第9話 初デートの相手
休日のショッピングモールに、同級生の女子と二人で来る。
状況だけ切り取れば、どう考えてもデートだった。
だが俺の役割は違う。
本命へのプレゼント選び同行。
男目線の意見係。
そう自分に言い聞かせながら、駅前の改札で氷見坂を待っていた。
十分前に着いたのは、別に楽しみにしていたからではない。遅れると悪いからだ。たぶん。
休日の駅前は平日より明るい。家族連れ、部活帰り、中学生の集団。そんな中で、氷見坂葉月はすぐ見つかった。
私服だからではない。
いや、私服も理由の一つだ。
白いブラウスに薄い青のカーディガン、膝丈のスカート。派手じゃないのに妙に目を引く。学校の制服より少しだけやわらかく見えて、それが余計に落ち着かない。
何より、待ち合わせ場所で人を探すように視線を巡らせる氷見坂なんて、普段の学校では見ない。
新鮮すぎた。
「……灯里くん」
「おはよう」
「……おはよう」
それだけで会話は一度切れる。
だが実況は開始一秒でフル回転だった。
『待ち合わせ成功。視認しました。私服で会ってしまった。終わりです。いや始まりです』
始まりらしい。
こっちはこれから、本命への贈り物選びである。
そう自分に言い聞かせても、私服の氷見坂と駅前で落ち合って並んで歩く状況は、どうにも落ち着かない。
学校なら制服がある。教室なら机がある。そういう緩衝材が今日はない。
人と人として、ただ二人でここにいる。
それだけのことが、思ったより厄介だった。
「とりあえず行くか」
「……うん」
並んで歩き出す。休日の駅前は人が多く、自然と肩の距離が近くなる。
実況がすぐ荒れる。
『近い。朝から近い。休日にこれは校則の適用外ですか』
休日なので適用外だろう、たぶん。
心の中でだけ返しながら、俺たちはショッピングモールへ向かった。
*
モールの中は明るくて、人が多くて、冷房が少し効きすぎていた。
休日らしい賑わいに飲まれそうになるが、氷見坂は表情を変えないまま歩く。迷っていないようで、でも時々ちらっと俺を見る。
たぶん、どの店から回るか迷っているのだろう。
「見たいもの、あるのか」
「……小物」
なるほど。
やっぱりプレゼントだ。
俺は少し安心した。
服よりは意見が言いやすいし、選択肢も絞りやすい。
最初に入ったのは雑貨屋だった。棚に並ぶキーホルダー、ペンケース、マグカップ、スマホスタンド。色も形も多すぎて、こういう場所は判断力を削ってくる。
氷見坂は店に入った瞬間、少しだけ歩幅を緩めた。
迷っているのか、慎重に見ているのか、その両方か。
学校では無駄のない動きしかしないのに、今日は棚の前で立ち止まる回数が多い。
そのたびに、俺は少し先で足を止めて待った。
急かすと選びにくいだろうと思ったからだ。
たぶん、そういう気遣いも今日は必要なんだろう。
氷見坂は棚の前で立ち止まり、一つずつ真剣に見ていた。
その視線が、ときどき俺へ向く。
『どうだろう。好きかな。いや分からない。聞け。聞くんだ私』
「……こういうの、好き?」
差し出されたのは、落ち着いた色の革風キーホルダーだった。
シンプルで、余計な飾りがない。
俺は素直に思う。
「いいんじゃないか。使いやすそうだし」
『よし』
実況が短く跳ねた。
やっぱりだ。
これは本命候補が喜ぶかどうかを、俺経由で確認しているんだろう。
俺と好みが近い相手――たとえば瀬名が、案外こういう落ち着いた物を好きなのかもしれない。
あるいは神代か。
どちらにせよ、参考意見としては悪くないはずだ。
問題は、氷見坂が俺の意見を予想以上に素直に採用しようとしていることだった。
普通、相談相手の答えは参考程度に流すものじゃないのか。
それなのに彼女は、俺が「いい」と言ったものを長く見て、「少し派手かも」と言ったものを静かに戻していく。
ここまで従われると、逆に責任が重い。
もし相手がまるで違う趣味だったらどうする。
そう考えると、ますます本命を特定したくなる。
氷見坂はキーホルダーを棚へ戻し、今度は紺色のボールペンを手に取った。
「……これは」
「それも無難」
『無難。覚えました』
まるでテスト勉強みたいに実況がメモしていく。
その様子が少し可笑しくて、俺は危うく笑いそうになった。
でも笑うと変な空気になりそうで、代わりに別の棚を見る。
ミニタオル、マグネット、しおり。氷見坂が選ぶものはどれも派手じゃない。
たぶん相手の普段使いを想像している。
そこまで考えたとき、実況がまた入った。
『やっぱりシンプルが好きそう。そういうところも好き』
今のは危ない。
だが、すぐに俺は理屈をつける。
「相手がシンプルなものを好きそう」なら、瀬名より神代寄りかもしれない。
瀬名は明るい色でも似合うが、神代はたしかに落ち着いた物を使っていそうだ。
俺は候補リストの中で、神代の名前へ少しだけ印を足した。
*
二軒目は文房具店、三軒目はセレクト雑貨の店だった。
氷見坂はそのたびに、俺の反応を確かめるように品物を見せてくる。
「……これ」
「悪くない」
「……こっちは」
「少し派手かも」
『なるほど。派手はだめ』
完全にリサーチである。
「男子」とひとまとめにして話すのは雑だと分かっている。
でもここで俺個人の好みを混ぜるのは、たぶん相談としてずれている。
あくまで男側の平均値に寄せる。
そのつもりだったのに、気づけば話しやすい物や、普段なら自分が選びそうな物を勧めている自分がいた。
無意識は信用ならない。
しかしそのたび、俺の好みがそのまま反映されていくのが妙に気まずい。
本命と俺の趣味が似ているのか、氷見坂が俺の意見を信用しすぎているのか、その両方か。
たぶん両方ではない。
どちらかだ。
できれば前者であってほしい。
そうじゃないと、いろいろ困る。
「疲れてないか」
店を出たところで聞くと、氷見坂は首を振った。
「……平気」
『平気ではない。心臓が忙しい。でも楽しい。言うな。顔に出すな』
平気じゃないなら休めばいいのに、と思う。
けれどその「楽しい」が混ざっているせいで、無理に止めるのも違う気がした。
文化祭の件とは違う。
今日の氷見坂は、自分でここに来て、自分で選んでいる。
少なくとも表面上は。
なら、俺が勝手にブレーキを踏むのは余計なお世話だ。
でも氷見坂が自分から「疲れた」と言わないのは、いつものことでもある。
俺は近くのカフェを指した。
「少し座るか」
氷見坂がわずかに目を上げる。
「……うん」
『休憩イベント発生。デートみたいです。違う。違うけど、みたいです』
実況が自分で言って自分で否定していた。
その「違う」に、俺は少しだけ安心する。
ほら、本人だってこれはデートじゃないと分かっている。
つまり俺の解釈は正しい。
たぶん。
*
カフェの窓際の席に向かい合って座ると、ショッピングモールのざわめきが少し遠くなった。
俺はアイスコーヒー、氷見坂はミルクティーを頼んだ。
ストローに口をつける前、彼女はしばらくカップを見ている。
何か考えているときの顔だ。
いや、氷見坂はいつも何か考えていそうな顔だが、今は少し違う。
意を決して何かをしようとしている感じ。
『笑え。今なら自然。自然って何』
実況が聞こえて、俺は小さく息を止めた。
やっぱり、笑おうとしている。
昨日の写真、中学の笑顔、倉庫で閉じた口元。その全部が一瞬でつながる。
氷見坂はたぶん、休日のこういう場面なら笑うのが自然だと思っている。
相手が本命なら、なおさらそう思うだろう。
でも自然にできない。
できないことを、無理に形だけ作ろうとしている。
それが見えてしまうと、こっちまで少し苦しくなる。
氷見坂は俺を見て、ほんの少しだけ口元を動かした。
笑おうとして、でもうまく形にならない。
無理に引き上げた糸が途中で止まるみたいに、不自然なまま静止する。
「……氷見坂」
「なに」
即答だった。表情はもう元に戻っている。
何でもない、と言うしかなかった。
「いや。ミルクティー熱くないかと思って」
「……平気」
『失敗しました。自然な笑顔は本日も欠品です』
胸の奥が少し重くなる。
でも、ここで理由を聞くのは違う。
今日は本命へのプレゼント選びだ。俺が踏み込む筋じゃない。
だから別の話をした。
「さっきのキーホルダー、結局どうするんだ」
「……まだ、迷ってる」
「相手の雰囲気には合いそうだけど」
俺がそう言うと、氷見坂は一瞬だけ視線を止めた。
『相手の雰囲気。合う。よし』
やっぱり確認事項なんだな、と俺は勝手に納得する。
氷見坂は小さく頷き、ストローへ視線を落とした。
その仕草が妙に静かで、カフェの中だけ時間が少し遅くなった気がした。
*
休憩のあと、俺たちは再びモールを回った。
今度はアクセサリー売り場の前で氷見坂が止まる。
さすがにここは違うんじゃないか、と思ったが、彼女はネックレスではなく小さなチャームを見ていた。
鍵につけるタイプの、シンプルな銀色のやつだ。
「……これ、どう思う」
「悪くない」
『悪くない。採用候補です』
採用候補らしい。
そのあたりで、俺の中では一つの仮説が固まりつつあった。
本命は、シンプルなものを好む。派手すぎる物は避ける。休日に買い物へ行くタイプ。人混みはたぶん平気。
それを候補者へ当てはめると、瀬名より神代の方が近い。
神代司本命説が少しずつ濃くなる。
あいつは文化祭委員長で、氷見坂とも接点が増えている。理屈としては十分ありえる。
瀬名ならもう少し明るい色を選ぶ気がするし、神代ならこういう静かな小物の方が似合う。
落ち着いた色、無駄のない形、普段使いできるもの。
文化祭の資料を持つ神代の指先に、たしかにしっくり来る気がした。
そう考えると、なぜか少しだけ胸の奥がざらついた。
理由は分からない。
たぶん、ここまで付き合っておいて相手が自分じゃないことを改めて確認するのが、思ったより変な気分なだけだ。
もちろん、自分じゃないのは最初から分かっている。
分かっているはずなのに、妙に落ち着かない。
*
夕方に近づくにつれ、モールの人はますます増えた。
ファミリー層に加えて、部活帰りの高校生や買い物客が一気に流れ込んでくる。エスカレーター前は特に混んでいた。
「こっち」
俺は人の少ない通路を選んだつもりだったが、期間限定ショップの前で流れが詰まった。
前から人、横から人、後ろからも人。
少し目を離しただけで、氷見坂の姿が見えなくなる。
「氷見坂?」
振り返ると、いた。
だが二、三歩後ろで、人の流れに半分飲まれかけている。表情は変わらないのに、足が止まっていた。
実況が、ここで一気に静かになった。
それまでの妙な賑やかさとは違う、ひどく切実な声で。
『手を、繋ぎたい』
俺は足を止めた。
その一言だけが、雑踏の音を押しのけるみたいに頭の中へ落ちてきた。
プレゼントの相談でも、休日の予定でも、好みの確認でもない。
もっと単純で、もっと直接的な願い。
なのに主語がないせいで、俺はまた一瞬だけ判断を止めてしまう。
誰の手を。
誰が。
そんなことを考える時間すら、本当はなかった。




