第18話 雨音
それから僕は、雨の日にだけ駅へ行くようになる。
晴れの日は行かない。晴れの日に行くべき場所は、反対側だからだ。あそこは、まだ行けない。準備がで きていない。だから雨の日に、こちら側にだけ、行く。
天気予報を、一日に何度も見る。雨の印がつづく週は、少しほっとする。晴れがつづくと、行き場がなくなる。ハルは雨が嫌いで、僕は雨に住んでいる。あべこべだ。あべこべのまま、季節だけが順番に来る。バイト先には、辞めますとだけ送った。返事は、見ていない。
踏切の前に立って、雨音を数える。一、二、三。数えていると、そのうち音楽になると、ハルは言った。まだ音楽にはならない。回数が足りないんだと思う。
大学には、行かなくなった。バイトは、いつからか行っていない。ミナから何度か着信があって、そのうち来なくなった。母から届く食べものの段ボールだけが、玄関に積み重なっていく。
ノートは、あれから開いていない。開かなくても、わかるからだ。ページは増え続けている。鞄の中で少しずつ重くなっていくのが、持ち上げるたびにわかる。読まれなかった物語は、重い。開けば軽くなるのかどうか、試す気は、もうない。
雨の日。駅。踏切。数える。帰る。乾かす。雨の日。駅。踏切。数える。
おかしいのはわかっている。でも、ここにいるあいだだけ、ハルの声が近い。「来ないでって言ったのに」。何度でも聞こえる。責められているのに、それだけが僕に残された会話なのだ。
今日も、雨だ。
今日の雨は長い。朝からやまない。ずっと、やまない。カレンダーを最後に見たのがいつだったか、思い出せない。傘の中で、僕は数えつづける。八百七十四。八百七十五。
数の向こうで、ときどきハルの声がする。「まだ数えてるの」。笑っている。怒っていない。それが、いちばんこたえる。怒ってくれれば、やめられるのに。雨音は今日も、音楽にならない。ならないから、明日も来る。
ふと、まわりに人が増えていることに気づく。
黒い傘ばかりだ。みんな、同じ方向へ歩いていく。誰かが小さく泣いている。僕は列について歩く。歩きながら、傘を数える。十三。十四。
斎場の軒下で、黒い傘が順番に開いては、たたまれていく。
僕はその数を、意味もなく数えている。十三。十四。どこかで、これを前にもやった気がする。前にも。前にも。前にも。
列の中に、泣けない顔がひとつある。あれは、誰だったろう。
傘のひとつが、僕のすぐ前で開く。骨の鳴る音が、やけに近い。数を、ひとつ進める。
誰かが僕の肩に手を置いて、何かを言う。聞こえない。雨音のほうが、近い。
雨が、朝からやまない。
END 1 雨音
黒い傘を数えるところから、もう一度。第1話へ。




