表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不老不死にはわからない  作者: ある
瞬き

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/74

残滓1

 丘の上に設けられた木製のベンチは、学園の訓練場を広く見渡せる場所にあった。

 夕陽を浴びて、そこにある二つの人影が陽炎のように微かに揺らいで見える。


 アニマは少し離れた場所から、目を細めてその光景を眺めていた。

 網膜に焼き付く橙色の光の向こう側に、ふと、別の記憶が重なる。それは時間の流れの彼方に消え去ったはずの、かつてあそこに並んでいた二人の影――残滓の記憶だった。

 

「ねえ、それで世界は動いているの?」


 純粋で、なんの疑いも持たない無邪気な表情の少女が、隣に座る中年の男に話しかけていた。

 男の語る世界の在り方は、まるで絵本のようにまとまりがない。学術的な整合性も、歴史的な正確さもない、ただの不確かな概念の羅列。それでも男は、柔らかく、どこか誇らしいような響きを帯びた声で、熱心に少女へ語りかけていた。


「そうだ。この世界は決してお前を独りにしない」


 語り終えた男が、少女の頭へと手を伸ばす。くしゃっと優しく髪を潰すように、少し荒々しく、愛おしさを込めてその頭を揺らした。

 少女は糸のように細い目で嬉しそうに笑い、男の言葉をなぞるようにして返した。


「じゃあ、わたしも誰かをひとりぼっちにしないんだね」


 少し予想外の言葉が返ってきたのだろう。男は一瞬、動揺したように目を見開いたが、すぐに相好を崩した。その横顔は、どこか酷く嬉しそうだった。


「わたしが生まれた理由は、誰かを救うためなんだね。わたしってすごい?」


 少女は無垢に男へ問いかける。

 当時の少女にとって、目の前の男が綴る言葉のすべてが世界の真実であり、すべてだった。だからこそ、男がこぼす言葉をひとつも取りこぼさないよう、両手で大切に受け取り、自分の言葉として繋いで返す。


「あぁ、そうだな。お前を創ったのは証明するためだ。……だがもしかすると、お前にとっては酷く辛い時間を過ごすことになるかもしれない」


 男はわかっていたのだ。これからこの少女が、どれほど答えのない残酷な時間の海に迷い込むことになるのかを。


「証明ってなに?」


「お前は世界からの『祝福』だってことをさ」


「それって、誰かを喜ばせることなの?」


 少女なりの、精一杯の「祝福」の解釈だった。男は切なげに笑った。


「そんな生温いものじゃない。光を差すんだ。お前は照らす。未来を。誰かがそうしたかった形を、希望を、幾つもな。――だが、勘違いするなよ。お前はただ、そこにいて照らすだけでいい。選択とは、自分で掴み、自分で感じることではじめて意味を成すんだからな」


「う~ん……難しいけど、やってみる」


 不安そうに、少女は眉をひそめる。言葉の意味はまだ分からない。けれど、隣にいる男の真剣な表情を見て、そうしなくてはいけないのだと本能で理解していた。

 男はそっと、少女の額に人差し指を当てる。


「大丈夫だ。俺がまずはお前を照らす。俺の言葉が、俺との思い出が、俺達の時間が。お前を独りじゃないと証明してやる」


 ――ふっと風が吹き抜け、ぼやけていた残滓が、現在の形へと収束していく。

 かつての残り香はとうの昔に時間の流れへと失せていた。その代わりに、いまあそこのベンチに留まっているのは、あの二人だ。

 形から入り、夫婦と称された今日、アニマの大切な子供たちを教え導いた者たち。


 二人の影が夕陽によって長く伸びていく。

 意思を持つように這い寄ってくる「存在」の影。その先端が、じわじわとアニマの足元へと届いた。

 アニマは悪戯っぽく唇を吊り上げると、ふっと片足を浮かせ、悪びれもせずその影の端を踏み抜いた。


「こんな時間を選ぶ者もいるのね」


 ぽつりと、アニマの口から独り言が零れる。

 自身はこの学園に留まり、子供たちを見守ることを選んだ。それは長い時間を経て、無数の選択肢を削ぎ落とした末に辿り着いた、アニマなりの答えだった。習慣と呼んでもいい。長く定着した在り方というのは、そう簡単に変えられるものではないのだ。

 その重ねた時間こそが「自分」という概念を生み、形として定義し、自己となる。アニマはこれまでの長い生の中で、そんな風に己を確立させていく者らを幾つも見てきた。まるで世界が最初から与えていたパズルのピースを、あるべき場所にはめ込んでいくかのように。


 彼女もまた、そうなるのだとばかり思っていた。きっと果てしない時間が、彼女という不変のピースを強固に形作っていく。決して動けない、動こうともしない。

 そう思っていた。しかし、違ったのだ。


 彼女は、世界の用意した枠組みから外れた。

 そのきっかけになったのは、間違いなく隣に座るあの彼だ。彼が彼女を変えた。それも、パズルのピースを無理やり動かすような乱暴な方法ではない。彼女の形そのものを、内側から作り変えてしまったのだ。決まった在り方に囚われないように、どこまでも自由であるように。

 そして何より、その自由の中で「選んだ」のは、彼女自身だった。自分の意思で、妻として男の隣に立つと決めたのだ。


「もう、私は変われない。そのくらいの時間が経ってしまったものね」


 クスっと、どこか皮肉をはらんだ自虐のような声が出る。けれど、不思議と悔しくはなかった。


 アニマの役目は、ただ世界に光を差すこと。世界の陰りを払い、そこに集う者たちの姿をありのままに映し出すこと。そして、子供たちがどのような選択をして生きていくのかを、特等席から眺めるだけ。それだけで、アニマの心は十分に満たされていた。


 だが、対称的に彼女は歩く。定まることなく、この世界をその足で進んでいく。

 かつてアニマ自身が世界を知り、自分を確立していった過程とは、決定的に、根本から何かが違うのだ。

 まだ、彼女が抱く問いの本質まではわからない。けれど、アニマは絶対的な確信を持っていた。彼女は、自分とは違う。なぜなら――。


「ぷっ、あはは!……本当に、鈍感すぎるわ、あの子」


 こらえきれず、可笑しさが笑い声となって言葉に混ざる。

 先ほど、男の肩に頭を預けておきながら、その理由を大真面目に「本の観察記録の実践」だと言い張っていた彼女。その不器用な鈍感さの正体が何であるか、アニマには手に取るように分かっていた。けれど、それをわざわざ無粋に言葉にする必要がないほどに、彼女の心の動きは純粋で、初々しい。


 夕暮れの風が、どこか甘い匂いを孕んで吹き抜けていく。時間を越えて、かつて自分を照らしてくれた「彼」の匂いが、一瞬だけ帰ってきたような気がした。


 アニマは優しく目を細め、遠いベンチの二人を見据える。


「あなたたちの時間を、この学園に居る合間は守ってあげるわ。……だって、私は『祝福』なのだから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ