第18話 雨は過ぎて、名残りなお
トキアス王立大学。
いつもの朝。
石造りの門を、ニールスはくぐる。
見慣れた風景。
行き交う人の流れ。
変わらない。
そのはずだった。
「来てくれたか」
ノクスが歩み寄る。
挨拶は短い。
すぐに、歩き出す。
「先日の件だが」
廊下を並んで進みながら、
「感謝している」
それだけ言う。
ニールスは、軽く頭を下げる。
「当然のことを、したまでです」
言葉は、それ以上続かない。
ノクスが、少しだけ視線をずらす。
「オサリアにも、書状は送ってある」
「君の働きについてもな」
間。
「男の方は、身分を剥奪された」
それ以上は語らない。
必要がない。
ニールスも、問い返さない。
廊下の足音だけが続く。
やがて、講堂の扉が見えてくる。
ノクスが手をかける。
「今日は、君に任せる」
「見ているだけにするよ」
扉が開く。
中には、すでに学生たちが集まっていた。
ざわめきが、わずかに止まる。
ニールスが前に立つ。
視線が集まる。
黒板に、簡単な図を描く。
円。
軌道。
言葉は多くない。
だが、迷いはない。
必要な部分だけを、順に示していく。
学生たちは、静かに書き取る。
ノクスは、後ろで腕を組んでいる。
口を挟まない。
講義は、滞りなく進む。
「ここまでにしておこう」
ノクスが言う。
ざわめきが戻る。
「外へ」
短く告げる。
学生たちが立ち上がり、移動する。
外は、強い光に満ちていた。
開けた場所。
簡易の観測器具が並べられている。
ニールスは、一つを手に取る。
角度を合わせる。
位置を示す。
「ここから」
指先で、方向を示す。
太陽の位置。
影の伸び方。
ニールスは、器具の角度を微調整する。
「基準は、ここになります」
短く。
「この位置で、誤差を取ってください」
学生たちが、それぞれの器具に向かう。
角度を合わせる。
目盛りを確認する。
数値を書き留める。
無駄な声はない。
作業だけが、静かに進んでいく。
授業は、静かに終わった。
「……今日は、このくらいにしておこうか」
ノクスが言う。
「夜の観測も、いずれ頼みたい」
「都合のつく時で構わない」
ニールスは、小さく頷く。
「承知しました」
それ以上は、言葉を重ねない。
学生たちが、自然と散っていく。
声は少ない。
足音だけが残る。
器具が片付けられていく。
ニールスは、
それを一度見てから、背を向ける。
建物へ戻る。
石の床に、
足音が変わる。
廊下を進む。
足音が、石に響く。
研究室の前で止まる。
軽く、ノック。
「失礼します」
扉を開ける。
「あら」
イレーネが顔を上げる。
「この前は、本当に助かったわ」
視線が、頬へ向く。
「怪我の具合は、大丈夫かしら」
「……まあ」
わずかに、視線が逸れる。
「アリアは休みよ」
間を置く。
「前から決まっていたものだから」
言葉にしなくても、伝わる。
「もう、落ち着いてきているわ」
それで、十分だった。
「まあ、座っていきなさい」
奥から足音。
「お久しぶりです」
クロエが紅茶を置く。
「ニールスさん」
「あ……ありがとうございます」
湯気が、ゆっくりと立ち上る。
「アリアさんが……本当に、よかったです」
ニールスは、何も言わない。
イレーネが、その横顔を見る。
「アリアは、あなたが思っている以上に強いわ」
「でも――」
わずかな間。
「あなたが思っている通り、脆い部分もある」
言葉が、静かに落ちる。
「支えてあげて、とは……言えないわね」
「お互いに、思うところがあるもの」
ニールスは答えない。
紅茶には手をつけない。
ただ、座っている。
聞きたかったことが、あった気がする。
けれど、
それが何だったのか、もう分からない。
静けさが、残る。
部屋。
アリアは、本を開いている。
文字を追っている。
けれど――止まる。
視線が外れる。
机の上。
天球儀。
指先が触れる。
回らない。
ただ、そこにある。
視線だけが、そこに残る。
ページは、進まない。
部屋には、音がない。




