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仮称 underdogs  作者: 青江兼次
ライフ・イズ・シット
13/16

トラック12

 トラック12


 泣いていた。

 来る日も来る日も、私は泣いていた。


 美咲がいない。

 私の隣にいない。

 この部屋にも。

 いっぱい作った中間距離にも。

 私が知る場所全てを探してもいなかった。


 おはようが、無くなった。

 おやすみも、無くなった。

 一人で食べるコンビニ弁当は味が無い。

 一人で飲むお酒は楽しさが無い。

 一人で吸う煙草は安らぎが無い。

 一人で眠るベッドに星が創られることはない。


 なにもない。

 堕ちていく。

 それじゃ底に至らなくて、もっと堕ちていく。

 永遠に堕ち続けていく。

 深い闇の中を、黒よりも暗い場所を、真っ逆さまに堕ちていく。


 私は何をしたらいいのか、何をするべきなのか、分からなくなっていた。

 一人暮らしをしていた時とは違うんだよ。

 あの頃は世界一大事な女を傷つけて全てを壊してしまったから、一人で生きていこうとしてた。

 幸福を手にしようとは微塵も思ってなかった。全ての扉を閉ざして、孤独のまま生涯を終えると想像してた。

 でも、今は幸せを知ってしまったんだ。

 美咲という温かい海に溺れて知ってしまったんだ。


 これは美咲なりの罰なのかな。

 美咲から初めてを奪って、命を奪おうとして、のうのうと幸福を享受していた私への罰。

 沢山の幸せを与えて、溺れるほど与えて、私が満たされた時に全てを奪う。

 私が伊織の気持ちを利用したように、美咲も私の気持ちを利用して。


 完璧だね。

 私をどうやったら壊せるか完璧に理解してるよ。

 なんでよ。

 なんでこんな惨いことするの!

 殺せばよかったじゃん……一思いにさ。

 美咲が私のことを殺すことに罪なんか存在しないんだよ。

 ただの裁きなんだからさ。私の因果応報なんだから。

 どうしてこんな回りくどいことをするんだ。

 美咲に殺されるなら私は本望だよ。生まれ持った自分の役割を全うするよりよっぽど意味あるよ。

 だってずっと好きだから、誰にも理解されないまま生きるより、美咲の白い手で殺してほしいよ。

 奪うなら、根こそぎ奪い尽くしてよ。

 私がどうせ自分で死ねないって、思ってるの?

 ほんとに死んじゃうかもよ。寂しくて死んじゃうよ。

 そうだよ。

 そうすればいい。

 何回もそうしようとしたじゃんか。


 でも出来ない。

 出来なかったんだよ。

 あの時も、今も。

 首に手を回しても、殺しきれない。

 必ず私の悪魔が止める。

 どうしてお前は私の好きなものは傷つけるのに、私のことは生かすんだ。

 美咲が、ふらっと『宇多葉懲りたかな?』って帰ってくるかもしれないって思うと待ち続けたくなる。生きたくなる。

 私は根拠のない希望を捨てきれない。

 だから引きこもった。

 一歩もこの部屋から動きたくなかった。


 バイトはクビになった。

 大学は単位を落とした。

 母さんからの鬼電は着信拒否した。

 死ねないから、私は遠回りな自傷行為を私は選んだ。

 ご飯を食べることを極端に少なくした。

 酒を浴びるように飲んだ。

 煙草を一日に二箱は吸うようにした。

 気絶するまで眠ることを止めた。

 体重は減っても死ななかった。

 私の身体は生きようと必死だった。

 私は……死にたかった。


 ソファーで人形のように座るだけの日々。

 一分一秒が途轍もなく長くて私を苦しめ続ける。

 とっくの昔に酒と煙草は無くなっていて、箱で山積みだったカップヌードルが遂に尽きた。

 何も口にしないと決めた。

 それでも意思に反して身体はよろよろと立ち上がり、寝間着でコンビニに向かっていた。

 弁当を買った。冷えたまま食べた。

 どうせ何も感じないから、どうでもよかった。


 繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。


 そうするとお金が減っていく。

 せっかく貯めたお金が、無意味な生の為に無駄になっていく。

 どうでもよかった。

 美咲がいないなら全部どうでもよかった。

 私は三年生になっていたらしい。自分の誕生日すらどうでもよかった。


 いつまで、そうしていただろう。

 全てが曖昧だった。

 今日も冷えた弁当を食べた。

 そんな夜だった。


 がちゃ。


 音が響く。

 空間に、私の鼓膜に。

 美咲?

 み、さき?

 美咲が帰ってきた……?

 私の隣に帰ってきた!


 走ろうとした。

 身体が拒否した。つんのめってフローリングとキスした。

 早く立てよ。美咲が帰ってきたんだから。

 動けって。その為に無様を晒して生き長らえてきたんだろうが!

 リビングと玄関を繋ぐドアを開けた。


 そして、それと見えた。

 それは美咲じゃなかった。

 敢えて言うなら……主人公だろうか?

 出会うもの全てを脇役へと追いやるような、圧倒的な存在感を放つ主人公。


「はぁ……理解しちまった。ナマで間近に見るとアイツの気持ちも分かっちまうな。こりゃ惚れるなって方が無理だ。アタシも心に決めたヤツがいなかったら、うっかりその顔に惚れちまってたかもしんねぇなー……つーかなんか既視感あるくね? ま、気のせいだろ。気のせいであってくれー……じゃないとアタシはとんでもねぇ相手に喧嘩売ってることになっちまうからさ。んで、間違いがあっちゃいけねえから一応確認なんだがー……お前が一二三宇多葉で合ってるか? マジでツラいいな、お前。二十年早く生まれてたら美咲じゃなくてアタシが口説いてたぜ?」


 玄関にいた女はそう言った。

 誰だよ、コイツ。

 その女はブラックのパンツスーツを着ていた。

 そのスーツ越しにギリシャ彫刻だかローマ彫刻だか分からないけど、人としての美を超越した肉体が見て取れた。

 美咲よりは全体的に小さいけど女にしてはかなり大きい。

 そして、明らかに纏う雰囲気が異質だった。

 なのに……どことなく、美咲を感じた。

 いや、違うか?

 ダメだ思い出せない。

 でも、私が既に知っている雰囲気を纏っていると断言できる。

 兎に角、何であれ分かっていることは一つ。

 私が出会う女は大概『マトモ』じゃない。

 が、コイツはその女どもが可愛く思えるくらいには()()()と私に流れてる血が訴えていた。


「ただいま」


 は……?

 何言ってんだ……?


「だ、か、ら! ただいまだっつってんだろアタシは! 耳塞がってんのかァ? 聞えてんなら、何故おかえりなさいを言わない? 人が帰ってきたらおかえりなさいを言うもんだろ普通は! はー……礼儀がなってねえなぁ、宇多葉ちゃあん。あーマジでムカつくわー……これだから平成生まれのゆとり世代の甘ちゃんはよぉ! しかも宇多葉ちゃんさぁ……絶世の美少女だからってさぁ……世の中舐め腐ってるよなぁ? ツラだけでこれまでの人生渡り歩いてこれちゃったもんだから、そんな態度になっちまったんだろ? いいか、若人。挨拶はされたら返すんもんだ! さぁ返事しな、このカワイ子ちゃんめ!」


「はぁ……おかえりなさい?」

 バカにされてるのか、褒められてるのか、イマイチよく分からない。

 言ってることは正論っぽいけど、この女がそれを語るのはなんか気に入らない。


「んふふ。よしよし、挨拶は大事だからな。初めまして一二三宇多葉ちゃん。初対面だから、まずアタシの信条についてハッキリと宣言せてもらう。このアタシは筋が通ってないことが大嫌いだ。筋通さねぇヤツは大大大大大嫌いだ」

「なにを言ってるんですか……?」

「分からんか? しゃーないなぁ……特別だぜ? アタシは仏のように優しいからさ。宇多葉ちゃんにも分かるように、丁寧に言葉にしてあげよう」

「ありがとう……ございます?」


「歯ぁ食いしばれよ小娘! パッと見可憐で(かよわ)いアラフォー美魔女だからって舐めてると死ぬぞ! アタシは最強だからな──全盛期はいつだって今なんだよ!」


 は?

 女の姿が消えた。

 そうとしか思えなかった。

 瞬く間に女は私の眼前にいた。

 その女は土足で私との距離をゼロにしていた。

 あり得ない。

 私が反応できないなんて。どんな歩法を使ってるんだ。

 そして。

 一歩も動けないまま。

 私の腹は女の拳でぶち抜かれていた。


「初伝──《(かえで)》」


 比喩じゃなくて、本当に。

 本当に背中から女の腕が貫通して突き出てるんじゃないかって思うくらい、人生で経験したことのない激痛だった。

 息、できない。

 私は消化しきれてない弁当を全部吐き出した。腹を抑えて蹲ることしか出来なかった。

 生きてることが不思議だった。


「あ、後もう一個言っとくけど。アタシは負けヒロインも嫌いだ。覚えておけ」


 何言ってるかさっぱり分からないけど、私を殺しに来たってことでいいんだよね?

 いや、なんなのこの人。頭おかしいよ。

 私と貴方は初対面なんでしょ?

 そして貴方は美咲のなんなの!


 女は私の髪をひっつかんで仰向けに倒すと跨った。

 抵抗なんてできなかった。痛みでそれどころじゃなかった。

 そして片手で私の首を絞めはじめた。


「わりぃな、宇多葉ちゃあん。アタシの辞書にはさ()()なんて言葉はねえんだよ。だから──おねんねしな」


 酸素、欲しい。

 ヤバい、これ。

 ほんとに死んじゃう。

 待って、お願いだから。まだ死ねないんだよ。美咲が隣にいないから。

 なんか無性に腹が立ってきた。

 悪魔が叫んでいる。

 ふざけんなよ。

 なんなんだよ。

 私を殺していいのは美咲だけだろうが!

 なんでアンタなんかに殺されなきゃいけないんだ!

 助けて、美咲。

 お願いだから帰ってきて、美咲。

 好きだよ、美咲。す、き──。


「起きな、宇多葉ちゃん」


 ぺちぺち、頬が軽く叩かれる。

 私、生きてる?

 私、生きてるんだ。そっか、そうなんだ。

 あれだけ死んでもいいって毎日思ってて、ついさっきマジで死ぬかもって思って、結局生きてんだ。

 がはっ、はーはー。

 酸素、ある。


「お、おはようさん。大丈夫かー? 一応後遺症は残さんようにやったはずなんだが、アタシも歳だ。うっかりがある」

「あー……?」

「どうだ? 何かヤバそうか?」

「た、ぶん……大丈夫で……す」

「そっか、ならいいや。んで? 挨拶は大事だよなぁ?」

「え……あー……お、おはようございます?」

「もちっと元気に返事してもバチは当たらないと思うぜ?」

「おはようございます!」

「よしよし、良い返事だな」


 今さっきこの女、私のこと殺そうとしてたよね?

 そんで叩き起こしておはようって言ったよね?

 あまつさえデケェ声で返事をしろって言ったよね?

 なるほどねぇ、美咲の同類確定じゃん。

 その美貌を張り付けた頭の螺子はちゃんと締まってますか?

 あ、そもそも絞める螺子がなさそうですね、この場合。


「そんじゃー……アタシはちょっとコンビニ行ってくっから。帰ってきそうないい感じのタイミングでお湯沸かしてくれ」


 ばたん、がちゃん。

 そうして玄関から出ていった。

 しっかりと鍵をかけて。

 そっか、ピッキングした訳じゃないんだね。

 いや、なんで鍵持ってんだよ。

 んで、どんな無茶言ってんだよ。死にたくないんでやりますけど。


 私は嘔吐物もそのままに電気ケトルを手に取って浄水器を捻った。

 流石に風呂入るって意味じゃないでしょ。

 もしそっちだったら今度こそ殺されるかな。

 突然の命を賭けた二者択一のギャンブルに身体が恐怖で震えた。

 次は何すんだろ。熱湯使った拷問とか?


 正直二度と会いたくなかったけど、女はあっさりと戻ってきた。

 私にビニール袋を手渡すとテキパキと私のゲロを掃除し始めた。

 ついでに自分の足跡も消していた。

 その動きが手慣れ過ぎてて怖かった。

 家の何処に何があるかを完璧に理解している動きだったから。


 私は驚きすぎて、ぼーっと突っ立ってそれを眺めてた。

 少し経った後、不意に感じた手の重みで自分がやるべき事を思い出した。

 渡されたビニール袋の中には、カップヌードルが二つと、缶チューハイが六つ、煙草がカートンで入っていた。

 どんだけ吸うんだよ。

 しかも、開けづらくて忌々しい赤マルソフトかよ。私はボックスが好きなんだけどな。

 私は女の意図を理解し、沸かしたお湯をカップヌードルに入れてテーブルの上に置いた。

 ギャンブルは成功したらしい。何故か生かされた私もカップヌードルを食えるみたいだ。

 時間を計るのも忘れなかったし、灰皿をキッチンから持ってくるのも忘れなかった。

 スマホのタイマーが鳴るか鳴らないかギリギリの秒数で、女はリビングに来た。

 私は私を殺そうとした相手と並んで二度目の晩御飯を食べた。

 シーフード味だった。美咲もこれが好きだった。

 女は缶チューハイを最初の一口で飲み干していた。それにドン引きしながら私はちびちびと飲んだ。


「吸うか?」

「あ、はい」


 久々の煙草と酒に身体が喜びを上げた。

 おかえりアルコール。おかえりニコチン。

 また私の身体で仲良く同居してね。


 女は食い終わると、煙草を吸いながら二缶目を空にして話始めた。

 怖いよ。飲み方が。生き急いでるのやつの飲み方だよ。


「まだ名乗ってなかったな。アタシの名前はヒイラギルミコだ。苗字のヒイラギは冬の花の『柊木』と一緒。ルミコの方はそうだなぁー……んー、滾る血潮が『流』れる『美』しい『子』って字だな。んで? 名乗られたら、当然名乗り返すよな?」

「え? あー……私はウタカネウタハです。初めまして柊木流美子さん。苗字の『ウタカネ』は漢数字の一と二と三で、名前のウタハは宇宙の『宇』に数多の『多』で最後に『落葉』の葉です」


 柊木流美子。

 なるほど、そうですか。

 美しい花には棘があるように、あなたも尖ってるんですね?

 多分、柊木の花に棘はなかったと思うけど。葉っぱギザギザしてるよね。

 美しいことは否定できない。というかする気もない。

 狡すぎだろそのツラは。

 そんでその性格だろ?

 モテ要素しかないじゃんかよ。

 後、これはお世辞じゃくて本心なんだけど。

 アラフォーって言う前はアラサーだと思ってた。

 そして、ますます美咲との関係性が分からなくなった。


「ふぅー……あっぶねえ。もう一回殺しかけるとこだった。でも、それはアタシに落ち度があるからできないんだよな。筋が通ってない。アタシは筋が通ってないことが大嫌い。つーわけで、だ。いいか、よく聞け。これは大事なルールだ。この後一回でも、やらかしたら宇多葉ちゃんは死ぬことになるからな? マジでちゃんと耳かっぽじって聞けよ。アタシの名前を口にしていいのは、この世で二人だけだ。だからアタシを呼ぶ時は柊木さんだ。そして宇多葉ちゃんみたいなツラのいい女にはな……柊木お姉さんって呼ばれるとアタシは笑顔になれる。世の中もハッピーになる。理解したか?」


 こっわ。マイルールが初対面に優しくなさ過ぎるだろ。そんなんで生き死にが決まって堪るか。


「じゃあ、柊木さんで」

「あ? 聞えねえな。最近歳のせいか耳遠くてな。わりぃんだけど、もう一回言ってくれるか?」

「……柊木お姉さんで」

「んふふ。よしよし。素直な女は好きだぞ」


 いや、今めっちゃ凄んできたじゃん。

 素直になったんじゃなくて、恐怖でチビりそうになったから仕方なくそう呼んだだけだど。

 はぁ……めんどくせー酔っ払いみたいな絡み方してくるなこの人。

 いや、マジで酔っ払いかもしれない。もう三缶目も空にしてるし。


「この程度じゃアタシは酔えない」


 くそ、酔っ払いじゃなくてエスパーだった。間髪入れずに思考を盗聴しないでください。

 その美しさもエスパーだからですか?

 魅力的ですね。

 それにしてもザルにも程があるって。もう四缶目も空いたけど……急に理性失って、また私のこと殺そうとしないでよね。


「それで……柊木さんは何をしに?」

「おいゴラ」

「柊木()()()()は、ここに何をしに来たんですか?」

「んふふ。宇多葉ちゃんに用があった」

「なら、もう帰っては? 済んだんですよね用事。さっきのアレで」

「アレは本題じゃない。あれは、そうだなぁ……ぶっちゃけると、ただの八つ当たりだ」


 八つ当たりで人を殺しかけたってこと?

 いいですね。最高にクレイジーですよ柊木さん。

 流石の私だって八つ当たりでは人は殺そうとは思わない。

 倫理とか道徳とかないんですかアンタ。

 ツラがいいからって何やっても……何やってもカッコイイな、この場合。

 そんなの狡過ぎじゃん?

 くそ、この惑星には美しさと引き換えに頭がイカれてしまう法則でもあんのか!


「屁理屈捏ねるなら、そうだなー……宇多葉ちゃんはアタシが手塩をかけて育てた大事な娘の初めてを同意なしでヤっちまった。だから殴った。宇多葉ちゃんはアタシが誰よりも大切にしていた娘の首を絞めて殺しかけた。だから首を絞めた。勿論、二人の情事に口出す程アタシは野暮じゃねえよ? なんだけどよぉー……アタシは今過去一イラついててな。宇多葉ちゃんをいざ目の前にしたら、宇多葉ちゃんが過去やらかしたことが頭に浮かんじまってなぁー……つい手が動いちまったってわけ。アレだな、やっといてなんだがアタシの方が筋通ってねえな。信条曲げちゃってるわ。んふふ。酔ってっから仕方ないな。そうそう仕方ない仕方ない。てな訳だから、そういうことにしといてくれると助かる。そしてアタシは謝りたい時だけ謝る女だ。だからこの件に関しては謝らない」


 どくん。

 心臓が跳ねる。

 なんで私の罪を知ってる?

 娘ってなんだ?

 育てた?

 大切にしていた?

 なんで過去形なんだ?

 なんで、ブラックのパンツスーツなんだ?

 それじゃあ、まるで、まるで……。

 そこで無理矢理思考を止めた。

 口がカラカラに渇いていく。

 私の悪魔が告げてる。これは()()()()()だと。

 今すぐその耳を塞げと。今すぐここから逃げろと。

 それなのに私の身体は硬直したまま動かない。ソファーに張り付いて動けない。


「んで、こっからが本題だ。美咲は死んだ。喪主は()()()()であるアタシがした。それを一二三宇多葉……お前に伝えに来た」


 柊木さんは私のことなど知ったこっちゃないと、あっさりとそう告げた。

 死んだ?

 誰が?

 美咲が?

 あの神崎美咲が?

 祝福されて生まれた子が?

 私の好きな人が?

 馬鹿な。

 あり得ない。

 そんなことあってたまるか!


「美咲は持病を持っていたんだ。詳細は馬鹿のアタシじゃあサッパリ理解できなかったんだが、どうやら不治の病ってヤツだったらしい。高校入ってから悪化したみたいでな。大学は恐らく卒業できないって医者に言われてたんだよ。だから……美咲は残された自由でいられる時間を『宇多葉と過ごしたい』とアタシに面と向かって言った。アタシは反対した。アタシだって美咲と過ごしたかったからな。でも……美咲がそう望むならと、アタシはこの部屋を出ていくことにした。美咲にお前と二人だけのルームシェアを許可した」


 なに、それ。

 美咲は持病のことなんて一言も話さなかった。

 私はそんな大事な事を聞かされてなかったのか!


「美咲はさ、やつれる姿をお前に見せたくなかったんだよ。お前の瞳に映るのは常に美しい神崎美咲であって欲しかったのさ。死期が近づいたと悟ったら、黙って出ていくって最初から決めてたんだ。これが事の顛末だ。美咲のお母さんとして、勝手な娘に付き合わせてしまって悪かったと思ってる。この部屋の惨状を見る限り、無駄にお前を苦しめたみたいだしな」


 何言ってんだよ、こいつは。

 なぁ、私の中の悪魔も聞いてただろ?

 サッサと返事しろ。

 枷を外してやるよ。

 何もかも全部、手放してやるよ。

 なぁ、お前はどうしたい。

 そうか、そうだよな?

 そうこなくっちゃな。


「美咲の遺言なんだがな、宇多葉には……」

「もういい。黙れ。柊木流美子」


 立ち上がり告げる。


「おいおい、勘弁してくれよ宇多葉ちゃん。一瞬だけ耳が都合よく遠くなったからよ。一回だけは聞き間違いってことにしてやるから──考え直せ」

「聞き間違いじゃない。柊木流美子。私は黙れと言ったんだ」

「はぁー……私はツラのいい娘の葬式をついさっきしたばっかだぜ? それだけで世界にとってもアタシにとっても大損失だってのに、その上でもう一人ツラのいい女が死んじまったらさー……世界もアタシもどうなっちまうんだよ。これでも傷心気味だし、何より、クソイラついてるって、言ってるだろうが! あんまりこのアタシを煽るなよクソガキが!」


 柊木流美子もまた、立ち上がった。


「あっはっは! 人生賭けて育てた娘が死んだってのに泣いてないだろ、柊木流美子。分かるよ。私には分かる。『お母さん』のくせに泣けないなんて、それこそ筋が通ってないんじゃないか?」


 相対す。

 この女と死合う為に。


「くっは! いいねぇ。若人はこうじゃなきゃいけねえ。生意気じゃないガキなんてつまらねえ。だけどな、一二三宇多葉。アタシはお前に手を出さない。アタシはお前を──殺さない」


 は?


「宇多葉ちゃんが考えてること、当ててやろうか?」


 何、言ってん、の。


「死にたいんだろ? でも……自分の手じゃ死ねないんだろ? だからアタシを煽ってさぁ──殺してほしいんだろ? でもな、宇多葉ちゃんが死んだって美咲とは一緒になれないよ」


 なんでよ、なれるかもしれないでしょ。


「それだけは断言できる」


 やってみなきゃ分からないでしょ。


「アタシにはそれが分かるのさ」


 何が分かるの、柊木さんに。


「それはな。美咲が『宇多葉のことが好き』だとアタシに言ったからだ。あの子は……アタシの娘は! お前に! 一二三宇多葉に! 神崎美咲という存在を『憶えていて欲しい』と思っているからだ! それがさっき言いかけた美咲の遺言だ。それが美咲がお前と交わしたかった最後の約束だ。それを無視して、生きることを諦めて、勝手に死んだって、そんなの……一緒なれるはずないだろ?」


 そんなの、ずるいよ。

 ずるいよ、美咲。

 一度だって……好きだなんて言ってくれなかったじゃん。


「それにな、宇多葉ちゃん」

「なん、ですか」

「アタシが悲しくて辛くて泣いてるツラのいい女を殴れるわけないって」

「さっき思いっきり殴ってましたよね。悲しみに暮れる私を」

「それはそれ、これはこれ、アタシはアタシだ。世の中は理不尽なんだから、終わったことは蒸し返さないほうが人生楽しくに生きられるぜ?」


 そうか。

 私の悪魔はいつもいつも私が好きな人を傷つけるくせに、私のことは生かそうとする。

 こうなるって、分かってたんだね。

 さっきから視界がぼやけてたのは、目が壊れたんじゃなくて泣いてたんだ。

 私、自分が泣いてるって気付かなかったよ。


「ほら、こっち来い」

「わっ」

「アタシが胸を貸すことは滅多にない。自分のツラと惚れてくれた女に感謝しな」


 私は柊木さんの胸の中で号泣した。


 美咲、私が苦学生を演じていたのはね。

 美咲に給料三か月分ってヤツを、渡したかったからなんだ。


 みっともない嗚咽を漏らした。


 私は美咲を沢山傷つけてきた。だから離れたかった。

 そしてやっと離れられた。

 それでも美咲のことがずっと好きなままだった。離れた程度では失恋できなかったんだ。

 心を焦がす熱があったんだ。だから諦めるなんて出来なかった。

 そんな私に美咲は『気にしてない』って、『もう許した』って、そんな態度で私にルームシェアなんかを持ちかけたから、ついついまた誘惑に負けちゃったんだ。


 涙が止まってくれなかった。


 美咲は私と沢山の星を創ってくれたね。

 私と沢山の想い出を作ってくれたね。

 私と沢山の初めてを共有してくれたね。


 柊木さんが抱きしめるのを止めてくれなかった。


 美咲に与えられるばかりで、私は何もあげられていないと思っていたんだ。

 それにどんどん好きが大きくなっていたから、独占欲とかそういう汚い気持ちも大きくなっちゃったんだ。

 だから、拗れた私は……指輪を渡そうと思ってしまったんだ。


 ただひたすらに泣き続けた。


 美咲が私のものにならないなら、せめて誰のものにもなって欲しくなかったんだ。

 それに私は自分に自信が欠片も無いから、美咲を幸せにできる気がしてなかったんだ。


 私の瞳から一生分の涙が流れていた。


 だから、男避けと女避け、両方の意味を込めて指輪を渡したかったんだ。

 また離れる時がきても『私のことを忘れないでいて欲しい』って、そう思ってたんだ。


 私の片思いじゃなかったなんて思いもしなかったよ。


 美咲が私との関係を敢えて言葉にするなら、悪友とか、ちょっとエッチな事するルームメイトとか、腐れ縁とかだと思ってたよ。

 私と美咲の想いが双方向だったなんて急に言われても理解できないよ。


 おかしいよ、美咲は。

 イカれてるよ。頭の螺子がぶっ飛んでるよ。狂ってるよ。馬鹿だよ。

 全部全部おかしいよ。

 なんで、私のことが好きだったなら、それを言葉にしてくれなかったの。


 生き返ってよ、美咲。

 私の耳にこびりついてるあの声で『好き』って、私に言ってよ。

 そうしてくれたら、私も美咲に好きだって言えたのに。

 私から好きだなんて言えるわけないでしょ。

 だって私は美咲のこと無理矢理犯したし、殺しかけたんだよ。


 美咲から、言って欲しかったよ。

 どうして、いつも、こんなことになっちゃうんだ。

 どうして、いつも、手遅れになるんだ。

 なんで私の人生は、大切なことが言葉になってくれないんだ。


「宇多葉ちゃん」


 柊木さんが抱きしめながら私の名を呼ぶ。

 その力は美咲のよりも強かった。

 背骨が軋むほどの熱があった。

 その熱はこの人と私が同じ星の下に生まれてしまったことを教えてくれた。


「喪失は一生消えないもんだ。アタシも……そうなんだよ。宇多葉ちゃんと同じ歳の頃、失ったことがあるんだ。今もずっと消えない。本当に消えない。絶対に消えては……くれないんだ。こんな歳になったってアタシは毎日……死にたいんだ。ずっとそれに囚われているから、毎日そう思っちまうんだ。でも、それでも、大事な人と交わした約束があるから、アタシは仕方なく今日も生きてる。もしかしたら、宇多葉ちゃんもこうなっちまうかもしれない。いいか? 美咲が宇多葉ちゃんと交わしたかった約束は『憶えていて欲しい』それだけだ。『新しい恋をするな』ってあの子は言ったんじゃない。美咲はただ、自分が宇多葉ちゃんの人生の中で一番であって欲しいと願っているだけだ。そうするかどうかは宇多葉ちゃん次第なんだ」


「……はい」

 柊木さんは、少し悲しそうな、少し嬉しそうな、何て言葉にすればいいか分からない顔をしていた。

 私より長く生きている傷付いた大人の顔であり、私より幼い少女のような煌めきを放つ顔でもあった。

 その(かんばせ)はとても美しかった。

 こんな風に想ってもらえるなんて相手も幸せだと思う。

 私もいつかこんな風な顔が出来るようになったら、美咲は幸せだって思ってくれるだろうか。

 そして柊木さんはそっと長い睫毛を携えた瞼を閉じて、何か決意みたいなものを伴って瞼を開いて、さっきとはまた違う真剣な顔に切り替えて、私と目を合わせてこう言った。


「だから……だからこそ! 酒と煙草とセックスは絶対に切らすな。この三つだけは止めてくれるな若人よ!」


 は?

 ちょっと涙引っ込みかけたんだけど。

 馬鹿ですか。馬鹿なんですか。馬鹿なんですね。

 今物凄くいい話をしてましたよね。


「んふふ」

「柊木お姉さん、私キレていいですか?」

「ごめんごめん。でもさ、アタシは冗談言ったわけじゃないんだよ。悔いることも、想うことも、大切だ。とてもとても大切だ。それでもな、アタシは思うんだ。そんなの死んだ後に幾らでも出来るってな。魂だけになったら、寧ろそれしかやることないだろ? でも酒と煙草とセックスは死んだら出来ねえ。違うか?」

「そういう考え方をするんですね。柊木お姉さんは」

「んふふ。そりゃあそうだろ? 惰性で生きてたって、生きてるってことには変わりない。だったら、教育に悪いこと沢山しなきゃ損だろ?」

「私はそんなことしないですよ」

「嘘こけ。肩にタトゥー入れてんのアタシは知ってるぜ? 誰があの彫り師を仲介したと思ってんだ。誰が二十歳になってないお前らに酒と煙草をせっせと配給したと思ってんだ。どうだ? 反論あるか? 悪い子ちゃん」


 なるほど、その節は本当にお世話になりました。

 くそ、全部筒抜けかよ。

 何してくれちゃってんだよ美咲。

 知りたくなかったよ、こんなこと。

 好きな人の母親に若気の至り全部知られてるとかクッソ恥ずかしいんですけど。

 柊木さん、アンタは人の親としては失格ですけど美咲の親としては百点満点ですよ。

 そのご尊顔に花丸書いてあげましょうか?


「宇多葉ちゃん。きっとこれから……もっと悲しみが深くなる。絶望が深くなる。その二つは忌々しいことに一生付きまとってくる上に、どんどんと鋭さと重さを増していく。だから……宇多葉ちゃんは、取り敢えず酒と煙草とセックスに頼れ。んで、大学を何年かかってもいいからちゃんと出ろ。ぽっくり死ぬまで惰性で生き続けろ。そんで、出来ればでいいからさ。お前が好いた女が交わしたかった約束を忘れないでくれ。これは美咲のお母さんとしてじゃない。鋭さと重さが一秒ごとに増していく喪失の悲しみを、決して癒えることのない傷を、絶え間ない……自殺願望を、交わしてしまった約束を、お前と同じものを背負う女として、柊木流美子という一人の女として、言ってるから。だから生きてくれ──一二三宇多葉」


「──はい。分かりました」


「よし、美少女はやっぱ笑顔が一番だ。泣き顔もそそるけどな。やべえ、今のってセクハラか? 生きづれえ世の中になっちまったなーホントに……ホントに生きづれえよォ! 何がコンプラだクソッタレが! アタシが生まれた時そんなもんなかったっつーの! 『人に優しくする』ってのはそういうことなんかホントによォ! はぁーはぁー……あーマジでよかったー……二十年前に宇多葉ちゃんと出会わなくて。出会ってたらマジで惚れてたかも。そんじゃあ、アタシは帰るわ。おっと、五缶目飲み干さないとな」


「えっと……」

「ん? まだ何かあるか?」

「この家って柊木お姉さんのなんですよね? 私が住み続けるのは、ちょっと申し訳ないというか」

「あぁー……そうねぇー……一応アタシのもんだな。でも今すぐ出てく金もないんだろ? 大学出るくらいまでは住んでていいって」

「いいんですか?」


「学生のうちは美咲との想い出に浸っておけよ。アタシの経験だけど、『とりあえずしゃーねーから惰性で生きてやるかー』ってなるまで年単位の時間がいる。アタシだって毎日泣いて、酒飲んで、煙草吸って、思い出が勝手にリフレインしてた。あー……でもセックスだけはしてなかったんだよなー……なんつったって美咲がいたからな。美咲いなかったら馬鹿みたいにセックスしまくってたな多分。うん、多分な。多分……そういうもんだ! つーかさぁ……そもそもの話、アタシはガキの育て方なんて分からん高卒のガキだってのに、なんでかシングルマザーになっちまったんだぜ? だから……美咲と一緒によく泣いてたよ。夜泣きに合わせてアタシも感情爆発させて大号泣。ホント……懐かしいわ。兎に角、宇多葉ちゃんも多分そうだろ。あー、これは()()()()としてだけど、この部屋には女を連れ込まないでくれると助かる。アタシだってこの部屋に美咲との想い出がつまってんだ。ヤるならラブホ……だっけ? そっち使ってくれよ」


「ありがとう、ございます」


「それに幽霊との同居も案外悪くねえしな。美咲と離れた寂しさで鬱になりかけたけど、頻繁にちょっかいかけてくるから結構気が紛れたし……ぶっちゃけ楽しい。あぁ、この部屋じゃ見たことねえから安心しな。存分に一人暮らしを楽しんだらいいぜ。いやー流石のアタシも最初の頃は意思疎通が上手く取れなくてどうしたもんかと頭抱えてたんだが、今じゃもう完全にルームメイトって感じだ。なんか凄く波長が合うんだよなぁ。友情感じちゃってんだわ。生きてればマブダチになれただろうなぁ。あ! もし来ることあったら宇多葉ちゃんにも紹介してやるよ」


 いや、あの部屋に越してきたのって柊木さんかよ。

 美咲が越してきたってのは私の勘違いだったんだね。

 そりゃそうか、少し頭使えばおかしいことが分かるよね。タワマン住んでんのに事故物件も借りるとか、いくらお嬢様でもあり得ない。

 美咲と暮らせることが嬉しくて舞い上がっちゃってて、そんなこと考えたこともなかったよ。

 てか柊木さんはまだ住んでんのかよ。

 さては美咲、柊木さんに頼んで私のこといろいろ探ったな?

 何でもできそうだもんね、柊木さんって。

 後、絶対にお邪魔したくないです。死ぬほどビビりなんで私。

 そんで幽霊と友達になるとか、やっぱり柊木さんエスパーなのかよ。


 これが初めての恋の結末。



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