第30話 岐路に立つともなく
朝。
トキアス王立大学、イレーネの研究室。
アリアが扉を開け、中へ入る。
「おはようございます」
机の前まで進む。
「父の件の書類です」
差し出す。
イレーネは顔を上げる。
「おはよう」
書類を受け取り、軽く目を通す。
「ありがとう、これで手続きを進められるわ」
一度、アリアを見る。
「ご苦労だったわ」
そのまま続ける。
「お父様は、お元気だったかしら」
アリアは、わずかに間を置く。
「……ええ」
小さく頷く。
「元気でした」
イレーネは、視線を落としたまま言う。
「そう」
紙をめくる。
「何か、いいことでもあった?」
アリアは首を振る。
「いえ、特には」
「そう」
短く返す。
「会ってみると、気づくこともあるものね」
それ以上は言わない。
アリアは、小さく息をつくような表情をして、
そのまま自分の机へ向かう。
書類を広げる。
ペンを取る。
手を動かし始める。
(……もう一度、会ってみてもいいかもしれない)
その思いが、わずかに残る。
(どうして、あの人は、ああいう生き方を選んだのか)
そこまでで、止まる。
それ以上は続かない。
手だけが、淡々と動いていく。
オサリア王国。
ユリウスの執務室。
机に肘をつき、軽くあくびをする。
書類が、山になっている。
そのとき、扉が叩かれた。
「入れ」
短く返す。
扉が開く。
入ってきたのは、ソルだった。
ユリウスの表情が、わずかに変わる。
「……ソル教授」
「どうされました」
ソルは、静かに一礼する。
「殿下に、少々ご相談がございまして」
穏やかな声だった。
「ニールス君のことです」
一拍置く。
「大学として、彼を正式に迎え入れたいと考えております」
「私の後任としても、適任は彼以外におりません」
ユリウスは、わずかに眉を上げる。
「……それを、なぜ私に?」
ソルは、視線を上げる。
「現在、彼が殿下の近くで仕えている立場にあるためです」
言葉は柔らかい。
だが、意図は明確だった。
ユリウスは、軽く息を吐く。
「近くにいるのは、ただの縁ですよ」
「学生時代の付き合いが続いているだけです」
肩の力を抜いたまま続ける。
「私が口を出すことではありません」
「決めるのは、あいつです」
それだけ言う。
ソルは、小さく頷く。
「承知いたしました」
「では、本人に直接お話ししてみます」
一礼する。
「失礼いたします」
静かに扉が閉まる。
ユリウスは、しばらく動かない。
机の上の書類に視線を落とす。
(……悪くない話だとは思うが)
小さく息をつく。
(あいつが、どうするかだな)




