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晴れたら、駅の反対側で  作者: みき


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第6話 花瓶の水

 ハルの家は、駅から歩いて十二分。ふたりで歩くと十五分だった。


 インターホンを押すと、ハルの母が出てくる。驚いた顔をして、それからゆっくり、笑おうとして失敗したような顔になる。


「……あの子の部屋、見ていく?」


 二階の部屋は、あの頃のままだ。ベッドの上のくたびれたクマ。壁の映画のポスター。本棚には文庫本と、背表紙のない薄いノートが何冊か。机の上には、ペン立てと、写真立て。


 文庫本には、栞の代わりに映画の半券が挟まっている。ハルは栞を使わない人だった。「終わった映画に、続きを預けるの」と言っていた。意味はよくわからなかったけど、いいなと思った。棚の一段だけ、本の並びが乱れている。誰かが最近、何かを抜き取った隙間。ちょうど、ノート一冊ぶんの。


 写真立ては、伏せてある。


 起こしていいのか、わからない。伏せたのが母なのか、ハル自身なのかも、わからない。中の写真が何なのか、僕はたぶん知っている。だから起こせない。


 窓ぎわの花瓶に、ガーベラが挿してある。オレンジのガーベラ。ハルの好きだった花。


 花は、生きている。水は澄んでいて、まだ新しい。


「片づけられなくてね」


 戸口で、母が言う。


「そのままにしてあるの。ぜんぶ、そのまま」


 そのまま。でも、四十九日も過ぎた部屋で、花だけが新しい。誰かが水を替えて、誰かが花を買い足している。それは「そのまま」とは、呼ばない気がする。


 指摘は、しない。母親が娘の部屋の花を替える。それだけのことだ。それだけのことのはずなのに、部屋を出るまで、背中のどこかがずっと冷たい。


 部屋の空気には、ハルの匂いがまだ少しだけ残っている。柔軟剤と、古い紙の匂い。吸いこむと、胸のどこかが軋む。悲しみは、やっぱり来ない。来ないのに、体だけが正直に軋んで、置いていかれている。窓の外では、雨が細くなったり、太くなったりしながら、ずっと降っている。


 階段を下りたところで、母が振り返る。


「ねえ、ユウくん。あの子、最後のほう……何か、決めてたみたいだった。ユウくんは、何か聞いてる?」


 何か、とは何か。訊き返せないまま、僕は首を横に振る。母はそれ以上、何も言わない。


 ハルの母は、僕を責める言い方を、ひとつもしない。それがかえって、足の先から僕を冷やしていく。この人は何かを知っていて、僕がそれを自分から言い出すのを、静かに待っている――そんな気がして、そんな気がする自分のことが、いちばん信用できない。


 玄関で靴を履くとき、傘立てが目に入る。黒い傘と、透明のビニール傘と、折りたたみが二本。


 青い傘だけが、ない。

ミナに連絡するなら、第8話へ。


帰り道、知らない番号からの着信に出るなら、第9話へ。

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