【特別編】第2章-1 聖なる火を灯す精舎(前編)―クル国カンマーサダンマ―
慧は、スターネーシュヴァラから八日、ようやくクル国ハスティナープルに近いカンマーサダンマの街に到着した。
慧が迫害に遭ったSivipura-Paṭiyāで、あの比丘が言っていた事は本当のことらしかった。
クル国の検問所を過ぎて三日目辺りから、折々の村で、村人が四辻や店の前などで、しきりに井戸端会議をしていて、”誰かが来る。いや来ない。カンマーサダンマに来る。いや、インダパッタだ” というような噂話に花を咲かせていた。
当時の市井の人々が情報を入手する手段は、遠方からくるキャラバンや旅芸人、行商人などが土産話として持ってくる”口伝”であった。
慧は、カンマーサダンマの街に明け方に入ると、まだ夜が明けきらない街並みのなかで、チラホラと店を開けて準備しているところがある。
托鉢には時間が早いので、店の前に出て、水を打っている男に尋ねてみた。
Khamatha me. Api pucchituṃ icchāmi._____
Āma, kiṃ?_________
男は顔を上げ、慧の眼を見た。
Imasmiṃ nagare koci āgamissati nu?___
Āma. Samaṇo Gotamo nānājanapadesu cārika
ṃ caramāno dhammaṃ deseti. SoBuddhotipi vuccati.
So Buddhoti vuccati__________
Gotama Buddho!?_____
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(チョット、チョット。
ガンダーラに突然タイムリープしたと思ったら、今度はお釈迦様っていうシチュエーションは、いくらなんでも創り過ぎなんじゃないの?)
慧様
古代インドの遊行の旅、大変ご苦労様です。
ご指摘の件、真摯に受け止めさせていただいております。
古代インド時代、いくつかの国の統廃合と文化の変遷を辿っており、歴史考証も様々な見方がございますが、この物語では慧様がガンダーラへ到着されたのは紀元前584年、ブッダが齢40歳の頃でございます。
すなわち、サーキャ殿下ゴータマ・シッダールタが29歳で出家、35歳で覚醒、阿羅漢でありサンマーサンブッダ(正覺最高位)となった5年後にございます。
また、当時のブッダは誰も真似ができぬほど精力的に諸国を回って説法をされており、サーキャ国殿下の頃に当時のインドに関するあらゆる知識の習得、及びマルチリンガルとなられて、その国ごとに異なる言語で巧みに話されていたものと推察されます。
特に、クル国では中期インド語(クル方言)を巧みに話され、それが後世において、マガディ語、パーリ語に置き換えられたと伝わります。
ご苦労も多いことかと存じますが、どうかお体にお気をつけて。
道中の安泰安吾を心より祈念いたしております。
敬具
令和8年法師蝉
真沙羅院がらむ
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その男の話によると、この街の西へ半ヨジャナ行くとバーラドヴァージャ一族のバラモンが寄進した”聖なる火を灯す精舎”があって、今日の夕刻、ブッダは説法をされるとのことだった。
ヤナカも、
(私も話しを聞いてみたい)
と言っているので、その精舎を確認しておくことにした。
その”聖なる火を灯す精舎”は、街の西側にあって、大きな集会場のような佇まいだった。建屋の周りには手入れのいき届いた広い庭、精舎の右の奥では、ザッザッという音がしている。
そこには、大きな柑橘類の木から落ちた葉を掃いている女性がいた。
彼女の向こうでは集められた落ち葉を燃やして、ぱちぱちという乾いた音、そしてモクモクと白い煙が上がっている。
その焚き火の香ばしく、そしてやや酸味のある匂いがこちらまで漂っている。
精舎の入口は開いていて、建物の横の窓は全て開いていた。
慧は、中を覗いてみると、いくつもの彫刻された柱が立ち、正面の壁際には腰ぐらいの高さまであるレンガ台座の上にガラスのような半透明のカバーに覆われた火が静かに揺れていた。
入口の近くに机と椅子がおいてあり、その椅子に座って顔中シワだらけの男が居眠りをしていた。
慧がその机の前に立つと、顔中シワだらけのその男は、ふいに目を覚ました。
Suppabhātaṃ________
Oho, suppabhātaṃ. Patoyeva, bhante, samaṇo si nu?
Āma, Gandhārato āgatomhi.____
Gandhāra! Dūrato taṃ āgato._________
Ajja sāyaṃ idha Magadharaṭṭha toāgatass Gotamassa bhagavato dhammadesanā bhavissatīti sutaṃ mayā.
Āma, Gotamo bhagavā idha dhaṃmaṃ desessati.____
Jānāmi. Divā pacchā idhūpagamissāmi._____
Āma, taṃ sundaraṃ bhavissati.
Appaṃ, anto oloketuṃ labheyyaṃ nu?_____
Pavisatha, antopavisatha.Anumodāmi.________
ぷ~んと乾いた青草の匂いがした。
中に入ってみると、床には真新しい藁を紐で縛った藁束が一面に敷き詰められていた。
歩いてみると、サクサクと藁の擦れる音が心地よく耳をくすぐる。
ふかふかの座布団の上を歩いているようで、足の裏がとても気持ちが良く、座ってみると、とても心地よい天然の絨毯と言えた。
(これなら、長い時間座って説法を聞いてもおしりが痛くならないな)
(汝、最後まで席を立たずに聞くよう)
(わかってますよバンテ、俺も興味あるし)
(結構)
慧は、その”聖なる火を灯す精舎”を出て、朝日が眩しくなってきた街へ托鉢に行った。
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これまで歩いた街や村とは、托鉢の布施食の内容が異なっていた。
ある家では、麦飯にギーをまぶした、いわゆる”バターライス”に近いもの、ある家では大麦の粥に豆を添えた。
またある家では、小麦の薄焼きパンにギーと糖蜜(ニッパ椰子の樹液を煮詰めて作る黒糖に近い糖)が塗ってあったりする。
米に関する料理は出ない。あとは、れんこんの茹でたものを乱切りにして、そこにもギーと塩とはちみつを絡めた甘いものは、なかなかのものだと慧は思った。
(地方によって、これほど食べるものが違うのですね)
(このジャンブディパは広い、気候も異なる)
(この街は、ギーをたくさん使うようですけど、何故ですか?)
(サンヒターがあり、その中でも重要な祭祀を執り行う際、ギーは供犠の核心である)
(へぇ、ギーは宗教ですか)
(ギーが宗教ではない。ギーが重要だ)
(あ、なるほど...で、そのサンスターってなんすか?)
(・・・・)
(汝よ.......少しは勉強せい)
(へっ?)
(屁ではない。字を学ぶのだ)
(・・・・)
托鉢を終え、林の中で日課の立行と瞑想を行い、太陽が西へ四十五度傾いたところで、”聖なる火を灯す精舎”へ向かった。
[BGM]
“川の流れを抱いて眠りたい”
慧は、大きな欅並木から張り出した太い枝の下をくぐるようにして道を歩いていた。
―バサササッ!―
頭を後ろから叩かれた。
(突然、そんなことする奴がいるのか?)
と思いながら、後ろを振り返ると、そこには誰も居なかった。
前方に視線を移して歩いて行くと、眼の前の祠の上に大きな黒い鳥が止まった。
(カラス?いや違う)
カラスではなかった。
慧はいままで見たことがない異様に大きなその鳥に、慧は寒気を覚えた。
―グァアアッ!―
大きな鳴き声を上げると同時に、黒い鳥は西の空へ飛んでいった。
脚注
◯スターネーシュヴァラ
現在のターネサール(Thanesar)、 ハリャーナ州、インド国
○ジャンブディパ
古代インドの名称。
◯サンヒター
ヴェーダの中心となる教えの書
◯ギー
クル国においては、ヴェーダを中心とした宗教思想が生活に浸透していた。
それゆえ、乳製品文化はきわめて重要な食文化となる。
牛を中心とした乳加工には次のようなものがあった。
• 牛乳(khīra)
• 凝乳(dadhi)
• バター(navanīta)
• ギー(sappi)
ヴェーダ祭祀においてギーは供犠のなかでも最重要供物であり、その宗教上の需要と家庭内での食用は切り離せない関係を結んでいた。
尚、ギー(sappi)のパーリ語sappi は現在のインドネシア語・ジャワ語・バリ語 ”sapi(牛)” に伝承している。
ただし、バリ島はバリ・ヒンドゥー教の信者が90%以上であるため、牛肉は基本的に街や村では売っていない。高級品を扱う富裕層向けの外資系スーパーマーケットには見かける。
※ [BGM]について
物語を眼で追い、BGMを実際に耳で聴く事により、読書体験がより膨らむように選曲。
<利用例>
1. 最初に文章をエンドまで読み終える
2. 次に、BGM の QRコードを読み取り検索。または "(曲のタイトル)" をコピー、Youtube、Spotifyなどでコンテンツを検索
3. 曲を準備してもう一度最初から読む
4. BGM のところまで読んだら曲をプレイ
5. 続きの物語を読んでそのシーンの世界観を拡げる
検索結果が複数出た場合、オリジナルメディアの音源とライブなどバリエーションを聴き比べるのも楽しみ方の一つ。




