本命の方とどうぞ
「あらエルフリート様」
「すまない、待たせた」
「……ええ、待っていましたとも」
「逢引き、もうおわったんですか?」
「?」
「マリアさん、でしたっけ。もういいんですか?」
「マリアさん……?」
「とぼけないでくださいな。さっき、仲良く出ていったではありませんか」
「仲良く……?」
「そうです。それにエルフリート様は、マリアさんの耳打ちに喜んでましたよね。耳打ちをされて、可愛いわんこのように、脇目も降らずにマリアさんについて行ってしまいました」
「何の話を……?」
「何の話?そうですねえ。貴方は私といるより、マリアさんといる方がいいんですよね、という話ですわ。エルフリート様は、私のことなんてどうでもいいんですよね。うふふ、承知していますとも、本当は。ただ、本気で認めたくなかっただけで」
エルフリートに詰め寄るエレーユを全身で制して、メリエーヌはエルフリートを仰ぎ見た。
「すまない。私がついていながら、エレーユに酒が入りすぎた。君の話を聞くためにも、少し場所を移動しようか」
メリエーヌが喚くエレーユを引っ張っていく。
クライスとエルフリートがその後に続き、一向は騎士団本部の一角にある、小さな談話室へ到着した。
各々が思い思いのソファに着席した時、エレーユが正面に座るエルフリートに向かって口火を切った。
「うふふ、エルフリート様は、わたしの事が嫌いですもんね」
「え?」
「聞こえなかったですか?うふふ、もう一度言いますね。エルフリート様は私のことが大嫌いで、本当は結婚なんてしたくないんですよね。私が痴漢に遭っていても知らんぷりですし」
「な」
「貴女がマリアさんと仲良く出て行ってから、私、ひとりで待ってました。でもエルフリート様はずっと来てくれませんでした。そういう事なんですよ」
「……すまない」
「ああ、誤解しないでくださいね。謝らせたい訳ではないのですよ。だってエルフリート様の心はエルフリート様のもの。それにそもそもエルフリート様は、本当は悪いなんて思ってないですよね?」
「いや」
「だって、もともと我慢して私と婚約してくれたエルフリート様は、言うなれば被害者ですもの。ああ、政略結婚なんて嫌な文化ですわね。でも大丈夫。これからは自由恋愛の時代です。エデンバーグ家の繁栄を祈って乾杯」
……あーあ、何を言っているのかしら、私は。制御もできず思ったままの汚い内面を晒して。きちんと教育を受けた淑女なのに、ああ、みっともない。
もう、才色兼備で品行方正、清く正しく、誰にでも優しいしっかり者のエレーユはここにはいない。
ここにいるのは、卑屈をぶちまけ、最後の足掻きで駄々をこね、どうにもできないことに文句を言って周りを困らせる、ただの聞き分けの悪い子供だ。
……そんなことをすればますます嫌われると、分かってはいるわよね?
頭の中にかろうじて残っていた冷静な部分のエレーユが冷たく笑う。
駄々をこねても、謝らせても、エルフリートの気持ちが変わることはない。分かっている。
だけど、もうわからない。
どうすれば仲良くなれた?どうすれば好きになってもらえた?どうすればあの子より優先してもらえた?
もう他にやり方がわからない。
エレーユは表向きを長年取り繕って、社交界の藍の宝石とも言われるような公爵令嬢の評判を得たが、実際中身はこんなどうしようもない女だ。
ゼファルが来た時も失態を犯してはいたが、今回、完全に「結婚しない方がいい女」であることを露見させてしまった。
……あーあ、完全に嫌われた。絶対もう終わり。
面倒臭い、鬱陶しい、皮肉な女。こんなの、みんな嫌だろう。
エルフリートには元々嫌われていたのだから、彼は今、嫌いを通り越して嫌悪だろうか。
好かれようと頑張っていたけど、これにて終了。
もうエルフリートと話すこともない、エルフリートにイライラすることもない。モヤモヤすることもない。手紙を待つ日々も戻ってこない。一緒に出かける日のために朝から準備をすることもない。
もしかしたら明日はもっと色々話してくれるかも、もしかしたら次はもう少し仲良くなれるかも。そんな叶わない期待をしてしまう日々も、もう来ない。
……清々した。清々したのに、ああ、泣きそう。
しかし泣けない。泣けば、エレーユの最後の砦が崩れてしまう。
公爵令嬢として、気丈に振る舞うための最後の鎧を外しては行けない。
自分の負の感情を、最後まで表に出しては行けない。
「エルフリート様、私、私のことが好きな人と結婚したいんですの。貴方もね、貴方が好きな人と結婚した方がよくってよ」
皮肉屋の幼い弱虫エレーユがわんわん泣き始める前に、口を閉じなければ。
そして、この場から消えなければ。
泣き顔を見られるより、この台詞を最後に別れにした方が幾分かマシか。
エレーユは室内にも関わらず、立ち上がった瞬間に駆け出した。
しかしエルフリートがものすごい反射神経で追いかけてくる。
「待て」
「ついてこないでください!」
エレーユは覚悟を決めて、談話室を出てからヒールを脱ぎ捨てて全力で走った。が、やはり一介の公爵令嬢がかけっこで現役の騎士に勝てるはずもなく。
簡単に追いついたエルフリートは「すまない」と律儀にも断ってから、エレーユの手首を掴んだ。
捕まった。
一瞬しまった、とも思ったが、エレーユが力の限り腕を振ると、あまり力を入れていなかったエルフリートの手があっけなく離れた。
どうせ、強い力で引き留める気もなかったのだろう。
駆け出した婚約者を追いかけるのが自分の義務だとでも思ったのか知らないが、これがただのポーズだったことは明白だ。
これは二人の関係を物語っているようにも思えて、逆に笑えてくる。
好きでもないのに、婚約者を続けている、ポーズだけの二人の関係。
エレーユは再び走り出した。
今度はエルフリートが絶対に入って来られないであろう走路、女性専用サロンを経由して馬車寄せへ向かう算段だ。
このままサロンのバルコニーから外へ出て、噴水のある中庭を横切れば、すぐに馬車寄せ。
馬車に飛び乗ったら、一直線に屋敷へ帰る。それでお終い。
……と、エレーユは思っていたのだけど。
エルフリートは馬車寄せでエレーユを待っていた。
ワイトドール家の馬車の前に立っているので、避けては通れない。エルフリートが一枚上手だった。
エレーユは覚悟を決め、眉を吊り上げた表情でエルフリートと対峙した。
「どいてくれます?」
「待て」
「何を話すことがあるんです。私のように面倒臭い女は放っておけばいいでしょう」
「いや」
エレーユは首を振ったエルフリートとしばし睨み合った。
何か打開策がないのかとまだ酔ってふわふわする頭で考え、エレーユはハッと気がついた。片手を、持っていたポーチの中に乱暴に突っ込む。
目当てのものをぐっと握って取り出した手の中には、遊覧船のチケットがあった。
差し出すと、エルフリートは小首を傾げた。
「これは?」
「遊覧船のチケットですわ。差し上げますので、本命の彼女と一緒に行ってはどうです?」
「え?」
「本命の方と一緒に行けばと言っているのです。さあ、お好きにどうぞ!」
エルフリートがなかなか受け取らないので無理やり手に捩じ込むと、チケットが一枚ひらり土地に落ちた。
拾うために屈んだエルフリートの隙を付き、エレーユは馬車に乗り込んで間髪入れずに出発した。
遠ざかる窓の外で、エルフリートが何かを言っている。
よく聞こえないが、聞く必要もきっとない。




