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虚空の街  作者: 数ビット
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 そして夏が過ぎ秋が深まった。そろそろ次の冬に備えなければならない。

 結論を言えば東京では何の成果も得られなかった。


 幾つかの街を抜けて太平洋側の道路を自転車で走り、2週間ほどで東京に着いた。日中しか移動せず、体力的にも無理をしないようにして、通りかかる街の様子を調べながらの自転車旅行なので、思っていたよりも早く東京に着いた気がした。


 春から梅雨の季節になる頃だと思われたが、東京の街は寒々しかった。

 迷路のように不規則で狭い道路の古い町並みを自転車で抜け、新興住宅街を通り過ぎ、山手線に沿って東京の中心部を走り回った。

 もちろん常に「誰かいませんか」と声を上げ続けたが、返事は無かった。


 都心部の空虚っぷりはまるで映画のオープンセットのようで、高いビルも風切り音を響かせるオブジェでしかなく、地下歩道は廃坑のように空気が澱んでいた。


 僕は新宿の小さなビジネスホテルに無断で泊まり、しばらく東京の街を探索し続けた。


 東京と言えど24時間営業の見せはさほど多くなく、扉や窓ガラスを壊さずに忍び込めるような店や建物も少なかった。誰もいないのだから少々壊しても構わないようにも思えたが、僕が生きるだけなら無闇に破壊しなくても十分であったし、僕はまだ軍手をして出来るだけ指紋などを残さないようにしていた臆病者だ。既に随分と捨てているとはいえ僕が唯一の人間だとしたら僕がモラルを捨てた時が世界からモラルが失われた時という事になる。誰もいなくとも出来るだけ軽犯罪で済ませたかった。


 東京では24時間営業ながら僕が近付かなかった場所も調べた。

 病院だ。

 この場所は人がいなくなる以前から、人が亡くなる場所だ。人は生まれる時と死ぬ時には大抵は病院という施設のお世話になる。


 例えば人がいなくなったのがネットが更新されなくなった深夜12時だったとして、そのタイミングで救急病棟に運ばれてきた人は、もしくはその直前に亡くなった人はこの状況下でどうなっているのか?と考えると、とても病院に近付きたい気分にはならなかった。概ね1年近く放置されている御遺体があるかもしれないのだ。


 一方で病院には自家発電システムがある筈だった。停電時でも医療活動が出来るよう大きな病院にはしっかりした発電機が用意されている。

 また異変に際して病院が使われたのかを知りたかった。もし病院に何かの痕跡があれば治療が必要な事態が起きていたという事になる。それは自然災害での怪我人かもしれないし放射能かもしれず、大変な事が起きていたという事の証明にしかならないが、1年近くも経って何もわからないより不幸な事態でも目を背けていられないと思ったのだ。


 電気の消えた病院の中は暗く、日中でもとても不気味だった。僅かに消毒液の匂いが漂っている。救急外来のあたりから病院に入ったが、すぐにも外に出たい気分だった。

 そっと診察室のスライドドアを開き、ライトで中を照らした。金属製の医療機器がライトの光を反射し、机の上のボードにはレントゲン写真が貼り付けられている。しかし医者の姿も患者の姿も無かった。ボールペンはカルテの上に転がっていた。

 他の診察室や受付も見たが人の姿は無く、廊下積もった埃には僕の足跡だけが残っていた。案内板を見ると地下には手術室などがあるようで、僕は地下には行かない事にした。たぶん霊安室も地下にあるのだろう。行きたくなかった。


 病院の中は広く、全てを見て歩く気は湧かなかったが、一応は病室も確認した。外科・循環器・心臓などと病状で分けられている病室の中をライトで照らして様子を伺ったが誰もいなかった。ただ一様にベッドは先程まで使われていたかのように掛け布団が皺になっていた。かなり迷ったが布団をはいで中を確認する勇気は湧かなかった。なーうステーションにも誰もいなかった。


 結局、発電システムを探さないまま病院を出た。少なくとも周辺住人がこの病院に押しかけた様子はないし、人々が姿を消したと思われる直前に亡くなった人を見つけ出したいわけでもない。つまりは他の場所と同じで、何が起きたのかを知る痕跡は無かった。


 僕は2ヶ月ほど東京の街で暮らしてみた。

 東京という街はそのイメージとは裏腹に古く窮屈な街だった。地方都市のほうが区画整備されていて道路も広く街並みも新しい。東京は都心こそ立派だが大体の場所は古くて狭い道幅の道路ばかりで、テレビで見る観光地の多くもとても窮屈な場所ばかりだった。建物の高さが街を一層窮屈に感じさせた。


 僕は自転車で曲がりくねった東京の街を散策し続けた。新宿や池袋などをサイクリングし、上野公園を一周した。動物園にも侵入したが動物の姿は無かった。

 郊外のほうまで自転車を走らせると、すぐに迷子になった。東京の道路はとてもわかりにくい。案外と坂道も多く、変わり映えのしない住宅地が続いたり、洒落た店が並ぶ街並みになったり、土地勘が無いのですぐに自分が何処にいるのかわからなくなった。


 地図を広げながら手近なビジネスホテルに寝泊りし、東京の街の中を徘徊する日々を続けた。一応は誰かいないかを探す事が目的だったが、その可能性はとても少ない事を感じていた。不法侵入や窃盗行為へのモラルは幾度も拮抗を繰り返したが次第に無感覚になっていった。人がいなくなってから1年が過ぎていた事に気付き、記念する気分でケーキ屋で未だカビさえ生えていない菓子を無造作に食べた。クリームをふんだんに使ったケーキも少し味見をしたがメレンゲの類は液状化していたので、焼き菓子を多く食べた。その後は安い白ワインをらっぱ飲みした。少々酸味がきつくなっていたが美味しいと感じた。


 そしてしばらく道路工事をしている場所の近くのホテルに泊まった。道路工事の赤色灯が太陽電池充電のもので、夜になるとクリスマスツリーのように点滅していたからだ。ホテルの窓から見下ろす赤色灯の光がこれほど美しいものに見えるとは思わなかった。人口の光の美しさに涙が出そうになった。


 東京ではラブホテルにも泊まろうとした。孤独な独身中年には縁遠い場所なので冷やかしのつもりで泊まろうとしたのだ。電気ロックのラブホテルの部屋はどこも鍵無しで入れる状態だったが、多くの部屋は利用中の様相で衣類が脱ぎ散らかっており、誰もいないとはいえ居心地の悪さが強くてすぐに退散した。高齢女性の補正下着が散乱しているベッドを見た時には胃袋が痙攣しそうになった。

 ラブホテルの部屋自体はビジネスホテルよりも広く立派で居心地が良さそうだったが、窓は小さく日が差し込まないので空室らしい部屋があっても寝泊りする事は無かった。


 結局、東京でさえ僕は誰にも会う事がなかった。

 無論すべての建物や家屋の中を隅々まで探し回ったわけではないので何処かに誰かがいたのかもしれないが、それはただの可能性の話で、気配も無く音も立てずに僕から隠れ続けている人がいたとは思えなかった。


 僕は煙草を吸い、途方に暮れ、東京での人探しを諦める事にした。


 ふらふらと自転車をこいで元の安アパートに戻る方角に進んだ。


 途中、スーパー銭湯の施設を探しては立ち寄った。運良く温泉が入れるなら冬には都合が良いと考えたのだ。

 数件の施設に侵入し、時には進入する為に数キロはなれた工事現場から脚立を持ち運んだが、殆どの温泉は水かぬるま湯だった。源泉をくみ上げるポンプが動いていないのだろう。


 天然温泉を謳う山間の一軒だけ快適な湯温の温泉を見つける事が出来た。何の手間もなく存分に温かい湯に浸かれる事に僕は歓喜した。1年以上も真っ当な風呂に入れなかったが、誰もいない天然温泉に好きなだけ入り放題なのだ。

 僕は数週間の間この温泉に住みついた。朝から晩まで好きなだけ温泉に浸かり、仮眠ブースで就寝した。


 しばらく安穏とした日々を過ごし、そしてこの場所に住み着こうと考えた。冬に温泉という熱源があるのは物凄く大きなメリットに思えたのだ。

 そしてしばらく冬を暮らすための算段を検討したが、初秋の頃には定住は難しいのではという結論になっていった。

 施設の中は広いオープンスペースとなっており、僕ひとりが暮らすには広すぎた。そして周囲に食料などを調達できる店が無く、施設の中にも食料は多くなかった。冬までに米などを持ち込めれば解決できそうだったが、温泉以外の場所の寒さをしのぐ方法は遂に思い浮かばなかった。


 大きなメリットのある温泉だったが、僕は何度かのぼせて倒れてしまい意識を失った事も問題だった。色々と食べているつもりで健康を維持しているつもりだったが、この1年で何かの栄養が大きく失われているように思えた。のぼせて気を失い、素っ裸で浴場の床にうずくまった格好で意識が戻った時には「よく死ななかったものだ」と思った。僕は生きる意欲を失っていた筈なのに、人がいなくなってからは死というものがとても恐ろしかった。冬ならヒートショック等の危険もあるだろう。中年の僕も気をつけなければならない年頃だ。


 結局その温泉施設を後にし、元の安アパートに戻る事にした。後ろ髪を引かれる思いだったが、改めて温泉が良いと思ったなら戻ればいいと思った。


 そして、いつあの歪んだ丸い影が出現するともわからない安アパートの部屋でコーヒーを飲みつつ煙草をふかした。


「もう、何もできないし、何もすべき事もないな……」


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