第11話 青い傘
モニターの中は、雨だった。
駅前の通りを見下ろす防犯カメラ。画質は粗く、音はない。タイムスタンプは、あの日の十八時四十一分。
音のない雨は、雨に見えない。画面の中をななめに走る無数の線は、ただのノイズみたいだ。この粗い灰色の世界の、どこかの一秒に、ハルの最後がある。そう思うと、再生ボタンに伸びる黒川の指が、ひどくゆっくり見えた。黒川は何も急かさず、湯気の消えた缶コーヒーを、ときどき口に運んでいる。
「これです」
黒川が静かに言って、映像が動き出す。
傘の列が流れていく。黒、透明、黒、赤。その中に、傘を差していない人がひとり。小走りで、画面の左から右へ。顔は見えない。でも、わかる。歩き方でわかる。ハルだ。
傘も差さずに、どこへ行くんだ。
呼びかけそうになる。六週間前の、画面の中の人に。
モニターの中のハルは、一度だけ立ち止まって、後ろを振り返る。ほんの一秒。それから、歩調が変わる。逃げる、という動詞を使いたくなくて、僕は頭の中で三回言い換える。急いでいる。急いでいる。急いでいる。
そのハルから数メートル遅れて、青い傘がひとつ、画面に入ってくる。
傘が深くて、顔はまったく映らない。背格好は、若い男。歩幅が大きい。急いでいるのに走らない、あの歩き方。左肩がわずかに下がる、あの歩き方。
僕は、僕の歩き方を、外から見たことがない。ないのに、思う。知っている、と。
気づくと、右手の指が、膝の上で傘の柄の形をつくっている。それに気づいて、僕はゆっくり、手をひらく。
黒川は巻き戻して、もう一度再生する。三度目は、僕から頼んだ。間違いを探すためじゃない。間違いであってくれ、という祈りが、再生のたびに薄くなっていくのを、確かめるためだ。青い傘は、何度見ても、同じ場所で、同じ歩幅で、ハルを追っていく。
「見覚え、ありますか」
「……ありません」
「そうですか」
黒川は映像を止める。青い傘が、画面の右端で静止する。ハルを追うように、同じ方向へ。その先に踏切がある。
「蒼井さんは、傘、何色のをお使いですか」
「……ビニール傘です。透明の」
「ほかには? ご自宅の傘立てに、何本ありますか」
答えようとして、声が出ない。自分の部屋の傘立てを、思い浮かべられない。毎日見ているはずのものが、記憶の中で靄になっている。
黒川は、それ以上訊かなかった。帰り道、雨は上がりかけていて、僕は畳んだビニール傘を、ずっと体から離して持っていた。
今夜は、傘を部屋に入れたくない。傘に罪はない。あるとしたら、それは柄を握る手のほうだ。
眠る前に、僕は両手を見る。手は、今日も何も言わない。
雨の駅へ、確かめに行くなら、第14話へ。
家の傘立てを確かめるなら、第15話へ。




