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完璧すぎて息が詰まるそうなので、ずぼら令嬢になってみました  作者: 九葉(くずは)


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13/15

第13話

「痛い! 頭皮が引きちぎれそう! ピンが三十本くらい刺さってるんじゃないのこれ!? あとコルセット! 肋骨が三本くらい軋む音がしたわよ! 今すぐハサミで紐を切り刻んでやりたい!」


 走り出した馬車の革張りの座席で、私は扇を放り出して額を押さえた。


「おいおい、車内で脱ぐなよ。屋敷に着くまで我慢しろ」


 向かいの席のルーファスが、吹き出した。礼装のタイを緩め、足を組んで私を見つめるその目には、隠しようもない愉快さがにじんでいる。


「何よ、笑わないで! あんたのために一日限定で至宝サマをやってあげたんだから、もっと労いなさいよ!」


「ああ、偉かったよ。完璧だったぜ。まさかあの石頭に『息が詰まりますもの』って言い返すとはな。胸がすくどころの騒ぎじゃねえ、拍手喝采だったぞ」


「当たり前でしょ。五年間溜まりに溜まった鬱憤を、利息つけて叩き返してやったのよ。あー清々した! でも疲れた! もう二度と行かない! 社交界なんて、一生引退よ!」


 ぷりぷり怒って足をばたつかせる私を、ルーファスは愛おしそうに眺めていた。園遊会で見せていた冷徹な騎士団長の顔はすっかり剥がれて、十年前の悪ガキの笑顔に戻っている。


 それでも、時々こちらに向けるまなざしの奥の熱は、悪友のものじゃなかった。




 公爵邸に馬車が滑り込むなり、私はエスコートの手を振り切る勢いで屋敷へ駆け込んだ。


「アンナ! ハサミ! ハサミを持ってきて!」


「お、お嬢様!? お帰りなさいませ、首尾は……って、まだ何も伺っておりませんが!」


「いいから脱がせて! この拘束具から私を解放しなさい!」


 自室に飛び込み、アンナの手を借りて、夜会用のドレスを脱ぎ捨てる。コルセットの紐が緩んだ途端、肺いっぱいに空気が流れ込んできて、「生き返ったぁ」と声が漏れた。髪に刺さっていた無数のピンを引き抜いて、金髪をばさばさと振り乱す。そして、あの肌触り抜群の生成りの綿の部屋着に、袖を通した。


 スリッパも履かず、素足のまま部屋を飛び出す。向かう先は、もちろんあの聖域だ。


 図書室の両開きの扉を勢いよく押し開け、私は窓辺の特注ソファへ、全力でダイブした。


「ズフッ……あー、疲れたー!!」


 クッションの海に顔を埋め、大の字になってばたばた暴れる。柔らかい。痛くない。締めつけられない。ここが、私の生きるべき極楽浄土だった。


「二度と行かない! 一生ドレスなんて着ない! 明日からは朝十時起きどころか、昼の十二時まで寝てやるわ! 本を三冊積んで、お菓子を食べ散らかして、誰の役にも立たない自堕落な豚になってやるんだから!」


「豚は言い過ぎだろ、至宝サマ」


 静かな足音と一緒に、呆れたような、けれど蕩けるほど甘い声が降ってきた。顔を上げると、同じく上着を脱いで白いシャツ一枚になったルーファスが、銀のトレイをローテーブルへ置くところだった。湯気を立てるハーブティーと、王都の菓子店の焼き菓子が並んでいる。


「ほら、糖分補給しろ。よく頑張ったな、クラウディア」


 ソファの縁に腰掛けて、ルーファスは乱れた私の金髪へ手を差し入れ、ゆっくり撫でてくれた。掌の温かさで、全身に張りつめていた最後の警戒が、ふわりと解ける。


「……ルーファス」


「ん?」


「あんた、会場で言ったわよね」


 クッションを抱え込み、顎を乗せて、彼を見上げる。


『クラウディアは今、俺がいちばん熱烈に求婚している女性だ』


 何百人もの貴族の前で響いたあの言葉を思い出すだけで、心臓がきゅっと縮んだ。


「あんなこと言って、社交界中が大騒ぎよ。明日からの新聞も噂話も、全部あんたの求婚で持ちきりになるわ」


「いいぜ、望むところだ。先に外堀を埋めとかねえと、お前がまた『客分の一時避難だから』とか言って逃げるかもしれねえだろ」


 悪戯っぽく笑って、ルーファスは私の頬を指先でつんと突いた。いつもの軽口。いつもの悪友の態度。けれど、琥珀色の目は少しも揺らいでいなかった。逃がす気はない。何年かかっても捕まえる。目そのものが、そう語っていた。


「…………」


 私はクッションを、ぎゅっと抱き直した。胸の奥で、カチリと、時計の針が進む。


 悪友でいるのは、楽だった。気楽で、傷つかなくて、責任を背負わずに済む。五年間、完璧な淑女としてすり減ってきた私にとって、この男との腐れ縁は唯一の息抜きで、絶対に失いたくない安全地帯だった。だから、求婚から目を逸らしていた。悪友の距離を壊して、また誰かの妻という『完璧な檻』に閉じ込められるのが、怖かったから。


 でも、今日の園遊会ではっきり分かってしまったのだ。


 この男は、私に檻を押しつけない。完璧に振る舞って敵を叩き潰す私も、部屋着でソファに突っ伏して悪態をつく私も、どちらも世界一誇らしそうに、愛おしそうに見つめてくれる。ジェラルドのように「自分に都合のいい理想」を押しつけるんじゃなくて、クラウディアという人間を、丸ごと受け止めてくれる。


 そして何より、私自身が、もうこの男のいない未来を、一ミリも想像できなくなっていた。


「……ルーファス」


「なんだよ」


「あんたの求婚だけど」


 ルーファスの指が、ぴたりと止まった。目に、かすかな緊張が走る。百戦錬磨の近衛騎士団長が、判決を待つ罪人みたいに息を詰めていた。その姿がたまらなく愛おしくて、私は小さく笑った。


 ソファの上で姿勢を正し、膝立ちになって、ルーファスと目線を合わせる。ゆったりした綿の部屋着。ぼさぼさの金髪。素足。淑女の欠片もない、最高にだらしない姿のまま、真正面から彼の目を見返した。


「受けてあげるわ」


「え?」


「あんたの妻になってあげるって言ってるのよ」


 ルーファスが息を止めた。時間が止まったみたいに固まっている。私は畳みかけるように、人差し指を彼の鼻先へ突きつけた。


「ただし! 条件があるわ!」


「じょ、条件?」


「そうよ! 私は、家のために身を削る完璧な公爵夫人には絶対ならない! 朝は十時まで寝るし、昼間はこのソファで一日中本を読み耽るし、気が乗らない夜会は全部断る! 首が凝ったらあんたに揉ませるし、お菓子だって、あーんして食べさせてもらうんだから!」


「クラウディア……」


「他人の期待なんて背負わない! 完璧な淑女なんて、もう二度と演じない! 私のこの、最高にだらしなくて我が儘な本性を、一生隣で見てなさい! それが、私の結婚の条件よ!」


 一気にまくし立てて、ふんと胸を張る。傲慢で、ずぼらで、可愛げのない受諾。でも、これが私のすべてだった。誰かが作った型にはまらない、私なりの宣戦布告。


 沈黙が落ちた。


 図書室に、暖炉の薪がぱちぱち爆ぜる音だけが響く。ルーファスは呆然と私を見つめたまま、やがて。


「……ッ、あっははははははは!!」


 腹を抱えて、今日いちばんの大爆笑をした。目尻に涙を浮かべ、肩を揺らして笑い転げている。


「な、何よ! 笑うことないでしょ! こっちは真剣なんだから!」


「笑うだろ! 求婚を受ける台詞が『自堕落な本性を一生見てろ』だぞ!? 前代未聞だ、社交界の歴史を探したって、そんな女は一人もいねえよ!」


「嫌なら断りなさいよ!」


「断るわけねえだろ、馬鹿!」


 次の瞬間、ぐいっと強い力で腕を引かれた。


「きゃっ!?」


 視界が回って、私はルーファスの逞しい胸の中へ抱き留められていた。背中に回った両腕が、骨が軋むほど強く、逃げ場を塞ぐように私を抱きしめる。耳元に、猛烈な速さで打つ彼の心臓の音が、直接響いてきた。


「願ってもない条件だ。お前のそのだらしない姿を誰にも見せねえで済むなら、俺にとっちゃ最高の褒美だよ」


「ルーファス……」


「やっと、捕まえた」


 掠れた声が、髪に落ちる。


 震えていた。あんなに強くて、恐れを知らないはずの男が、泣きそうになるのを堪えるみたいに、私の首筋に顔を埋めている。五年。この男がどれだけの想いを押し殺して、どれだけの祈りを込めて、私を待っていてくれたのか。そのすべてが、この腕の強さから、全身に流れ込んできた。


「もう、大袈裟なんだから」


 小さく呟きながら、私は彼の広い背中に、そっと両手を回した。がっしりした筋肉の温もり。悪友の枠を飛び越えて、初めて触れる、愛する男の体温。


「顔、上げろよ」


 低く甘い囁きに促されて、ゆっくり顔を上げる。至近距離で重なる視線。その目の奥で揺れる、深い情熱と歓喜。大きな手が私の頬を包んで、親指が唇をそっとなぞった。


「愛してるぜ、クラウディア。ガキの頃から、ずっとだ」


「……知ってるわよ、筋肉馬鹿」


 強がりを言った唇に、熱い吐息が重なった。


 触れるだけの、甘く優しい口づけ。額でも頬でもない。悪友だった過去に別れを告げて、恋人として、夫婦として歩き出すための、誓いのキス。


 わずかに唇が離れると、ルーファスは満足そうに笑って、額を私の額にこつんと押し当ててきた。


「なあ、息は詰まらねえか?」


「全然。むしろ、深呼吸できるくらいよ」


 照れ隠しに唇を尖らせたら、ルーファスは喉を鳴らして、もう一度、ちゅっと短いキスを降らせてきた。


 幸せだった。誰の期待も背負わず、ありのままの自分でいられる場所が、ここにある。


 けれど、甘い余韻に浸っていた私の耳元で、ルーファスがふっと不敵に笑った。


「よし。返事ももらったことだし、明日は大仕事だな」


「大仕事?」


「決まってんだろ」


 私の腰を抱いたまま、ルーファスは窓の外、王都の貴族街の方角を睨んだ。


「あのお堅くて厳格なアシュトン伯爵の親父さんを、完膚なきまでにねじ伏せて、正式な婚約の言質を取ってくる」


「あ……」


 忘れていた。世間体と家の格式が何より大事な、頑固一徹の我が実父の存在を。


「絶対に一筋縄じゃいかないわよ、あのお父様」


「上等だ。俺とお前の二人で、受けて立ってやる」


 笑ったルーファスが、私の手を握った。大きくて、あたたかい手だった。


 明日の決戦の作戦を立てるべきなのは、分かっている。けれど、今は。


「……ルーファス」


「ん?」


「作戦会議は、あとにして」


「ああ。どうした」


「もう一回」


 言ってから、顔が燃えた。ルーファスの目が、驚きと喜びでゆるむ。


 返事の代わりに、さっきよりずっと長い口づけが降ってきた。


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▷自室に飛び込み、アンナの手を借りて、夜会用のドレスを脱ぎ捨てる。 夜会用ドレス?園遊会(昼間)だったのでは?
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