第17話 選ばなかった日
合図みたいに、雨音が近づいてくる。
目を閉じているのか、開いているのか、わからない。ただ、あの日が来る。六週間ずっと閉めきっていた部屋の窓を、開けてしまったみたいに。
――雨なら来ないで。
画面の文字を、僕は読んでいる。あの日の僕だ。読んで、しばらく座っていて、それから立ち上がる。話したいことがある、の意味を、ほんとうはわかっていたからだ。夏からずっと、わかっていた。わかっていて、聞かないことを選びつづけていた。
聞かなければ、終わらない。終わらせなければ、続いている。
玄関で靴を履く僕を、僕は天井のあたりから見ている。記憶というより、映画だ。編集済みの。誰かが、僕に見せたい順番に並べ直した映画。それでも、映っているのは僕だ。それだけは、どの編集でも変わらない。
「行く」と打って、送信して、僕は傘立てから傘を取る。ビニール傘じゃなく、青いのを。どうしてそれを選んだのかは、思い出せない。ハルとおそろいにした傘。ハルが「ちゃんと選んだ」のと同じ売り場で、僕が適当に選んだ傘。
駅前の通り。傘の列。ハルの背中。
雨は横から吹いていて、傘はほとんど役に立たない。それでも僕は傘を差していた。顔を、隠したかったのかもしれない。誰から。街から。カメラから。それとも、ハルから。傘の骨が風で鳴って、その音だけが、いやに鮮明に残っている。
名前を呼ぶ。ハルが振り向く。その顔を見て、わかってしまう。ハルはもう、決めている。
「――来ないでって、言ったのに」
そこから先は、切れ切れだ。
雨。ハルの唇が動く。ごめん、の形。差し出される、折りたたみの傘――あの日ハルは、青い傘を持っていなかった。青いのは、僕だ。ずっと、僕のほうだった。
背を向けるハル。追う僕。水たまり。「待って」。僕の声。ハルの足が、速くなる。踏切の音。カン、カン。赤い光。ハルが振り返る。何かを言う。雨の音で聞こえない。聞こえなかったのか、聞かなかったのか。
僕の手が、伸びる。
伸びて――止まる。
つかまえる資格が、僕にはない気がした。たったそれだけの、一瞬の。
あの一瞬を、僕は六週間、ノートの外に置いてきた。置いてきたものは、消えない。ページの隙間で、雨の日のたびに、息をしていた。
音の直前で、記憶は白くなる。
白の中で、雨音だけが続いている。一、二、三。あの日の僕も、白の中で数えていたんだと思う。音楽には、ならなかった。一度も。
気がつくと、僕は自分の部屋にいて、青いノートの最後のページが開いている。そこには、こうある。
「これで最後。どうするかは、君が決めて」
字は、もう誰の字でもいい。読み終えた僕が、ここにいる。それだけが、ページの外の事実だ。
窓の外で、雨がやみかけている。雨音が数えられないほど遠くなるのを、僕は初めて、引き止めずに聞いている。
ノートを閉じるなら、第23話へ。
まだ認めず、ノートがハルのものだと確かめに行くなら、第21話へ。




