らしさ
鏡の前に並んだ二人の姿が、朝の光の中で静かに揺れていた。
存在は無表情のまま、静かに髪を梳いている。その隣で、妹が髪留めを片手に器用に指先を動かしながら、ふと口元を緩めた。
「……ねえ、なんかさ。夫婦になってから“初めてのデート”って、変じゃない?」
「そう?」
「変だよ。普通は逆なの。普通はさ、デートして、付き合って、結婚して……って順番があってさ」
存在は梳いていた手を止め、鏡越しに妹を見た。
「私たちは、順番に意味を持たない関係だった。必要だったのは、選ぶこと。それだけだったのよ」
「うーん……相変わらず不思議なこと言うんだね。でも……」
妹はくすっと笑いながら、ひとつ髪をまとめてから手を止めた。
「……やっぱり、式のときも思ったけど。二人の掛け合いって、なんかおかしい。変だけど、見てて和むっていうか」
存在は少しだけ首をかしげた。妹はくるりと身を引いて、完成した髪型を鏡に映して見せた。
「はい、服も髪も完璧。これでばっちり“可愛いお嫁さん”になってるよ」
存在は鏡を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……何か一つでもいい。彼に、私を“好き”だと思ってもらえる何かが、欲しい」
その言葉に、妹は一瞬目を見開いたあと、ふっと優しく笑った。
「……一番は、笑顔だよ」
「笑顔?」
「うん。こんなに可愛いのに、勿体ないよ、そんなに無表情ばっかじゃ」
存在は鏡の中の自分を見つめ、試しに口元を少しだけ上げてみた。目元も釣られて細くなり、不慣れな筋肉の動きに違和感が走る。
「……こう?」
妹は目をぱちくりさせてから、ちょっとたじろぐように身を引いた。
「……ちょっと待って。いきなりやられると……なんか、破壊力あるっていうか、なんか、反則っていうか……」
「破壊?」
「うん。目が死んでる……というか、無理に笑うと怒ってるみたい……」
妹がわたわたと手を振っていると、部屋のドアを「コン、コン」と軽く叩く音が響いた。
「……僕だけど、準備できたかー?」
男の声に、妹は振り返って、ふわりと微笑んだ。
「準備ばっちり。あとは――」
存在の手をそっと取り、鏡の前で整えた前髪を直してやると、小さく囁いた。
「……無理してやるもんじゃないよ。自然にできた時のほうが、きっとお兄ちゃんは喜ぶから。いってらっしゃい」
「わかったわ」
存在は、ほんの少し照れたように、けれど確かに微笑んだ。
それはまだ、ぎこちない仮初の笑みだったかもしれない。
けれど、確かにそこに“人間らしさ”の種が、芽吹き始めていた。




