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晴れたら、駅の反対側で  作者: みき


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第9話 黒川

 黒川という刑事は、お茶を出してくれた。取調室ではなく、応接室みたいな部屋だった。それがかえって、落ち着かない。


 黒川は五十絡みの、疲れた顔の男だ。机には書類の束と、飲みかけの缶コーヒー。壁の時計は三分遅れている。こういう部屋で人は、うっかり、ほんとうのことを言う。そういうふうにできている部屋なんだと思う。


「事故の件は、処理としてはもう終わってるんですけどね」


 黒川は言う。抑揚のない、天気の話みたいな声で。


「雨の日の、見通しの悪い踏切でした。遮断機は下りていた。彼女がなぜ入ったのかは、わかっていません。急いでいたのか、何かから――まあ、これは言っても仕方ないですね」


 何かから。その先を、黒川はきれいに飲みこんだ。


 飲みこまれた言葉の続きを、僕は勝手に埋めてしまう。何かから、逃げるように。誰かから、逃げるように。埋めた言葉は、埋めた僕のことを、じっと見返してくる。


「ひとつだけ、まだ気になっていることがあって」


 書類をめくる音。


「目撃者の証言に出てくる人物でね。現場の少し手前、駅前の通りで、彼女の後ろを歩いていた男性がいるんです。青い傘の。――この人だけ、名乗り出てこない」


 湯呑みの中で、お茶が少し揺れている。僕の手が揺れているからだ。


「蒼井さん。あなたは、なぜ雨の日に駅へ行ったんですか」


「……行っていません」


「そうですか」


 責める調子は、まったくない。黒川はペンを置いて、初めて僕の顔をまっすぐ見る。


「実はね、前にも一度、同じことを訊いてるんですよ。事故の翌日に。覚えてますか」


 覚えて、いない。事故の翌日のことを思い出そうとすると、葬式の黒い傘の列まで、記憶が一足飛びになる。あいだの数日が、ない。


 正確には、ないのではなく、暗い。電気の切れた廊下みたいに、そこに何かがあるのはわかるのに、踏みこめない。踏みこもうとすると、決まって、雨音がする。


「あのときあなたは、『雨だったから』と答えた。行っていない、じゃなくてね。……いや、責めてるんじゃないんです。人の記憶っていうのは、そういうものだから」


 黒川は湯呑みを片づけながら、最後に言う。


「思い出したら、で結構です。急がなくていい。――ただ、思い出したことを、なかったことにはしないでください」


 署を出ると、雨は上がっていた。濡れた路面が夕方の光を照り返して、街全体が、泣きはらしたあとの顔をしている。あの言い方は、まるで――僕がもう思い出しはじめていると、知っているみたいだった。

防犯カメラの映像を見せてもらうなら、第11話へ。


自分のスマホを調べ直すなら、第13話へ。

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