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静かな冬は、長く続いた。
結局、駅構内を拠点とした生活は2日でやめた。あまりにも寒かったからだ。日が差し込まないので日中でも冷え込み、夜も何処かから容赦なく寒風が吹き込んだ。電車を利用しない安アパートでの引き篭もり生活を長く続けていたので冬の駅の寒さを忘れていたのだ。僕自身の身体が冷え切っていた事もあってか、冬用の寝袋でも眠れるほどの暖かさにはならなかった。
その2日間は交差点での焚き火を続けた。その効果は微妙に思えたが、1日中煙を上げれば誰かが気付くかもしれないと思ったのだ。
やはり駅前のビルに囲まれた交差点では煙が見えにくかったのか何の成果も得られなかった。
ただ駅前に吹き溜まっていた落ち葉は殆ど燃やしたので、駅前を掃除したかのようになった。交差点の真ん中に置いた灰皿はそのままにしておいたので、誰かが気付いて僕を探しに来るかもしれない。可能性が低くても無いよりはマシだ。
そして僕は駅周辺のビジネスホテルに不法侵入した。ホテルは夜も自動ドアの鍵をかけていなかったので手でこじ開ける事が出来た。フロントから適当に鍵を取り、その番号の部屋に向かう。真っ暗なビジネスホテルは映画「シャイニング」の雰囲気を想起させたが、狭い廊下はいかにも日本的で、懐中電灯の光で十分に周囲を照らす事が出来た。
またビジネスホテルの部屋は狭いながらも大きなベッドとサイドテーブル、ゆったりした一人掛けソファーに簡素な洗面台と一通り揃っていて、この状況下でも役立ちそうな場所だった。これでシャワーからお湯が出れば最高だが、非常灯も消えているホテルにそこまでのサービスを求めるほうが間違っている。
ホテルを拠点にしてからは焚き火で誰かに気付いてもらうという方法をやめ、再び「誰かいませんか」と声を上げて周囲を調べる事とした。
駅の周辺の放置自転車から鍵のかかっていないものを探し、東西南北の各エリア毎に虱潰しに人を探した。一方で帰り道で食料や道具を持ち帰る為に店の場所もチェックした。
1週間ほどかけて駅から半径2~3キロの範囲を調べて回ったが、成果は得られなかった。猫の子一匹いない。
幾つかの建物は中に入って調べもした。例えば学校は地震や災害の時の避難場所とされている事が多いので、この状況下では人がいる可能性が高い筈だった。いなくとも何かの痕跡があるかもしれない。なので校舎の周囲やグラウンドだけでなく学校や体育館の中を確認したかった。
玄関や出入り口は全てしっかり鍵がかかっていたが、中庭に面する廊下の窓の鍵がかかっていなかった。僕はそこから校舎に侵入した。
(学校というものは、いつの時代も大差の無いものだな)
僕が学生だったのは四半世紀も昔の事だったが、校舎の中を歩くと学生時代のノスタルジーのような気分が湧き上がった。校舎は綺麗で設備も立派になったようだが、掲示板に貼られている学生の手による掲示物は昔と変わらず稚拙な若さが溢れていた。若さゆえの出来の悪さも歳を取った僕には魅力に見えるし、若かった僕たちが歳を取って失ったものでもある。
僕は学生時代は遊び呆けるというほどではなく、しかし勉強もしなかった。不真面目にも真面目にもなれない中途半端な生徒だった。遊ぶには遊ぶだけの金が、学ぶには学べるだけの環境が必要で、僕はそのどちらを得ようともせずに怠惰な学生生活を送っていたのだと後年になって気付き反省した。若い頃に得られなかったものは歳を取ってから手に入れる事は出来ないのだ。
薄っすらと埃の積もった廊下を歩くと足跡が残った。やはり不法侵入している事には引け目を感じてしまうが、通報され逮捕される事で誰かがいる事がわかるなら構わない気もした。
教室を覗き込みながら校内を一周し、体育館に行った。
そして学校の中に誰もいない事と、なにかの非常事態でこの学校や体育館が使われた痕跡が無い事がわかった。地震や台風のニュースで体育館に避難した人達の様子を撮影した映像で見られるパーテーションなども無いし、体育館の全ての扉はしっかりと鍵がかけられたままだった。
(本当に、どうなっているんだ)
街から人がいなくなった事は、謎だらけだ。
放射能やウィルスが原因なら人数分の死体がある筈だ。そうであればどのような形であれ僕はおぞましい光景を目にする事になるだろう。生きていて何処かに避難したのなら、数千数万の人間が移動した痕跡がある筈だ。
しかし街にも学校にも一軒家の中にもそのような痕跡は無かった。
何もかもがそのまま残されており、まるで街の人々がいなくなる直前まで当たり前の日常を送っていたようにしか思えない。それなのに僕ひとりだけ誰もいない街に取り残され、何が起きたのかもまるで知らない。
僕は何もわからないまま街を彷徨い、コンビニで食料を持ち出し、ビジネスホテルで夜が明けるのを待った。
ビジネスホテルのベッドはとても寝心地が良く熟睡できたが、目覚めると気分は重くなった。人が多いと思っていた市の中心部を入念に探しても人の姿が無かったからだ。
もちろんこのような状況下で僕ひとりしかいないという事はありえないだろう。僕は特別な人間ではないし、僕のような人間だけいても何のドラマも見込めない。映画であれば僕は脇役の一人に過ぎない筈で、まだ僕が行っていない場所では主人公たるべき人物がこの状況の謎を解き明かしているに違いない。僕はその主人公に相応しい誰かを見つけ出しカメオ出演しなければならない。でなければ僕は誰もいない街で唯一の死体となってしまうだろう。安アパートで鬱屈した日々を過ごしていた時には僕など死んでも誰も困らないと考えていたし、それは確かな事実でもあったが、僕には自殺願望も無ければ苦しむ事が好きなマゾヒストでもなかった。
市の中心部に誰もいないなら、次はどうすべきか?という事を考えた。
他に誰かがいるとすれば、この状況下になった時に何処に向かうだろう? ブラックアウトした電気を復旧する為に発電所に向かうだろうか? しかし既に4ヶ月経っているのに停電したままだ。
もしかすれば海外に避難したのかもしれない。多くの人達が非難したのなら有り得る可能性だ。しかし4ヶ月前にネットを見た時には海外サーバーも繋がらない事が多かった。海外が無事なら日本の様子を調査する為の飛行機が飛んでいるだろうが僕は一度も見ていないし音さえ聞いていない。
この状況が世界的な事であれば、人類は宇宙に避難した……と考えるのはあまりに映画的過ぎる。そういった映画では概ね地球が壊れる展開が用意されているが、街は壊れずに残っている。地底に避難という事もディザスター映画ではしばしばある展開だが、街中の人を収容できる地下施設がこの街にあるとも思えない。
僕は可能性のひとつとして下水道を調べようとした。マンホールの蓋を開ければ下水道が通路のようになっているというのは幾つかの邦画で見た気がする。そこに人々が潜んでいる可能性はあるように思った。
しかしマンホールの蓋というものは簡単に開けられるものではなかった。専用の道具を使い、とても重い蓋を持ち上げなければならない。しばらく悩んだ末に無理だという結論に到った。道具も無いのに開ける事は出来ず、開けられない蓋の奥に誰かが入り込める筈も無かった。下手な考え休むに似たり、という事で時間を浪費してしまったようだ。
僕はビジネスホテルに篭って地図を広げ、次に何処で人を探すかを考えた。
冬が本格的に来る前に結果を出したかった。雪が積もれば移動は困難になるし、不自由な状況では暖房を確保する事も難しい。持ってきた荷物の中にはガス缶で使えるストーブがあったが、ビジネスホテルの部屋が暖まる頃には酸欠になり換気しなければ頭痛がした。あくまで補助的な暖房なのだと痛感した頃にガス缶は空になった。
寒さは行動力を根こそぎ奪い取る。暖を取るには何らかの熱源が必要だったが、電気も灯油も得られない現状では冬の寒さを乗り切る事は難しい問題だった。
または安アパートに引き返して冬を越し春を待つという事も考えた。
もっと他の場所を探すとか、いっそ東京を目指すべきとも思ったが、電車は無く、路上駐車の自動車は放置自転車のように簡単には扱えない。バッテリーを充電する事も困難だし、危険なガソリンを取り扱う事も腰が引ける。免許も知識も無い僕にはハードルが高すぎる。雪が積もれば徒歩や自転車での長距離移動は難しくなる。
人を探す事が難しい冬には無理せず生き延びる事だけを考えて、住みなれた安アパートに戻る事も選択肢のひとつのように思えた。出かける前にはある程度の越冬用の蓄えもしていた。
安アパートに戻る事が一番無難だと考えた時、ふと歪んだ丸い影の事を思い出した。
あの影は僕の住む安アパートにまで迫っていた。
僕があの部屋に戻ったとたんに遭遇するかもしれないし、次は部屋の中に出現するかもしれない。そんな可能性に怯えながら春を待つのはとても耐えられそうになかった。
数日の間ビジネスホテルで悩んでいるうちにも冬は本格的になっていった。
外に出ようと自動ドアを手で押しあけようとすると凍り付いて開きにくくなっていた。しばらく苦戦し、自動ドアを蹴飛ばした振動で張り付いた氷が剥がれてようやく開ける事が出来た。本格的に雪が積もれば出入りする事が出来なくなるだろう……。
そしてその予想はすぐに当たってしまった。音も無く雪が降り積もり、ビジネスホテルの外に出る事が難しくなったのだ。一時的な積雪だろうと思っていたが、そのまま融ける事なく積もり続けた。
思い返せば季節が夏だった頃には悪天候の日はあったが台風は来なかったように思う。強風や大雨も台風が来たという感じはしなかった。もっとも天気予報も無い状況ではどこから台風なのかそうでないかはわからないのだが。
ビジネスホテルのフロントやスタッフルームなどを隅々まで物色して鉄製のスコップを見つけ、自動ドアの前と、スタッフ用の裏口を見つけたのでそのドアの辺りも除雪した。冬の間は自動ドアよりも裏口のほうが出入りしやすいように思われた。
一向に雪が融ける様子が無かったので、僕はそのままビジネスホテルで冬を越す事となった。
2階を住居とし、空室の全ての鍵を開けっ放しにして使った。ひとつの部屋でカセットガスのストーブを使い続けると窒息しそうになるので日替わりで他の部屋に移り住んだ。食料などを溜め込む部屋とゴミを溜め込む為の部屋も別に用意した。
一室だけ、脱ぎ散らかした背広とシャツのある部屋があった。ベッドメイクされておらず、誰かが使ったままのようだった。僕はその部屋だけは手を触れずにしておいた。




