第1章 蛇使いの森 (前編) -マドラ国 ナガ・スーリヤ-
慧は、マドラ国ナガ・スーリヤの森に着いた。
この森に来たことには理由があった。
小さな部落が近い、カップラ・ヴァーサのヴェーダ寺院で祭礼があり、参道に縁日の露天商が大勢出ていた。
その露天商の一角で、蛇使いの父娘に会ったのだが、その娘が、慧を森へ招くように父親にせがんだのだった。
森の周囲には鬱蒼と茂った笹が、まるで森を笹薮が守るように包み込んでいる。
慧は、どこから入ればよいものかと、入口になりそうな笹の切れ目を探した。
すると突然、笹薮の中からきれいな女が出てきた。
女の服装が異端というか...
見方によっては奇抜と言ってもおかしくないのかもしれない。
下はゆったりしたズボンのようなものを履いている。
が、その模様がすごい。
ヘビの鱗を模写したような模様が黒と黄色で一面に描かれている。
右肩を出した上衣は、中に薄い下着のようなものを着て、その上に丈夫な生地に緑、紫、黒、そして赤の入った見たことのない模様が入っていて、身体の正中線から右側が幾何学的な図柄、左が流動的な図柄だった。
風変わりな衣装を纏って、腕には金の腕輪をいくつも着けている。
金の腕輪をいくつもつけるということは、年齢的にも結構上の女性を意味する。
さらに、その女の顔には、mukhalepana、唇にはlohitaka-lepaが塗られている。
明らかに、ある程度の地位か、富を物語っていると言えた。
女は、笑顔で近づいてきて話しかけた。
Bhante, sotthi hotu.__
”Svāgataṃ.”
女のいる方角から風が吹いて、麝香の強い香りが鼻を刺した。
女は、胸の前で手を合わせ、丁寧に頭を下げて戻した。すると、首に短く下げた白い下げ飾りが左右に揺れ、陽射しを受けて柔らかく光った。
よく見ると、象牙に彫られた白いコブラがこちらにキバをむいていた。
友好的な挨拶とは裏腹に、笹薮の向こうからは大勢の視線と緊張感がひしひしと伝わってくる。
”Kathaṃ tumhe imaṃ vanaṃ jānātha.”
”Āma, ahaṃ Kappla-Vāsa-mahāpujjāya Dōra-Sareyu-mātāpitaro addasaṃ.”
”Ahar. Evaṃ kira.”
”Khamaṃ me hotu. Etha, idha āgacchatha.”
その女は、慧を自分が出てきた笹薮の、ほんのちょっとした隙間をさっとかき分けて中へ導いた。
笹薮を抜けると、そこには大小の木が乱立した雑木林が広がっていて、一人で笹薮を抜けてきてもこの先をどうやって進めばいいのか途方に暮れただろう。
その雑木林も、その女はまるでそこに道があるかのようにスイスイと案内していった。時には中腰にならなければならなかったが、深い迷宮を歩くようで、慧には少し楽しい時間でもあった。
そして雑木林を抜けた先には、太い大きな木が、まるで植林されて管理されたかのように、ほぼ等間隔に整然と並んで立つ森になっていた。奥の方まで見通せるように思えたが、奥の方は木の列が違えて立っているようで、見通せなかった。
(この森ってもしかして、天然の城?)
人の手が入ってきれいな森の奥に進むとやがて広々とした森の空間が広がった。
その奥に建屋が何棟か建っている。家というよりは、天然素材のゲルのような造りだった。その家屋らしきものの前に来ると、幅が一ハスタ、長さが十ダヌス近くある長いテーブルが置いてあり、そのテーブルの両サイドには、これも同じ長さの長椅子が取り付けてある。
テーブルは古い時代のものだろうか、飴色をしたきれいな天板と、がっしりした骨格を持つ造りだった。
その女は、慧に中央に座るように勧め、自分は奥のゲルのような建屋に入っていった。そして、すぐに出てくると慧を挟んで向かい側のテーブルの中央に座った。
”Ahaṃ Samirā nāma. Imassa kulassa theriyā dhītā, samaṇikā ca asmi.”
慧は、なるほどそれでこのコスチュームかとなんとなく納得した。
”Tumhe Kappla-Vāse ye addasaṃ, te mama sāmiko ca dhītā ca honti.”
”Evaṃ nāma etan.”
”Mama dhītāpi samaṇikā-vaṃsassa anubhavā hoti. Tasmā tumhe disvāva sā jāni.”
”...He. Kiṃ nāma jānī.”
”Bhante na kevalaṃ sāmañña-pabbajito, api ca tumhākaṃ atirekaṃ kiñci atthi ti.”
”Aha, evaṃ kira.”
慧のこれまでの人生では、霊媒や魔術、心霊や宗教には全く興味がなかった。
ところが、ゆく先々で出会う、占い師やこの蛇使いの一族のような”ある種の特殊能力”を、今は認めざるを得ないようになってきている。
そもそも、自分がこのヤナカの身体に入ってきて”間借り”をする形になっていること自体が、既に自分のこれまでの信念というか、頑なに守ってきた信条のようなものを、バッサリと切り捨てさせている。
”Sāmikāto tumhe kathaṃ sutā eva bhavissati. Kathaṃ pana maññatha.”
”Āma. Saṅkhepena sabbaṃ sutam eva.”
”Evaṃ ce. Atha kho ahaṃ kiñci yeva puna kathessāmi.”
そういうと、サーミラは話し始めた。
”Atītassa vassassa Māgasiramāse, mama pitā, yo imassa janapadassa nāyako ahosi, kālaṅkato.”
”Mama kulassa puttā natthi. Ahaṃ itthī, samaṇikā ca. Itthī pana janapadassa nāyikā bhavituṃ na labhati. Tasmā imassa kulassa santati ucchijjati.”
”Dve sahassāni atikkamitvā pavattitaṃ kulaṃ amhākaṃyeva paccuppannāya pajaṃ pariyosānaṃ gamissati. Api ca mayaṃ dhītaro imaṃ vanaṃ nissāya nikkhamāpetvā aññaṃ jīvitaṃ pāpetuṃ icchāma. Tassa atthassa, imaṃ vanaṃ nissāya pitupitāmahehi saddhiṃ bandhitaṃ ganthanaṃ muñcitabbaṃ.”
”Taṃ pana amhehi attanā kātuṃ na sakkā. Bāhirato āgantvā parisuddhassa puggalassa balaṃ atthi. Anuggahaṃ karotha.”
”Dānabhojanaṃ sajjessāmi. Tvaṃ pana vane caranto vicarāhi.”
サーミラに言われ、しばらく森の中を歩いてみることにした。
森の奥に歩いていきながら、慧はどんな御馳走が出るのだろうかと考えつつも、
(いや、待てよ。なんだか、いつもとは事情が違う)
(何となく、嫌な予感がするのはなぜ?)
自分の中のもう一人の自分、ヤナカに尋ねたが眠っているのか、答えはなかった。
(布施食はありがたいけど...)
(大丈夫かなぁ...)
BGM
“Lagi Bina Saieen Zahoor”




