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第1章-41 迫害(後編) -マドラ国 シヴィプラ・パティヤー-

(前回の続き)

クル国スターネーシュヴァラへ向かう途中の小さな部落で迫害を受け、頭に重症を負った慧。

通りかかった比丘に助けられ、布施主の家で傷の手当を受けた。




布施主は、慧を助けてくれた比丘の実兄夫妻の家だった。


慧は、その家の世話になり二日ほど身体を横たえて安静にしていた。三日めには、傷口はほとんど塞がって乾き、痛みも薄れた。

昼に近くなった頃、慧を助けてくれた比丘がやってきた。







Kacci te p(お加減は)hāsukaṃ?(いかがで).....(すか?)




Anumodāmi(ありがと); idāni m(うござい)e phāsuka(ます。も)ṃ......(う、大丈).......(夫です)




Sādhu, taṃ(それは、) sundaraṃ(良かっ)...()










比丘は、持っていた鉢をこの布施家の実兄に渡した。

すると、兄は鉢の中を覗いて言った。





Idaṃ kho a(これはめず)bbhutaṃ; p(らしい、)halāni dis(果物が入)santi.(っていま).....(すね)




Āma, gāmi(ええ、村)ka-seṭṭhi(長のとこ)to dānaṃ (ろで布施)labhiṃ.(を頂きま).....(した)




Āma, evam(ああ、な) etaṃ.(るほど)





比丘は、この村のシュードラ家系からの出家者だった。




しばらくすると、家主と妻が、丸い座卓を運んできた。

そして、奥に一旦引っ込むとすぐに、大きな器に盛り付けた料理を持って出てきた。



サーリ米と雑穀の飯、タロイモの揚げびたし、炭火で炙った川魚の干物、野菜とムンジャ豆の汁物、村長の布施による果物類



慧と比丘は同じ座卓に着き、食事を始めた。


















(手を出してはならぬ)

(....?)














比丘は布施食を食べているが、慧は食べずにそれを見ていた。

すると、比丘はサーリと雑穀の飯を竹籠の中から掬い、慧の眼の前にある取り皿の上にふっくらと盛り付けた。


さらに、 タロイモの揚げびたし、炭火で炙った川魚の干物を適度に盛り、最後に野菜とムンジャ豆の汁物を白飯の上から掛けた。


比丘は、慧に軽く流し目をすると、再び自分の食事に戻った。



慧は、自分の眼の前に比丘が盛り付けた施食を見つめているうちに、胸の奥がなんとも言いようのない温かいものでいっぱいになってゆくのを感じた。


気持ちが満たされて、手が出ない。

何故か「食べたい」という気持ちが起こらなかった。








(施食を頂戴せよ)

(......)







ヤナカに促されて、ようやく手を伸ばした。

その食事は、これまでに食べたことがない味だった。


味そのものではなく、


”滋味と慈愛に満ちた栄養”


とでも言う、別のものだった。


食事を終わった慧はヤナカに聞いた。







(食事を眼の前にして、腹は減っているのに、胸が一杯で食べる気が起きませんでした。こんなことがあるのですね)


(kāmacchan(欲のカルマ)daṃ を生じねば、自ずとsantuṭṭhi (知足)を会得する)







比丘は、祝福のマントラを唱え始めた。





”Yathā devo vassati, evaṃ Buddhasāvakassa anuggahaṃ dadātu.

Brahmuno devā ca upaṭṭhahantu, bhikkhūnaṃ āhāraṃ balañca bhavantu,

dhamma-sila-paṭipattiṃ rakkhantu.


Yathā sītalaṃ vassadhāraṃ viya, evaṃ sītalaṃ dānaṃ kataṃ imaṃ kusalaṃ,

taṃ pasaṃsantu anumodantu.


Ayaṃ dāyakassa diṭṭhadhammika-samparāyikaṃ puññaṃ hotu,

tassa puññassa sampattiṃ modantu.


Ayaṃ dāyakassa diṭṭhadhammika-samparāyikaṃ vipākaṃ labhatu iti patthayāma.


Maṅgalaṃ bhavatu, maṅgalaṃ bhavatu, maṅgalaṃ bhavatu.”




”恵みの雨が降るように、ブッダの弟子に恵みを与え給え。

梵天と神々の元、比丘の栄養となり法と戒律と修行を守護したまえ。

温かき雨のような、温かい布施をしたこの善業を褒め称えたまえ。

この布施主の今生と来世に功徳となることを喜びたまえ

この布施主の今生と来世に果報を与えることを切に願う

善き吉祥 善き吉祥 善き吉祥”







そのマントラに続いて、慧もマントラを唱える。






“Sukhaṃ vo hotu, dāyakā;


khemaṃ vo hotu sabbadā.


Ārogyaṃ bala-sampattiṃ,


dīghaṃ āyuṃ dadantu vo.


Hitāni ca anukampā,


sabbabhūtānamuttamaṃ;


puññassa phalanubhāvena,


santi hotu nirantarā.”




『施しを与えた人々に、幸いがありますように。

  常に安穏が続きますように。

 健康、力、繁栄、そして長寿が与えられますように。

  すべての生き物に対し、

  慈しみと善意が満ちますように。

 絶え間ない平安が訪れますように』







マントラを終えて、比丘と布施主に向けて合掌をした。

すると布施主の妻の方から、封筒のようなものを差し出された。










(無所有)

(わかってます)









慧は、合掌して頭を下げ、その包を押し戻した。






--------------

比丘の実兄である布施主の家を出て、慧と比丘は再び街道へ向かった。




Sace te ru(よろしか)ccati, ma(ったら、)ma assame(私の庵) āgacchey(へお越し)yāsi?(いただけ)..........(ますか)




慧は、導かれるままに比丘の庵を訪れた。





比丘の庵は、村の外れにあり、一ダヌス半四方の小さな椰子葺き小屋だった。

中へ入ると、小さくて低い寝台が一つと水壺、壁に托鉢用の鉢が下げてある。



それだけだった。





BGM

" محمد سعيد - لو بس"

(↑文字化けではなくアラビア語)

挿絵(By みてみん)




Bhante, id(行者様、)āni katth(これから)a gamissa(どちらへ向か)tha?(われ)..........(ますか?)




Āma, Hatt(はい、ハ)hinapuraṃ(スティナプ) gantvā P(ルを通り)acchāla-j(、パンチ)anapadaṃ (ャーラ国)pavisissā(へ入ろう)mi.(と思い).....(ます)






Evaṃ kho…(そうですか)


Pacchāla-j(パンチャー)anapade sā(ラ国では、)vadhāno b(十分にお)havāhi.(気をつけて)




Hatthinapu(そうだ、ハ)raṃ gaccha(スティナプ)to magge (ル近くに、)Kammāsadh(カンマーサ)ammo nāma(ダンマとい)nigamo at(う街があ)thi.(ります。)




Tasmiṃ na(次の満月)gare āgām(の頃、我)i-puṇṇam(が師であ)āya mama (るゴータ)satthā Go(マ・ブッ)tamo Budd(ダがマガ)haḥ Magad(ダ国より)hā āgacc(遥々、お)hissati.(越しにな)________(ります。)




Kammāsadh(カンマーサ)amme vihā(ダンマの)re dhammaṃ(精舎で説)desessati(法をされ); tattha (ますので、)gaccheyyā(お立ち寄)si, sādhu(りいただ)bhavissat(くと良い)i._____(でしょう。)________(きっと、)________(良い話し)________(を聞ける)_______(と思いま)__()




Ahampi dv(私も、あ)innaṃ div(と2日ほ)asānaṃ a(どしたら)ccayena n(出かけます)ikkhamissāmi.




Evaṃ ce, (そうです)sace taṃ (か。も)nagaraṃ j(し、その)ānissāmi(街がわか), gacchis(れば立ち)sāmi.(寄ってみ).....(ます)





慧は、助けてくれたその比丘に対して、丁寧に礼をしてから、その庵を出ると小道を歩いていった。





-サラサラサラ-



風が西から吹いてきて、あたりの森の葉擦れする音が聞こえてきた。


北方大街道へ続くその道の両側には、腰の高さまである菜の花のように黄色くて小さな花が、道を両側から包み込むようにして咲き乱れ、甘い匂いに混じって少しだけ酸っぱい香りがした。















【脚注】

○シュードラの比丘

この当時、まだカースト制度はなかったが、それぞれの生誕地、家系によって、慣習として民族階層が生まれていたのは確かなようである。

下層民に生まれたものは、そのまま下層民として一生を暮らさなければならない。そのように、社会の構造が形成されていた。

しかしながら、ジャイナ教や仏教は民族層の如何によらず、あるいは異教徒バラモンなどであっても、出家して沙門、比丘になることができた。


◯汁物と白飯

東南アジアやインドでは、円卓を囲んで、複数の人間が食事をする場合、

主菜、副菜は大皿で、汁物は、たいてい、大ぶりの鉢に入れて円卓の中央におかれ、レードルが一緒に出てくる。

味噌汁のように個別に椀で供されるのは稀である。


多くの場合、具だくさんのスープなので、最初から汁と具を掬って白飯に掛け、お茶漬けのような感覚で食したり、具だけ掬って汁は、食事の最後のほうで飯と一緒に食べたりするのが一般的である。


このシーンで出てきた”サーリ米と雑穀の飯” は、ふっくらしたサーリ米に、少々ボソボソする雑穀(稗や粟、赤米や褐米)が混合されているため、比丘は汁物を飯の上にかけて食べやすいようにする心遣いをした。


すなわち、現代での感覚的には、パンジャビ料理の店などで出てくるサラサラとしたカリーをバスマティライス (Basmati Rice)などの上に乗せ、混ぜて食べるのと同じことである。

※パンジャビ料理、パンジャブ料理、いずれも同じであるが、現地人は前者で発音する。




◯沙門、比丘の食事

遊行中、精舎内のいずれの場合でも、沙門や比丘は布施食を食す間、会話はせず無言で通す。

また、布施主も食事の間、その場に座って沙門、比丘の食事を見ている。そして、比丘が食事をしている間に、布施主達は各々比丘の座っている座卓上に封筒に入った布施金を置いてゆくが、厳格な戒律を遵守する比丘は受け取らずに座を離れる。



タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどの国ごとに若干の違いはあるが、概ね托鉢鉢をそのまま器として使う。

座卓に残った料理は、比丘が全員その場を離れた後、布施主達が食べて後片付けをする。

従って、比丘個人の食後の始末は、托鉢鉢ひとつ。


また、ミャンマーの場合、寺院内での食事の専門用語があって、

一般人は、「ご飯を食べる」を次のように表現する。


ထမင်းタミン=ご飯

စားပါサーバ=食べる


しかし、寺院内ではこのように表現が変わる。


ဆန် ဘုန်းပေး スォン ポン・ペー= 米を食む



また、「ここに食事を準備する」という場合、「(食を)集める」という表現になり


ခံတောင်း カン=集める


故に、「托鉢する」というのは、


ဆွမ်းခံတောင်းခြင်း スォン カンジン=米収集


というような表現になる。


挿絵(By みてみん)

[タイ国で一般的な patta(托鉢鉢)]












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