第1章-42 前兆 -スーラセナ国マトゥラー-
スーラセナ国マトゥラー下流のヤムナー河畔。
“...āh!”
ナガは、ワジラの右隣にゴロッと転がった。
額にはうっすらと汗がにじみ出ていた。
ワジラの息遣いが手に取るように聞こえてくる。
“Kacci te khamanīyaṃ?”
ワジラはそれには答えず、ナガの厚い胸板の上に頭を乗せてきた。
“Paṭhamaṃ me etaṃ.”_____
“Āma.”
二人は、今にも降ってきそうな満天の星空の下、広い牧草地に寝そべっていた。
ただ、この時だけを体に刻み込むように。
-グォワァァァァ・ァ・ァ・ァァー-
-グォワァァァァ・ァ・ァ・ァァー-
草地の北東側に繋いであるラクダが鳴いた。
五十~六十ダヌスほど離れた東に、キャラバンの牛の群れがいる草地がある。
ナガは上体を起こし、その方向に目を凝らして見た。
しかし、その方角の先には森があり、暗くて様子がわからない。
“Vajire, idheva tiṭṭha. Gantvā passāmi kiṃ pavattati.”
一瞬、ワジラの胸の中に不安がよぎった。
“Tiṭṭha!”
“Khemaṃ.”
“Sādhu.”
ナガは、ワジラを残し、草地の東へと姿勢を低くして歩いてゆく。
ラクダや牛がいるところまで、二十ダヌスに近づくと、どうやら盗賊が投網を牛に投げかけているらしいことが見て取れた。
ナガは、首からぶら下げてあった犬笛を吹いた。
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
―シェーーーーーーーン―
―シェーーーン―
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キャラバン野営地では、天幕の中でジャティラ隊長とモッガラーナ副隊長、カルダッタ副隊長が打ち合わせをしていた。
“Moggallāna upasenāpati, assosi nu?”
“Āma, tiṇabhūmiyā disāya saddo| āgacchati. nikkhamāna ya?”
“Evaṃ, nikkhamāma.”
“Sādhu, vijānāmi.”
モッガラーナ副隊長は警備隊長を呼ぶと、斥候一名、傭兵数名と戦闘経験のある牛飼いを数名、牧草地へ急行させるよう指示を出した。
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その頃、その草地では…
見張り役の牛飼いが三名、投網の中で身動きができなくなっていた。
ナガは、賊に気づかれないように、その網を腰に下げたウーツの剣で切り裂き、中の三名を救出した。
その三名は牛飼いだが、若い頃には兵士としてガンダーラ国の軍隊に籍をおいた退役軍人である。
“Pamādo no ahosi.”
“Kati corā?”________
“Dasamattā ahesuṃ.”_
ナガは、頷くと、
“Dvidhā vibhajāma.”____
“Sādhu, uttarato ca dakkhiṇato ca parivārema.”
ナガとその男は北側へ、そして後の二人は南側へ回った。
山賊のグループは、投網に掛けられ身動きができなくなった牛の首にロープをつなぎ、巧みに投網を回収していた。
牛が二十頭ばかり、一本のロープに数珠つなぎになって、牛の列の前方に三人、後方に三人、左右に二人づつが警護しながら誘導し始めた。
恐ろしく手際が良い盗賊達だった。
“Suṭṭhu ciṇṇakammā ime.”
“Āma, yebhuyyena Pancālānaṃ coragaṇo; accantaṃ kusalā ime.”____________
ナガとその元軍人だった牛飼いの男は、捕らえられて歩き出した牛の列の先頭に回り込んだ形になった。
ナガとその男が、先頭の賊に襲いかかった。
三名の賊の内、二名が応戦した。
残りの一人は先頭のリーダー格の牛に鞭を入れて急がせる。
賊の戦術は匠だった。
最初の攻撃をかわすと、すぐに反撃してきた。
牛飼いの男は腕に傷を負った。
ナガは、相手に跳ね飛ばされて仰向けに転がってしまった。
そこに、相手が馬乗りになってきたと同時に、ナガの顔面に刃を振り下ろした。
ーザクッ!ー
一瞬の出来事だった。
ナガは頭を右横にかしげて、振り下ろされた刃をギリギリでかわした。
しかし、左耳の耳たぶを刃がかすめ、血が吹き出した。
その賊の男は、一瞬にやりと笑ったようだった。
が、
すぐ、第二撃を繰り出すため両手で刃を持ち、そして大きく振りかぶった。
ナガは目をつぶった。
―どっすうんんんー―
ナガが目を開けると、その男の胸に、投槍が突き刺さっていた。
起き上がって向こうを見ると、もう一人の賊は傭兵に喉笛を切られたところだった。
残った一人も、駆けつけた屈強の牛飼いにねじ伏せられていた。
一方、後の二人の傭兵は、牛の列の後方に向かって走ってゆく。
やがて、
“Hāāā!”________
“Ghaṃ...!”___
“Ugha...!”____
“Hāyyo...!”_________
悲鳴だけが、満天の星空に響いていった。
中年の斥候が声を張り上げた。
“Ārocetha pavattiṃ!”
牛の列後方から、傭兵の声がした。
“Dasa paccatthikā nihatā.”
“Amhākaṃ dve janā khatā.”
“Sādhu, khate bhesajamaṇḍapaṃ haratha; sesā avasiṭṭhabhaṇḍaṃ pariyesantu.”
しばらくすると、傭兵の一人が中年の斥候へ報告に来た。
“Sāmi, imaṃ passatha. Na kevalaṃ sādhāraṇacorā viya dissanti.”_______
ガチャガチャと地面に投げ出された武器は次のような物があった。
• ウーツ鋼の長剣
• ウーツ鋼の曲刀
• ウーツ鋼の投槍
“Acchariyaṃ, ettakaṃ ūṭsa-ayasam ādāya core paṭhamaṃ passāmi.”___
“Addhā mahantaṃ yuddhabhaṇḍaṃ atthi. Passa, satthassa daṇḍe lakkhaṇaṃ atthi. Etaṃ ṭhānaṃ dīpeti.”_____________________
“Ūṃ... tena hi bahujanasaṅgahito gaṇo.”____________________
“Mahā ca kusalānaṃ gaṇo bhavissati.”
“Puna āgamissanti, ekaṃsena.”__
斥候は状況を把握し、後の処理を指示すると、馬を翻してジャティラ隊長の元へ急いだ。
BGM
“Hussain Al Jassmi - Boshret Kheir ”
ナガと残った牛飼い達は牛のロープを外したり、斃れている野盗たちを牛の背中に乗せ、森の近くまで行き、フカフカした土(森の腐葉土)を掘り、森の土が匂い立つその穴へ屍を埋めた。
そのへんに転がっていた石を置いてやると、バラモンの牛飼いが弔いのマントラを唱えた。
Aniccā vata saṅkhārā.
Sugatiṃ gacchatu.
Sabbe sattā sukhitā hontu.
実に、諸行は無常である。
善き来世へ赴かれよ。
すべての生きとし生けるものが、安らかであらんこと。
ナガは、先程の牛飼いの男に手伝ってもらい、左耳の傷口の手当をした。
そして、ワジラが隠れているところまで戻っていった。
その頃には、傷口の血は乾いていたが、しきりに傷を心配するワジラをなだめながら、旅芸人一座が野営しているところまで送っていった。
そして...
キャラバンの野営地へ戻るナガの頭上には、鈍く光るAṅgārako が、まるでその先の未来を嘲笑うかのように、赤く浮かんでいた。
“Aṅgārako nu kho eso. Ativiya lohitako.”
ふと、上を見上げたナガはそう呟いた。
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第一章 完
ここまでお読みいただきありがとうございます。
本章はここで一区切りとなります。
次章では、キャラバンの旅路とワジラたちの運命、そして慧の身に思いもよらぬ過酷な宿命が待ち受け、物語は激流へと導かれていきます。
取材と制作準備、構成整理のため、次回更新は8月11日を予定しております。
引き続き、『真愛の軌跡』をよろしくお願いいたします。
【脚注】
◯スーラセナ国マトゥラー
現在のインド・ウッタラプラデッシュ州アグラ付近
Agra Uttar Pradeshm, India




