第1章 クマのペンダント -クル国スターネーシュバラ-
クル国スターネーシュバラの検問所。
ワジラのいる旅芸人一座は、検問所まで来ていた。
先を行くキャラバンまでは、まだ三日ほどの距離がある。
座長は検問の役人と話し込み、ロバは草地の柵に繋いで、荷車と幌車は徴税官の下級役人にあれこれ調べられている。
検査が終わるまでには、まだまだ掛かりそうだった。
ワジラは、検問所の手前にあるこじんまりした茶店に入って行った。
ammā!
呼びかけた拍子に、右腕に四本巻いた金の腕輪がシャリーンと鳴った。
女将は洗い物に集中していて聞こえないようだった。奥の方からは、炭火の匂いがした。
ammā!
Handa! … are Vajirā
Cirassaṃ diṭṭhāsi!
Hehe…
Cirassaṃ, ammā!
Khādissasi nu? Taṃ?
Āma.
ワジラは、店の前に出ている長椅子のところで、暗紫色の地色にペイズリー柄を染め抜いた踝まである腰巻きを少しだけ端折ってから、右端に腰掛けた。
西に傾いた日は店の軒先をかすめ、ワジラの足元から一ダヌスほど先の砂地を白く照らし、軒の影をくっきりと黒い砂地にしていた。
今日のワジラは、髪は結わずキラキラする飾りも着けていないが、羊毛を粗めに編んだ生地を暁のような橙色に染めた髪留めで長い髪を頭の左でまとめていた。
Vassaṃ ekaṃ atikkantaṃ nu?
Aciraṃ disvāva, mahantatarā jāti!
女将は手に持った小皿を長椅子の左側に置いた。
小皿の上には、この地方の名物で、ナガも食べていった、あの「ハスの実入りロティの揚げ菓子」が五本のっていた。
Puriso laddho nu?
Hehe…
ワジラは頬がうっすら桃色になった。
Āma kho!
Mukha-vaṇṇo añño jāto.
あけすけな物言いをする女将には、いつもワジラはたじたじになる。
Kiṃ nu kho… kataṃ nu?
(グフッ!)
一瞬、ロティを吹き出しそうになったワジラ。
カッと顔が真っ赤になり、頭から湯気が出ていそうな勢いで、
Na kataṃ!
Hūṃ… ajja kumārikā dīghatarā.
Ahaṃ pana pañcadasavassāya…
Ammā! Khippaṃ!
Tena hi…...cumbitaṃ nu?
Alaṃ, alaṃ!
Cumbitaṃ.
Na…
Cumbitaṃ.
ワジラは右手に持っていた残りのロティを口の中に押し込んだ。
女将は、一旦奥に戻って行き、洗い物の残りを済ませると、お茶を淹れてきてくれた。
Handa, pānaṃ.
Anumodāmi.
Kuhiṃ pacchā gāyissasi?
Hatthināpuraṃ.
Sattāhassa pacchā nu?
Dūro maggo. Nisīda.
Āma, anumodāmi.
女将は、また奥へ戻っていった。
ワジラは、ジャスミンの香りがするお茶を一口飲んでから、ロティをかじった。
-シャクシャク シャクシャク-
歯切れのよい音を立てて、ハスの実の香りが口の中に広がる。
(あぁ、オィチ♡)
店の奥で、水仕事をしていた女将が手ぬぐいで手を拭きながら出てきた。
BGM
"Ace of Base - The Sign"
Sutvāmi kho…
Dve tayo divasā atītā…
Taruno puriso idha āgato.
So pi taṃyeva maṇikaṃ kaṇṭhe dhāresi.
Saccaṃ?!
Nāma kiṃ? Kiṃ avoca?
Nāma na jānāmi.
Ko hi sabbesaṃ nāma pucchati?
Kīdisaṃ purisaṃ? Mukhaṃ kīdisaṃ?
Ekena vacanena…
Āma āma? Ekena vacanena…
Ekena vacanena… aho…
Kiṃ?!
Mukhaṃ vissariṃ.
(ガクッ)
女将はワジラの胸元をちらりと見た。
Tena hi Vajirā…
Kiṃ etaṃ kacchapa-bhallūka maṇikaṃ?
Tārāya dhītāya harita-maṇi na dhāresi.
Hehe…
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十日ほど前 ......
旅芸人の一座は、その日、舞台も移動もない久しぶりの休業日を迎えていた。
美人三姉妹は、向こうの林の中で吊り網を吊って眠っている。
火を吹く大男のバルダは地面に寝転んで本を読み、奇術師のサルバンは椅子に座って木彫り細工をしていた。
ワジラは天幕を出るとサルバンのところへ”スススッ”と近づいて行った。
"samma, Sarvanā」 "
"kiṃ, Vajire? attho nu kho te atthi?"
"sammā eva."
imaṃ dāruṃ passa; ettha me acchaṃ taccha
ワジラは、手のひらに乗る15アングラ程の赤い角材を見せた。
"aho, siṃsapā-dāru idaṃ. dullabhaṃ vata. kuto te laddhaṃ?"
"Jhelumamhā."
"tena hi. Kambojā-Kasmīrato āgatena vaḍḍhakinā nissaṭaṃ labhi tvaṃ."
"acchariyaṃ! kathaṃ etaṃ jānāsi?"
"ko nāmāhaṃ?"
"māyākāro"
ニヤッと笑うサルバン。
"dehi. Kath"
"aṃ pana icchasi, gītikāre Vajire bhadde, imaṃ acchaṃ kātuṃ?"
"ehehi, suṇāhi..."
ワジラは、サルバンの耳元で囁いた。
-サク サク サク-
-シュッ シュッ シュッシュ-
"handa, niṭṭhitaṃ. kaṭakaṃ dehi."
サルバンは彫り上がったクマを差し出し、それと引き換えに、ワジラの翡翠と淡水真珠の腕輪を受け取った。
ワジラが持ったクマからは、ぷーんと削りたての木の香りが匂う。
サルバンは、ためらいもなく腕輪をナイフでプツリと切った。
バラバラにした玉を左の手のひらに置いてワジラに見せた。
"handa, kataraṃ maṇiṃ icchasi gahetuṃ?"
"etaṃ, etaṃ icchāmi!"
サルバンはワジラの選んだ翡翠玉を右手の人差し指と中指で挟んでワジラの目の前で見せた。
と同時に、左手をギュッと握ってパッと開いた。
すると、左手の中にあった翡翠玉も淡水真珠も全部消えていた。
サルバンは左手を差し出し、ワジラからクマを受け取り、クマの胸に翡翠玉を押し込んだ。
ーぱちんー
軽やかな音がして、翡翠玉は赤いシンサパー材で彫られたクマに抱かれるように納まった。
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Āhā, tathā hoti Āma āma anumodamum.
ukhaṃ na sarāmi,
sundaro pana puriso.
Sādhu bhattā bhavissati, nūna.
Ammā! Na tāva.
Kiṃ na?
Laggitaṃ kho!
Uu…
ワジラの顔が再燃焼。
Vāyama.______
Aho Dārako jāto ce ānehī.
Ammā!
言いたい放題言ってから、女将はまた奥へ戻っていった。
自分の座っている長椅子を見つめながら、ワジラはそこをそっとなでた。
そして、顔を上げると東に伸びる北方大街道の遠くを見つめながらつぶやいた。
Nāga…
検問所の向こうは、クル国。
新たな国へ入るワジラには、いつも期待と不安が入り混じった。
しかし、このときワジラには、それらの複雑な気持ちよりも、もっと奥深い闇を抱えたような冷たい何かを感じていた。
Kiṃ nu kho ayaṃ bhāvo…?




