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僕は荷物を鞄に詰め込み、ご飯を炊いて不器用におにぎりを作りラップで包んだ。おにぎりとラップの箱も鞄に入れた。
荷物は簡素なキャンプ道具とガスコンロとガス缶を1本などだ。他に冬用の寝袋も用意してある。
僕は人を探す為の旅に出る事にしたのだ。
冬が差し迫っている寒い季節に旅に出る事は本当に愚かしい事だと理解はしていた。
しかしあの歪んだ丸い影が部屋の中に現れたら逃げようが無い。僕がこの安アパートに住んでいる事はあの影にも理解している事だろう。どういった原理で僕を探そうとしているのはわからないが、僕の居場所を探る誤差は殆ど無くなっている。
SF的に考えればあの影は3次元とは別の次元の要素で僕を探し出そうとしているように思える。五感とは別の何か、3次元の要素とは別の何かを手がかりにして僕を探し出そうとしているのだろう。映画「スローターハウス5」では時間を超越する4次元宇宙人が主人公のものの見方を変えてしまうが、あの影が3次元の他に持つ次元が何なのかは僕にはわからない。
ともあれ僕が安アパートで冬を越す事は、あの影に捉えられる可能性を高くするだけだった。
僕の中の陰鬱な思考が(影に囚われてなにか困ることでもあるのか? いっそ誰よりも先に捕らえられ消えてしまったほうが良いような人生だったじゃないか)と囁いた。確かにその通りだ。だが理屈で恐怖心は掻き消せない。誰にとっても理解出来ないものが一番怖いものなのだ。
出かける時には一応ドアに鍵をかけた。他に誰もいないのだから泥棒の心配はないが、冬を越そうと溜め込んだ食料など隠したままにしておきたいものが山積みになっていたので、鍵をかけておきたい気分だったのだ。
僕はまず通い慣れた近くのコンビニに向かった。レジを見ると未だにカウンターの上に僕の置いた金がそのままになっていた。金の上には薄く埃が積もっていた。
雑誌コーナーを物色すると近隣の地図があった。
僕はまずこの街の駅前よりも人の多い場所に向かおうと考えていた。市の中心部なら寒さをしのげる場所に困る事も無いだろう。地図で確認しても道に迷う事も無さそうだ。
(海に出かけるより先に人口密集地を調べておくべきだった)
そうしなかった理由は色々とある。僕は何のとりえも無い無職の中年で、人と出会う理由は無かったし、出会った相手が危険な人物だとしても何も出来ないし、行ってみようかと思ったタイミングで天気が悪くなったり、逆に誰かが来るかもしれないという期待、人口密集地まで行ったのに誰もいなかった時の絶望感を考えたり、様々な理由だ。
僕がもっと若く、もっと積極的で、もっと賢かったのなら、この4ヶ月もの長い間にもっと色々な行動を取っていただろう。しかし僕には若さが無く、気力も無く、そして賢くなかった。僕は落ちぶれるべくして落ちぶれた無能な中年なのだ。自虐などではなく、まずその現実を受け入れなければ失敗しないよう行動する事は出来ないように思う。
遅すぎる決断だが、僕は影から逃れる為に、他にもいるであろう誰かを探す為に、旅に出る事にしたのだ。追い詰められないと行動できないのは僕の悪い癖なのだろう。
僕は地図を鞄に詰め、コンビニを後にした。
僕は黙々と歩き、疲れて一休みする時には出来るだけ大きな声で「誰かいませんか」と叫んだ。
しゃがみこんで休んでいる間は耳を澄ませて返事が返ってくるのを待つ。煙草に火をつけて吸い終わるまでの時間で「返事がない事」を確認し、再び歩いた。
駅前の繁華街を通り過ぎ、住宅街を抜けて、隣町の商店街に差し掛かったあたりで太陽は真上を過ぎていた。
自転車で一気に市の中心部に向かう事も考えたが、一応は人を探し出す事が目的なので自転車では素通りしかねないと思ったのだ。それに自転車が欲しければいつでも街のあちこちにある自転車の鍵を壊して拝借する事が出来る。
コンビニを見つけ、近くに公園も見えたので、僕はそこで休む事にした。
店内の商品は埃をかぶっていたが、常温となった冷蔵庫の中のペットボトルは綺麗なままだった。一通り店内を物色した後、カフェオレのペットボトルだけを持って店を出た。
近くの公園のベンチに座り荷物からおにぎりを取り出した。軍手を脱ぎペットボトルの蓋を開けて昼食を食べた。風は吹いていないが空気は冷たく、冷えたおにぎりとカフェオレを食べていると寒さで身体が震えた。
食後の一服を吸いながら、ふと良からぬ事を思いついた。落葉が余るほどあるのだから焚き火が出来るのではという思い付きだ。
いわゆる「落葉炊き」はかつては当たり前に見られた光景だったが、世紀末の雰囲気漂う90年代後半の頃のダイオキシン騒動の影響であっという間に日本中から姿を消した。童謡でしか語られなくなった落葉炊きはもはや伝説のようなものではないだろうか?
都合の良い事に煙草の為のライターを持ち歩いている。緑色の落葉は夏から落ちているので程よく乾燥している。まるで火をつけてくださいと言っているかのようだ。
僕は足で落葉を掻き集め小さな山を作り、1枚の葉に火をつけた。まるで子供が親に叱られる事をやるようなスリルを感じた。他の葉に火を移しながら落葉の小山に入れると白い煙が立ち上り、しばらくするといかにも落葉炊きらしい赤い炎が広がっていった。
(……もし僕の他に誰かがいるなら、この煙に気付くだろうか?)
火をつけてから気付くのも間が抜けているが、のろしを上げれば誰かが気付いてくれるかもしれない。これからは行く先々で火遊びではなくのろしを上げる為の焚き火をするべきかもしれないと思った。
落葉炊きが燃え尽きる頃、弱い風が吹いて火の粉が飛び散った。しばらくは火の粉を眺めてノスタルジーに浸っていたが、すぐに周囲は枯れ木と落葉だらけだという事に気付いた。僕は慌てて残り火を踏みつけ、飛び散った火の粉が周囲に燃え広がらないよう踏みつけ続けた。
僕は些細な火遊びの為にしばらく公園から離れられなくなった。燻った残り火が再燃すれば周囲の落葉に燃え広がり、その落葉が周囲の木造住宅を燃やしてしまうかも知れないからだ。僕が公園を離れた後に街が焼け野原になったとしたら人がいなくても大惨事だ。
完全に火の気が無くなったと思えるまでの数十分の間、僕は煙草も吸えずに周囲を観察し続けた。火の粉が再燃する様子はなく、煙を見た誰かが来る気配も無く、歪んだ丸い影も無かった。
結局この日は公園での足止めで身体が冷え切ってしまい、また市の中心部まで日没までに徒歩で行くという計画も余裕の無いものだったので、道半ばのコンビニに入り込んでバックヤードの床に寝袋を広げて一泊する事となった。
日が沈んでしまうとあの影が見えないので、夜に出歩く事は避けたかったのだ。




