第10話 増えるページ
ノートは、机の上にある。昨夜と同じ場所に、同じ角度で。
読んだところまで、青いしおり紐を挟んでおいた。その先は白紙のはずだった。ゆうべ、確かめた。白い紙が最後まで続いているのを、この目で見た。
しおりの先に、字がある。
「そこまでは、思い出せたんだね」
一行だけ。ページの真ん中に、ぽつんと。
声に出して、読んでみる。そこまでは、思い出せたんだね。責めてはいない。急かしてもいない。ただ、僕の歩幅を知っている人の言い方だ。テストの採点を返すときの、ハルの言い方に、少し似ている。似ている、と思ってしまったことが、もう戻れない場所にいる証拠だと思う。
僕は玄関を確かめる。鍵は、かかっている。チェーンも、かかっている。窓の錠も、ぜんぶ。四階の角部屋に、雨どいをつたって入れる人間はいない。
誰も、入れない。
それなら、この字は。
もう一度、ノートに向かう。字は、ハルの字に見える。丸くて、少し右上がり。でも、じっと見ていると、わからなくなる。「思」の字の、最後のはねの角度。ハルはこんなに強く、はねただろうか。
見比べたいのに、ハルの字が書かれたものを、僕はこのノート以外に持っていない。手紙のやりとりなんて、したことがなかった。ぜんぶスマホで済ませていた。字は、ノートの中にしかない。
つまり、このノートの字がハルの字かどうかは、このノートでしか確かめられない。
それは、確かめられない、ということだ。
夜のあいだに書かれたのだとしたら、書いたのは、この部屋にいた人間だ。この部屋には、僕しかいない。僕は自分の右手を見る。ペンだこの位置は、昔から変わらない。ゆうべの記憶をたどる。ノートを閉じて、歯を磨いて、電気を消して。そのあとが、少しだけ、暗い。
ページをめくる。一行の先に、また字が増えている。今度は、見覚えのある形式だ。
「ノートを誰が置いたのか知りたいなら、私のお母さんに訊いて。
自分が何を送ったのか知りたいなら、君のスマホを見て」
選択肢。ハルのノートは、僕がまだしていないことを、僕より先に知っている。
――自分が何を送ったのか、って、なんだ。
僕は何も送っていない。あの日、僕は何も。
何も、の先が続かない。何もしていないなら、どうして僕は六週間、あの日の話を、誰が相手でも一度も自分から出していないんだろう。潔白な人間は、たぶん、もっと話す。
雨音が、窓の外で続いている。数えはじめそうになって、やめる。
かわりに、ノートの新しい二行を、もう一度読む。ノートは僕を試している。それとも、導いている。どちらでも、同じことだ。僕はもう、読む前の僕には戻れない。
ノートの出所を、ハルの母に確かめるなら、第12話へ。
自分のスマホを確かめるなら、第13話へ。




