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薔薇の令嬢と星を見る人 ――社交界に戻った令嬢が、使用人の天文学者を好きになるまでの話  作者: 直助


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第17話 嵐のあと、静けさだけが残る

 蹄の音が、夜の手前を打つ。

 馬は一定の速さで進み続けていた。


 二人とも何も言わない。


 触れている距離のまま、沈黙だけが続く。


 


 やがて、石造りの門が見えてくる。


 トキアス王立大学。


 灯りがいくつかともっていた。


 


 入口の近くに、一人の姿がある。


 イレーネだった。



 馬が止まる。


 

 ニールスが先に降りる。


 地面に足をつけ、一歩引く。

 手は伸ばさない。


 

「……降りられますか」


 

 アリアは答えない。


 そのまま自分で足を外す。

 鞍から降りる。



 わずかに足元が揺れる。

 それでも踏みとどまる。


 

 イレーネが歩み寄る。


「……どうしたの、その顔」


 

 視線がニールスへ向く。

 頬の痕。


 次の瞬間、アリアへ。


 


 服の乱れ。

 土の汚れ。


 

 空気が変わる。



「アリア」


 近づく。


 肩にそっと手を置く。


 

 アリアは俯いたまま。

 わずかに震えている。


 

 ニールスが口を開く。


 短く、必要なことだけを順に伝える。


 

 建物の影。


 人の気配は少ない。


 無理やりの接触。


 男。


 

 言葉は少ない。

 それで足りる。


 

 イレーネは最後まで聞く。


 遮らない。


 

 視線は、アリアに残したまま。


「……そう」


 一言。

 それだけ。


 

 そして、



「あなたがいなければ、大変なことになっていたわ」


 少しだけ力を込めて。


「ありがとう」



 ニールスは頭を下げる。


「……当然のことを、したまでです」


 間を置かず、


「それでは、私はこれで」



 馬へ向かう。


 


「待ちなさい」


 イレーネの声。


「もう暗いわ」


 一歩、近づく。


「泊まっていきなさい」


 

 ニールスは足を止めない。


 手綱を取る。

 鞍に足をかける。

 振り返らない。


「……失礼します」


 それだけ。


 

 馬が動き出す。

 音が遠ざかる。



 残るのは、



 灯りと、夜の気配だけだった。


 



 研究室。



 イレーネの部屋には、いつもと変わらない静けさがあった。


 着替えを済ませたアリアは、椅子に座っている。


 背筋は伸びている。

 だが、力は入っていない。


 

 イレーネが紅茶を置く。


 湯気が、ゆっくりと立ち上る。


「……落ち着いてきたかしら」


 

 アリアは答えない。

 視線はカップの縁に落ちている。


 

「よかったわ。彼が通りかかってくれて」


 間を置いて、


「あなたも……無事で」


 

 言葉を少しだけ切る。


 それ以上は続けない。


 

 沈黙。



 カップに、わずかな波紋が広がる。



 イレーネはそれを一度見てから、


「男に関しては、報告しておいたわ」


 事務的に言う。


 それだけ。

 説明はしない。


 


 アリアは動かない。

 紅茶にも手を伸ばさない。


 

 ただ、座っている。

 いつもとは違う。



 その違いを、イレーネは見ている。


 けれど、口には出さない。


 

 部屋には、静かな時間だけが流れていた。


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