儀式
部屋の窓辺に、ガラスの器がひとつ置かれていた。
男がさきほど町から持ち帰ったブーケを、丁寧に水に差して飾っている。
「ほら、なかなかいい感じに収まったと思わない?」
振り返った男の手に、ふわりと香りが残っていた。
存在はその花に目を向け、わずかに首を傾げる。
「……あら」
「どうかした?」
「……君の手から、花の匂いがしたのかと思ったら……違うわ。私、なのね」
男は目を瞬き、それからふっと笑う。
「気づいてたけど、君から……今日はすごく花みたいな、柔らかい香りがするんだ。なんというか、空気が静かになる香りっていうのかな」
「空気が……静かになる?」
「うん。落ち着くってこと。君がそばにいると、余計な言葉を探さなくてよくなる」
存在はその言葉に返事をしないまま、窓辺の花に視線を戻す。
月明かりを受けて、花弁の影が壁に伸びていた。
「……人間って、どうして儀式にしたがるのかしら。祝い事も、別れも、何かあるたびに形にして――今日は、その“群れ”を覗いたの」
「……群れ、か」
男は花瓶の位置を少しずらしながら、言葉を探すように話す。
「儀式に限らず、誕生日とか……何かを成し遂げたときとか。たしかに、特別な日を作って残そうとすることは多いかもしれない」
「そんなことをしていたら、人生のほとんどが“儀式”で終わるじゃない」
「……考えたことなかったけど、そう言われたら、たしかに……」
男は少し肩をすくめ、笑う。
「僕たち、人間って……誰かのために時間を使ってばかりいるのかもしれない」
存在は、まるで感情を込めることを避けるように、あっさりと返した。
「哀れね」
男はそれでも、否定せずに微笑んだ。
「……たぶん、確信が欲しいんだと思うよ」
「確信?」
「そう。出会った人との関係が、ちゃんと“あった”ってこと。名前や形や言葉で、それを確かめたい。
それを相手と一緒に共有して、『僕たちは同じだね』って言いたいんだ」
その言葉に、存在はゆっくりと瞬きをした。
そして、問いかける。
「……私たちにも、そういう“確かさ”はあるのかしら?」
男は少し考えてから、苦笑する。
「まだ曖昧だけど――いつかわかればいいね」
会話が途切れ、部屋は再び静けさに包まれた。
窓の外では、雲の切れ間から月がのぞいている。
月光に照らされたブーケの花は、さきほどよりも、少し違う色に見えた。




