エピローグ
「昨日の土砂降りで紅葉も散ってしまったかと思ってたけど、しっかり残ってるじゃないか。なあ野辺山くん」
俺と先生は昨日も登った山にまた来ていた。山本くんも一緒だ。浜野さんが逮捕されてすっかり気落ちしている彼を半ば強引に誘ったのは南村先生である。
「紅葉するからには落葉樹なんだからこの時期にあんな雨が降ったらおしまいかと心配しましたよ。落葉樹っていっても強いもんですね。なあ山本くん、君も元気を出せよ」
「は、はあ……」無理もないが、沈みきった声である。
昨日、浜野さんは自白した。俺が自白を勧めたのだ。実をいえば、三苗から聞いた推理を松島に伝えずに浜野さんに話したのは自白させたかったからだ。浜野さんに同情していたから、というよりは山本くんのためだ。自白すれば減刑の可能性もあるし、そうなれば出所も早くなる。要するに俺は山本くんが少しでも早く浜野さんに会えるように計らったのだ。まあ、山本くんに想い人の出所を待ち続けるだけの根性があればの話だが……。
荒木さんには平謝りに謝った。結局、『荒木と――』は事件に関係なかったのだ。それどころか、実際は『荒木と――』でさえなかった。
俺はあのとき焦っていた。だから幾分早口になっていたのだ。頭を殴られて意識が朦朧としている上に向こうは外国人なのだから、こちらが落ち着いて対応すればと悔やまれるが……。何のことはなかったのだ。あのとき俺は「犯人は!?」と質問して、当然ジェンキンスさんにもその通りの意味で伝わっていると信じて疑わなかった。しかし実際はジェンキンスさんには、こう伝わっていた。「埴輪?」と――。確かに「はんにんわ?」は早口になると「はにわ?」と聞こえなくもない。
何が悲しくてあの状況で埴輪のことなんて訊かなければならないのかと情けなくなったが、ジェンキンスさんは頭を著しく損傷していた。正常な判断が出来なくなっていても仕方がなかったといえば仕方がない。
とにかく、「埴輪?」と聞き取ってしまったジェンキンスさんは母国語で「私はそれが好きです」と答えた。ジェンキンスさんは極限状態にあったため、咄嗟に母国語である英語が出てしまったのだろう。南村先生によれば、彼は食事の席で日本の古墳文化――埴輪や土偶が好きなのだということを話していたとのことなので、埴輪について訊かれれば私はそれが好きですと答えるのにも一応納得がいく。
そして「私はそれが好きです」は英語で言うと“I like it.”である。日本人は大抵「アイ・ライク・イット」と発音してしまうが、ジェンキンスさんは生粋のイギリス人だそうなので、当然日本人とは全く違った発音になる。向こうの“I like it.”はこちらからしてみれば「アラィキット」だ。英会話教室で授業を受けているときならともかく、それを「犯人は!?」の応えだと信じきっている俺からしてみれば「あらき、と」と聞こえてしまう。あのときは呂律が怪しいように感じていたがそうではなかったのだ。あれが正しい発音の“I like it.”だったのだ。最後の方は消え入りそうな声だと思っていたがこれもそうではない。最後のは日本語の「と」ではなく英語の“t”だったのだ。消え入りそうな声ではなく元からそういう発音だったのだ。
俺が電話で伝えた内容だけでここまで推理してしまう三苗が恐ろしくてたまらない。実際この情けないオチを聞いたときは全身の骨が抜ける思いだった。
間抜けな勘違いのせいで迷惑をかけてしまい、荒木さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ただ、ことの顛末を話すと怒る気も失せたようで、笑って許してくれたのが救いだった。
そんなわけで概ね一件落着したわけだが、俺は一つだけ後悔していた。
他力本願野郎こと松島警部補から千円徴収し忘れたことである。
これにておしまいです。ありがとうございました。