が拭ってあげたいんです」


 伊織は私を抱きしめた。

 私は決壊した。

 私もまた、伊織を抱きしめてしまった。

 あぁ、この温度を知ってる。どうしてこんなに温かくて心地いいんだ。

 伊織は初めて出会った時から、ずっとずっと強引すぎるよ。


「それに……宇多葉先輩、私はね」


 耳元で伊織が囁く。


「とっても負けず嫌いなんです。恋は特に負けたくない」


 そんな声で話す伊織を私は知らない。


「だから私は神崎美咲には絶対に負けない。神崎美咲だけには絶対に負けられない。矛盾ですけど敢えて言います。私は二番なんかじゃ終わらないですよ? 宇多葉先輩……私は絶対に貴方の一番になってみせる」


 嗚咽を漏らす私は何も言い返せなかった。ただ、聞いているだけだった。

 伊織の心臓がうるさかった。

 でも、伊織の声は呟きのように小さいのに、よく聞こえた。


「だから、私は二度と宇多葉先輩って呼ばない。敬語で話さない。そんなもので遠慮しない。もう待つのはウンザリだから。諦めずに足掻いて、漸くこの手に掴んだチャンスを、手放すなんて出来ないから」


 私の知らない伊織は、ぞっとしてしまう何かを秘めていた。


「だから、これからは我慢しないよ宇多葉。必ず神崎美咲から、宇多葉のことを奪ってみせるから。ねぇ、今から言う事をちゃんと聞いていて」


 ぎゅっと力を込めて私を抱きしめる伊織は、ありったけの想いを、持ちうる全てを込めて、私に言った。


「宇多葉──」


 これが、初めての同棲のきっかけ。

 私が二四歳になる前の夏の出来事。


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