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不老不死にはわからない  作者: ある
悪しき彼女の景色

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変革

 子供たちの歓声が、丘へ広がっていた。泡から生まれた生き物たちが駆け回る。草原を跳ねる獣。空を漂う羽虫のような光。木々へ変わった泡は枝葉を揺らし、花となったものは風に散っていく。


 その中心で、子供たちは夢中になって遊んでいた。存在は静かにその様子を見守り、男はそんな彼女をどこか誇らしげに眺めている。

 誰も気づかない。少し離れた場所で、学園長がそっと踵を返したことに。杖を静かに鳴らしながら、丘道をゆっくりと歩いていく。子供たちの笑い声は、背後からまだ聞こえていた。


「……ふぉ」


 小さく息を漏らす。その顔には、どこか懐かしむような色が浮かんでいた。

 学舎へ戻る道中。学園長は、長い時間の流れを思い返していた。昔と比べれば、世界はさほど劇的には変わっていない。空は同じように青く。草木は芽吹き。人は泣いて、笑って、生きている。


 それでも確かに変わったものがある。


 魔法への向き合い方だ。若い頃。まだ学園へ入ったばかりの頃は、魔法とは“力”だった。もっと正確に言えば。戦うためのもの。軍事攻略の一端として、人々は魔法を求めていた。


 街には英雄譚が溢れていた。


 剣を掲げる騎士。国を守る兵士。そして、戦場を焼き払う大魔法使い。

 軍は若者を募るため、美学を語った。

 国のため。誇りのため。守るため。


 そうした物語は眩しく、幼い心を容易く惹きつける。


 魔法使いもまた同じだった。

 強大な炎を放つ者。空を裂く雷を落とす者。戦局を覆す奇跡の使い手。それらは憧れとして語られていた。


 学園長自身も、違和感を抱きながら、それでもその輝きに惹かれて学園へ入った。


 結局のところ。戦争など、遠い噂話のようなものだったからだ。


 自分が本当に魔法を戦いへ使ったのは、魔物退治くらい。巨大な竜を、騎士たちと共に狩ったこともあった。

 今では知る者も少ない古い伝説。あの頃は、若かった。無茶もした。


「……本気で向き合ったのは」


 ぽつりと、学園長は呟く。


「アニマくらいじゃったかの」


 自然と笑みが漏れた。


 あの娘だけは、違った。戦いでも。勝敗でも。権威でもない。

 ただ純粋に、魔法そのものを見ていた。

 だからこそ、自分も全力で向き合った。


 そして、幾度となく敗北した。無惨なくらいに。

 魔力の質。純度。技術。

 そんなものではない。


 根本から違う。 “扱う”ではないのだ。もっと別の場所、共存。魔法を支配するでもなく、従えるでもなく。ただ、共に在る。あれはきっと。途方もなく長く、この世界へ存在した者にだけ見える景色なのだろう。


 学園長は空を見上げた、白い雲が流れていく。思えば、学園もまた、変わり始めていた。元々、自分が求めていたのは純粋な学び舎だった。戦いのためではなく、競争のためでもなく、未知を知るための場所。

 それを理想として、学園長になってから何十年も積み重ねてきた。今振り返れば、変わっていたのは、自分が築いたからではない。いつの間にか、生徒たちの側が変わっていたのだ。


 研究に目を輝かせる者、生活へ魔法を落とし込もうとする者、誰かを楽しませるために魔法を使う者。争いではなく、寄り添う方向へ。


 ――時間。それが積み重なった結果なのだろう。


「……長く生きたもんじゃ」


 自嘲のように笑う。もう老いを感じるほど、この学園と共に時を歩いていた。


 そして、丘の途中で、もう一度だけ振り返る。遠く、泡の生き物たちが、まだ子供たちと遊んでいた。そこにはもう、昔の姿はない。


 軍事も、力への渇望も、高みへ至るための殺気も。ただ、笑い声だけがあった。


「……なるほどのぉ」


 あの光景を作ったのは、あの二人だ。

 存在。魔法の深奥を、世界そのものの視点から語る者。そして男。その難解な道理を、人へ届く形へ変換する者。橋渡し。


 二人は、対で意味を成している。どちらかだけでは足りない、存在だけでは遠すぎる。男だけでは届かない。


 だからこそ、人の世界へ落とし込める。


「ふぉっふぉっふぉっ」


 学園長は、楽しそうに笑った。


「生い先短いわしにも、まだやるべきことがあるようじゃ」


 変革。きっと苦労も多い。学園内で反発もあるだろう。古い価値観は、そう簡単には消えない。


「なんとかなるじゃろ」


 学園長は言い切った。


 杖を鳴らし、陽気な足取りで歩き出す。背中にはもう、迷いはなかった。彼もまた。新しい時代へ踏み出そうとしていた。





 あれから、訓練場はすっかり奇妙な熱気に包まれていた。


 泡の生き物たちに歓声を上げ、追いかけ回し、転び、笑い、そして飽きる。子供という生き物は、本当に移り気だと存在は思った。

 先ほどまで目を輝かせていた幻想も、しばらくすれば「もっと別の何か」へと変わっていく。だが、その変化の速さは不快というより、どこか自然な流れに見えた。


「今度はもっと大きい鳥!」


「喋るやつ!」


「あと空飛ぶお城!」


「欲張りすぎよ」


 存在は呆れたように言う。


 だが、以前ほど拒絶の色はなかった。

 子供たちは、まるで波のようだった。一人が騒げば全員が騒ぐ、興味を持てば一直線。そして、興味が尽きればすぐ次へ向かう。


 理屈ではない。けれど、理解不能でもなくなり始めていた。


「見せてほしいなら、条件があるわ」


 存在がそう告げると、子供たちがぴたりと静かになる。


「あなたたちの魔法が上達したら、もっと面白いものを見せてあげる」


「ほんと!?」


「ええ。だから励みなさい」


 その瞬間、子供たちの目の色が変わった。


「今日ぜったいうまくなる!」


「俺、火を三つ出せるようになる!」


 単純だ、と存在は思う。同時に、効率的でもあるとも感じた。


 興味に対して、驚くほど没頭できる。褒美があるだけで、あれほど素直に動く。


(……扱いやすいのね)


 そんなことを考えた自分に、少しだけ眉を寄せる。だが、隣で男が吹き出した。


「今ちょっと教師っぽかった」


「……どういう意味?」


「いや、ちゃんと“やる気”を引き出してたからさ」


 存在は小さく鼻を鳴らす。


「合理的なだけよ」


「うん。でも、そういうの大事なんだ」


 その後、訓練場は自然と二つに分かれていった。


 一つは、それぞれ魔法の練習に戻る子供たち。もう一つは、男と存在の周囲へ集まり続ける子供たち。


 即席の授業のようなものだった。とくに、あの眠たげな少女は、存在からぴたりと離れなかった。


「先生」


 いつの間にか、そう呼ぶようになっている。存在は最初、その呼称に違和感を覚えていた。だが、訂正するほどでもなかった。


「先生、泡が今日は元気ない」


「魔力が乱れているんじゃない?」


「喧嘩したのかな」


「……その解釈は初めて聞いたわ」


 存在は難しい言葉で説明する。


 魔力の流動、象徴化、精神構造との結び付き。世界との共鳴。


 当然、子供たちは途中からぽかんとし始める。


「つまりね」


 そこで男が口を挟む。


「泡ちゃん、今日はちょっと拗ねてるんだよ。ここの空気はいつもと違うだろう? 少し乾いていて、泡にとっては都合が悪いのかもしれない」


「じゃあ仲直りしなきゃ」


 存在は横目で男を見る。雑、あまりにも雑。なのに、子供たちは理解していた。


 存在の言葉を、男が噛み砕く。概念を、人の感覚へ落とし込む。それは先ほどから何度も繰り返されていた。


 やがて男は、さらに脱線し始める。子供たちの興味はすぐに変わる、あまりにも急に、自然に。内容は魔法から物語へ。男はその流れに覚えがあった。かつて、弟と妹が本の読み聞かせをせがんだように。


「昔ね、変な女の子がいたんだ」


「変なの?」


「うん。全然笑わないし、怖いし、人の話聞かないし」


「最低ね」


 存在が即座に返す。


 男は笑った。


「でも、ある日、その子が迷子の犬を拾ったんだ」


 子供たちは自然と耳を傾ける。


 男の語りは上手かった。難しい説明ではない。けれど、情景が浮かぶ。まるで童話を聞かせるように、柔らかい。


「その子は“別に助けたわけじゃない”って言うんだけど、犬はずっと懐いててさ」


「犬ってすぐ好きになるよね」


「僕は、パンくれる人好き」


「お前それだけだろ」


 笑い声が広がる。男もまた笑った。


「でもね。その子、最後にはその犬と友達になったんだ」


「へぇー」


「変なの」


「うん。理屈なんてなかった」


 男はどこか懐かしそうに目を細める。


「ただ、一緒にいたかったんだと思う」


 存在は、その話を静かに聞いていた。


 人間を模した女。ただの犬。


 理解しようとして。分かった気になって。間違えて。それでも隣にいる。


 とても都合が良い。隙間だらけの空想。そんなもの、本来成立するはずがない。


(……くだらない)


 存在は思う。そう思うはずなのに。なぜか、その“くだらなさ”が引っかかった。


「この学園って、エルフとか獣人もいるけどさー」


 子供の一人が言った。


「先生は見たことない感じがする。耳尖ってないし、獣耳もないのにさ」


「アニマちゃん系?」


「アニマちゃんは人間じゃないでしょ。でもアニマちゃんより怖いかも」


「否定はしないわ」


 存在が淡々と返す。男は苦笑しながら肩を竦めた。


「この世界には、もっと色んな人たちがいるのかもしれないね」


「もっと?」


「うん。もしかしたら、すごく身近に」


 そう言って、男はちらりと存在を見る。存在は気づいていた。だが何も言わなかった。代わりに視線を落とす。いつの間にか、女の子たちが自分の周囲へ寄りかかっていた。

 一人は肩へ、一人は腕へ、一人は膝に頭を乗せている。眠っていた。魔力訓練で疲れたのか、ぽかぽかした陽気のせいか。小さな寝息が、規則正しく響いている。


 存在は、その光景をじっと見下ろした。拒む気は起きなかった。むしろ、奇妙な静けさが胸の内にあった。

 暖かい。騒がしかったはずなのに。鬱陶しいと思っていたはずなのに。それなのに、なぜか落ち着いている。肩へ乗る重み。体温。柔らかな呼吸。それらが、不快ではない。


「……おかしい」


 存在は、小さく呟く。


「これは病気よ……。こんなこと、あるはずがないもの」


 まるで、自分自身を確かめるように。存在は困惑した声で続ける。


「私は、本来こういうものを……と感じるはずなのに……」


 視線を落とす。眠る少女が、安心しきった顔で存在へ頬を寄せていた。

 存在はしばらく黙り込み――。やがて、本当に僅かにだけ。指先で、その髪を撫でた。


 それを見た男は、何も言わなかった。ただ静かに、優しく笑っていた。

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