説教
ぎいいい、と重い扉が呻く。
エルフリートがトボトボと談話室へ戻って扉を開けると、暖炉の前の椅子に座っていたメリエーヌが振り返った。
「エデンバーグ次男か。エレーユは?」
エルフリートが一人なのを確認し、メリエーヌは目を細めた。
「帰りました」
そのままを伝えると、メリエーヌは視線だけで対面の椅子に座るように指示をした。
一介の騎士であるエルフリートは王女の御心のまま、指示された椅子に収った。
王国筆頭公爵家の令嬢で第三王女と幼馴染のエレーユはともかく、何のありがたみもない侯爵家出身で、しかも次男のエルフリートは、王女とこんな至近距離で話すのはこれが初めてだ。
部隊の隊長で顔馴染みのクライスが側にいると言っても、やはりうまく喋れる自信がない。
「さて、一部始終聞かせて貰おう。エレーユの意見ばかり聞いてすぐさま君を怒鳴りつけるのは、決して公平ではないからね」
「……一部始終、ですか」
怒ったような顔のメリエーヌに少し不信感を抱きつつ、エルフリートは繰り返した。
一部始終も何も、エルフリートの竜が暴れたので対処に行った、しかしエレーユをパーティに一人置いてきてしまった時間が長く、エレーユは悲しんでいた、と言うのが一連の流れだ。
それ以上でも以下でもないのだが、メリエーヌは更に何を聞きたいのだろうか。
それに、メリエーヌが怒っているのは、エルフリートがエレーユを待たせ過ぎていたことについてだろうか。
確かにそれはエルフリートの落ち度だった。だから、エレーユが怒るのは当然だ。今日はあまりしっかり謝らせても貰えなかったので、後日許してもらえるまで謝るつもりだ。
だが、王女がそんなに怒ることだろうか。彼女は、言うなれば部外者ではないだろうか。
しかしメリエーヌはそんなエルフリートの胸の内には構わず、本題に入った。
「エデンバーグ次男、まず始めに率直に聞かせて貰おう。貴公には婚約者のエレーユ以外に仲良くしている人物……要するに浮気相手、はいるかな?」
「え?」
全く予期せぬ質問だったので、エルフリートは驚いた。
浮気とは、婚約者のエレーユがいるのに他の女性に心移りする事だ。しかしそれを、誰がやっていると言うのか。まさかメリエーヌは今、それをしているのがエルフリートだと指摘したのか。
「王女殿下、質問の意味が」
「解らないと?」
「はい」
エルフリートが素直に頷くと、メリエーヌは次の質問に移った。
「先ほど、エレーユはマリアと口に出していたね。貴公はとぼけていたけれど、心当たりはあるのだろう?マリアとの関係性を教えてくれるかな」
「分かりません」
エルフリートは再び正直に首を振った。
エルフリートは人の名前を覚えることが苦手だが、マリアなんて名前、聞いたことがない。
「言えないような関係性なのかい?」
「いえ、誰なのか分かりません」
「……エデンバーグ次男、浮気は他言無用で墓場までと教訓こそあれど、今懺悔すれば反省の機会が与えられる。エレーユにも私からうまく言ってやることが出来るかも知れない」
「しかし」
知らないものは知らない。
一体何を質問されているのか未だ完全に理解できていないのに、何を答えろと言うのか。
困ったエルフリートはチラリとクライスを見た。クライスはぎゅっと眉根に皺を寄せて口をぱくぱく動かしているが、エルフリートには彼が何を伝えようとしているのか解らなかった。
しかし普通に考えて、クライスが大切な婚約者であるメリエーヌよりも、エルフリートの肩を持つとは思えない。
エルフリートはクライスの助け舟を諦めて、メリエーヌに向き直った。
「ではエデンバーグ次男、教えてくれ。先ほど会場で、貴公はエレーユを残してマリアと連れ立って外に行き、一体全体何をしていたのかな?」
「マリアは分かりませんが」
「あくまでその体か……。いいだろう、聞こう」
「竜を宥めていました」
「ん?!」
険しい顔をしていたメリエーヌが、驚いて体を乗り出してきた。
「どこで?」
「騎士団本部の飛竜舎です」
「どの竜を?」
「私の竜です」
「では貴公が会場を離れた理由は、飛竜舎で飛竜を宥めなければならなかったからと言うのかい?」
「はい」
メリエーヌはクライスに視線で合図を送った。
ようやくクライスに発言が許可されたらしい。
クライスは今まで結ばれていた口を開き、一気に言葉を吐き出した。
「その通りだ、エルフリートの竜は今まで誰も乗れなかった一番気難しい個体だ!飛竜管理官ですら難儀する竜だから、荒立った時はエルフリートが対処するしかない。ほら言っただろう。エルフリートは浮気なんてする奴じゃない!」
「まだ浮気をしていないと確信できた訳じゃあない。そんなに勝ち誇らないでくれるかい」
椅子から腰を浮かせかけているクライスを、メリエーヌはキッと睨んだ。
メリエーヌに主導権はあるものの、どうやらエレーユの肩を持つメリエーヌに対して、クライスはエルフリートの肩を持ってくれているようである。
部隊の中でも喋る相手はほとんどいないエルフリートだが、クライスだけは別で、もしかしたら彼は友人と呼べるかも知れない。
「マリアについて聞かせて貰おう。竜を宥めていたんだろう、ではマリアについても説明できることのはずだね?」
「いえ、分かりません」
「おや。もしかして竜を宥めに行くというのは口実だったのかな?貴公はマリアに耳打ちをされ、手を引かれて会場を出て行ったんだろう」
「……俺を呼びに来た飛竜整備官はいましたが、マリアは分かりません」
「なるほど、その飛竜整備官は女性かな?」
「はい」
「名は?」
「忘れました」
顔は思い出せるが、名前を覚えていない。
エルフリートが嘘をついていないと判断したのか、メリエーヌは再びクライスに目配せをした。
「クライス。名前がマリアと間違えられそうな、若い女性の飛竜整備官。心当たりは?」
「若い女性は二人いる。一人はマルグリット、もう一人はマイラだ。マイラは名前も似ているし、何より彼女はエルフリートの竜の担当だ。呼びに来たのはマイラだと思う」
クライスが断言して、エルフリートも頷いた。
多分、エルフリートの竜の担当飛竜整備官は、そんなような名前だった。
エルフリートはそれから会場で何が起こったのか、メリエーヌと一問一答のような形で説明していった。
飛竜が暴れたことを他の騎士の耳に入れないように飛竜整備官がエルフリートに耳打ちするしかなかったことや、エレーユに謝って会場を出たこと、それから竜を宥めたらすぐに帰ってきた事など、仔細を聞かれたので、思い出せる限りで正直に答えた。
「そうか、そうか、なるほど、なるほど。今回何が起こったのかはよく分かった。浮気だなんだと疑ってかかってすまなかったね。それだけは謝らねばなるまいね」
「いえ」
疑いも晴れたし、これでようやく解放されるとエルフリートは思ったが、メリエーヌは厳しい顔で引き留めた。
「しかし、だ。もう一つ、君に聞いておきたいことがある」
「君はエレーユのことが、本当は好きではないのかい?」
「え?」
最近そんなようなことをアレクサにも聞かれた。
エルフリートはエレーユと婚約をしている。婚約をしているというのは、これから結婚して一生共に過ごしていきたいと思っているのと同義だ。なのに、相手を好きでも何でもないなんてことあり得るのだろうか。皆、何故分かりきった質問の答えを聞きたがるのだろう。
「剣武祭でエレーユの為に戦うことができる君の姿を見れば説得させられもしたけれど、少し、口頭でも確認をしたくてね。君は、エレーユを大切に思っているという解釈で間違っていないね?」
「よし、よかった。いや、状況はよくないな。このままでは、君はエレーユに嫌われることになるかも知れない」
「嫌われる……」
「ああ、そうとも。しかし私は、君とエレーユとの関係が修復不可能になる前に、なんとか手を打って欲しいと思っている」
「君は、エレーユが悲しんでいたのは待たせたからだと言ったね。エレーユは完璧な公爵令嬢であるように厳しく躾けられた子だ。自身の感情は表に出さない術に長けていることは否定しない。しかし先ほどの暴露をもってしても、彼女が怒ったのは待たせたことだけが原因だと、君は本当にそう思っているのかい?」
「……」
「では君は、今度エレーユに会ったら待たせたことだけを謝るつもりかい」
「はい……」
「それが大いなる間違いだ、エデンバーグ次男よ。君は女心が全くと言っていいほど分かっていない!」
メリエーヌの鬼気迫る表情に、エルフリートは思わず息を呑んだ。
しかし、その指摘はよく考えてみれば今更な気もする。
エルフリートは女心どころか、人の気持ちを読むのが苦手だ。言葉の裏に真意や嘘があってもそれを見抜く目は持っていないし、察することも当たり前のように上手くできなかった。
何かを改善しようにも、それはきっと果てしなく遠い道のりになるだろうが、どうすればいいのだろう。
「いいかね、エデンバーグ次男。今回は私が特別に助け舟を出そう。こんな出血大サービスは今回限りだからな。エレーユには、『第三王女殿下に助言をもらった』なんて口が裂けても言わないように。いいな?」
「はい」
「よし、いい子だ。ではまず、今回の君の反省すべき点について」
「はい」
「まず、浮気と間違われるような行為は慎むこと」
「はい」
「それから、状況でも思ったことでも、しっかりと伝えてあげること」
「あまり、得意ではないかもしれません」
「そんなことを言ってないで、できるようになるんだ」
「はい」
「それからパーティで一人残されたエレーユは、気丈に振る舞っていても心細かったに違いない。考えてもごらん、周りには仲の良いカップルだらけで、しかもエレーユは酔っ払いに絡まれて嫌な思いをしたんだ」
「はい」
「あの場で、最低限『飛竜を宥められるのは自分だけだから、行かなければならない』と断っておけば、エレーユも怒る事はなかったはずだ」
「謝ったら、許してもらえるでしょうか」
「分からない」
「そう、ですか」
「そう。それは君次第だよ、エルフリート。まず、エレーユに会って話す機会を貰うんだ。そこで今晩の一部始終を一から十まで全て説明すること。そして花にお菓子に、それから金の髪飾りでも買って持っていけ。髪飾りはとびっきり可愛いやつにするように。ああ、包装も気の利いたものを頼むよ」
「……」
「自信がないのかい?大丈夫、エレーユは先ほど私の髪飾りを見て少し悲しそうな顔をしていたから、きっと欲しがっているはずだ。婚約者からもらう髪飾りは、最近の社交界で再燃してきた昔の風習でもあるしね」
「青色は、嫌いでしょうか」
「青?嫌いかというのは、エレーユが、という意味かい?」
「青がどうかしたのかい」
「いえ」
「なんだ、そこまで言ったのなら言いなさい。エレーユの親友の私から直々に助言が貰える機会もそうそう無いよ」
「これを、準備していました」
「君が、エレーユに渡そうと準備していたと?」
「……はい」
「でもまだ君の手元にあると言う事はなんだ、渡せなかったのかい」
「よくないものを選んでしまいました」
「見せてごらん」
「検討したのですが、彼女の髪色と同じだったので、これが良いかと」
「見事にエレーユの髪の色だね。慣れた男であれば自分の目の色、髪の色のアクセサリーを押し付けてくるものだが、君は見事に頓珍漢な選択をしたようだ」
「……やはり、良くありませんでした。買い直します」
「いいや、いいんじゃないか。確かにあの子は藍色の髪だから青をつけようと思った事はないはずだ。だが、これを機会に着けたら存外気に入って、毎日着けるかも知れないじゃないか。買い直さずに、それを渡すべきだ」
「しかし」
「エレーユに似合うと思って、君が頑張って選んだのだろう。それを言葉で伝えてあげれば、何よりの贈り物になるに違いないよ」
「伝えるだけでですか」
「そうだ。君が伝えてあげるんだ。そうすればあの子はきっと喜ぶ」
「じゃあ、今日は真っ直ぐ家に帰るんだ。寝る前には反省を忘れないようにね」
「あの子はね、ワイトドール家の長女だから。気の合わない人間とも、扱いづらい人間とも、色々とそつなくやってきたんだよ。でもエデンバーグ次男にはどうしても本心を分かって欲しかった。それは、そういうことなんだろうね」




