殴るわよ
夜が更けていた。
窓の外には虫の声が微かに響き、部屋の中には、今日一日の熱がまだほのかに残っている。
男は椅子に座り、存在はベッドの縁に腰掛けて、二人で静かに今日の出来事を振り返っていた。
「面白いわね。人間の魔力って」
存在がふと呟く。
「兄弟、どちらも“風”の資質があった。それなのに、表れ方が全然違う。弟さんは怒りで魔力が膨れ上がった。でも君は、違った」
「僕は……君の声があったから」
男はそう言って、ゆっくりと天井を見上げる。
「信じられたんだ。自分にも風があるって。それは……形じゃなくて、関係で生まれた魔法だったと思う」
存在は微笑んだ。
「かもね。人間って、そういう理解ができないことをしでかすのが、いいところね。予測不能で、不安定で、でも……面白い」
しばらくの沈黙のあと、男が毛布を取り出し、床に寝ようと立ち上がったところで、存在が肩越しに声をかけた。
「ちょっと。何やってるの?」
男は一瞬固まる。
「……床、僕の定位置だろ?」
「何言ってるの。もう夫婦なんだから、一緒に寝るものでしょ?」
当然のように言うその言葉に、男はしばらく目をぱちぱちさせたあと、こくりと頷いた。
「……いいの?」
「ええ」
男は恐る恐るベッドに横になり、存在の隣に身を沈める。彼女は背を向けたまま、静かに呼吸していた。
数秒の沈黙が流れたのち、存在がぽつりと呟いた。
「……式のときの、花冠。あれ、心地よかったわ」
「……うん」
「今は、頭が空いてるわね」
その言葉に、不器用なりにねだるような言い回しに、男は察した。微笑し手を伸ばす。そして、彼女の柔らかな髪を、指先でやさしく撫でた。
「……わるくないわね」
しばらく撫でていると、存在が少しだけ肩を揺らした。
「……寝てるときに、変なことしたら……殴るわよ」
いつもの調子で言ったその言葉に、男はふっと笑った。
以前なら、「殺すわ」だったはずだ。そんな物騒な彼女が、今は「殴るわ」と言っている。
それだけで、十分だった。関係は、静かに、でも確かに、進んでいた。
「……おやすみ」
男はそう呟いて、目を閉じる。
窓の外から流れ込む風は穏やかで、今夜は少しだけ、あたたかかった。




