ために
少女の瞳が、先ほどまでとはまるで違っていた。眠たげだった目は、今はまっすぐ存在を見つめている。遊びではない、興味本位でもない、本当に知りたいのだ。
どうすれば、もっと泡と一緒にいられるのか。その真剣さに、存在はほんの少しだけ目を細めた。幼い、未熟。それでも、自分の感覚を、自分の言葉で語ろうとした。
その姿勢には、確かな敬意を払う価値があった。存在は静かに口を開く。
「……あなたの感覚は、間違っていないわ」
少女が瞬きをする。
「魔法は、生きているように感じることがある。応えてくれることも、寄り添ってくれることも」
周囲の子供たちが静かになる。
「その感覚を、私は否定しない」
存在は、空中を漂う泡へ視線を向けた。
「私たちは“扱う側”に立っている。魔力や象徴――シンボルを介して、目に見えないものを現実へ引き込む」
泡がふわりと揺れる。
「あなたたちは、それを無意識にやっているの」
存在の声は静かだった。けれど、不思議とよく響く。
「こうありたい。こうなってほしい。そういう意思が、現実を立ち上げる」
子供たちが真剣な顔で聞いている。
「それを、あなたたちは“魔法”と呼んでいる」
少女は泡を見つめた。自分の感情に寄り添う、小さな存在。
「でも」
その言葉で、空気が少し変わった。
「それだけでは、結局――ただの鏡映しの操作にすぎない」
「……かがみ?」
少女が小さく呟く。
「自分の想像を模しているだけ、ということよ」
存在は周囲を見渡した。
「怖いから、安心したい。寂しいから、寄り添ってほしい。嬉しいから、もっと近づいてほしい」
それは自然な感情だ。
「とても、勝手」
子供たちが少しだけ目を丸くする。
「世界は、あなたのためだけに在るわけじゃない」
風が吹く、草が揺れる、遠くで誰かの魔法が弾ける音。
「世界は、動いている」
存在の瞳が、空を映す。
「あらかじめ定まった在り方なんて、まやかしよ」
その声は、どこか遠くを見ていた。
「魔法も同じ。あなたの想像だけで閉じていたら、本当の意味では“出会えない”」
少女は困ったように眉を下げる。理解が追いつかない。けれど、聞こうとしている。
存在は少しだけ言葉を選び直した。
「……例えば、泡」
ふわり、と泡へ指を向ける。
「あなたは、“自分を安心させてくれるもの”として泡を見ている」
「うん」
「でも、泡はそれだけじゃない」
存在は静かに言った。
「水と空気が混ざり合って、一瞬だけ形を保ったもの。触れれば壊れる。不安定で、流れて、消えていく」
泡がゆらゆら揺れる。
「でも、その不安定さがあるから、光を映せる」
少女が、少しだけ目を見開いた。
「泡自身にも、“在り方”があるの」
存在は続ける。
「あなたの感情だけじゃなく、泡そのものを知ろうとしてみなさい」
「……知る?」
「ええ」
存在は頷く。
「もっと声を聴くこと。もっと関係を結ぶこと」
その声は、どこか優しかった。
「世界は、ずっと呼びかけている」
子供たちの目が、自然と存在へ向く。
「気づいてほしいって」
静寂。風だけが吹いていた。
子供たちは、言葉を失っていた。それは説明というより。まるで、“魔法そのもの”が語りかけているようだったから。
少女は、困ったように泡を見つめる。
「……うぅ」
頭が追いついていない。けれど、何か大切なことを聞いた気がする。そんな顔だった。一方で、周囲の子供たちは。
「え、俺の火って喋るの?」
「風に聞けばいいのか?」
「水に謝ったほうがいい?」
「泡ってそんな深いの!?」
大混乱だった。頭を抱えている者もいる。湯気みたいに頭から魔力を漏らしている者もいる。ぽかーんとしている者もいる。
「お前の魔法、喋る?」
「いや知らん!」
「でも呼びかけてるって!」
「怖ぇよ!」
完全に、情報量が多すぎた。男は、その光景を見ながら苦笑した。
(……ああ、うん)
これは、存在らしい。相手によって態度を変えない、遠慮もしない、理解力を加減するという発想が薄い。
目の前の問いへ、誠実に答えようとした結果がこれだ。
(子供には、もう少し噛み砕いた方がいい)
このままでは、“凄い話をされた”で終わってしまう。
理解へ辿り着けない。男は、小さく息を吐いた。そして前へ出る。
「ん?」
存在が視線を向ける。男は、子供たちの前へ立った。手をひらひら振る。
「はいはい。ちょっと整理しようか」
子供たちの視線が集まる。男は、自分でも思った。
(……僕、何やってるんだろうな)
相手は、存在だ。世界の見え方そのものが違う。その言葉を、自分が説明する? 無茶だ、あとで絶対に後悔する。それでも、夫として、この妻の役に立てるなら。
男は、にっと笑った。




