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童話書店の夢みるソーネチカ  作者: 横山くらい
平衡のシンデレラ
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17/19

17. 平衡のシンデレラ (3)

 震える掠れた呼吸音が耳に届いた。見たくない。見たくないと思うけれど、大切に想うのならば受け入れなければならない。


 ゆっくりと視線を向けると、胸の前で左手首をきつく握りしめたゆかが口を結んでいた。頬を伝う雫が唇の端を湿らせていく。渇いた千花の口腔が外を望んでも、送り出す言葉が見つからない。慰めも励ましも理解がなければただの暴力だ。


 すさんだ千花を笑顔にしてくれたゆかの表情に今は胸を締め付けられている。それでも、その痛みを背負って最後まで聞き届けなければならない。二人のシンデレラに決着をつけるために。


「理絵ちゃんが……理絵ちゃんが悪いんです!」


 限界を迎えた結び目がほどけて、澄んだ叫声が木霊する。


「わたしたちの会話を盗み聞いて、クラスに広めてたんですよ。自分がシンデレラのドレスを着て目立ちたいからって、わたしに衣装を変えさせようと嫌がらせしたんです!」


 抑えていた苛立ちを吐き出すような声に、千花は戦慄した。心からの思いは身体の芯を大きく揺らがせる。


 幾度かの深い息を吐いて興奮に抗ったゆかは、短い言葉を繋げて残る胸中を吐露した。


「……でもわたしは千花さんのおかげでシンデレラを貫く決心をしました。わたしにシンデレラのドレスを着せたがってたの、おかあさんなんですよ。おかあさんも千花さんも楽しみにしてくれたドレスを、理絵ちゃんは似合ってないってバカにした!」



 握り拳で両の腿を打つ。ゆかは悔しかったのだ。


 ……私のこともゆかちゃんの友達やお母さんのことも、ハロウィンの仮装で笑顔にしたかったんだね。そんな温かい気持ちを理絵ちゃんに否定されたんだ。


 ゆかは俯いて目を瞑ったまま、思いの丈を吐き出した。


「おかあさんはいつも言ってました、やられたらやり返せって。やられっぱなしなんて悔しくて耐えられません!……そんな時、時計が落ちたんです。閃きました!理絵ちゃんに門限があるのは知ってたから、焦って帰ってもらおうって」


 ……勝気な母親に育てられたから、ゆかちゃんは強いんだ。


 目には目を、歯には歯を。柳木がゆかの母親、朝野美保のモットーだと言っていた言葉だ。体育会系の負けんとする対抗心として力強く感じた言葉も、憎しみを持てば冷徹に心に響く。


 やられっぱなしがいいとは思わない。嫌がらせやいじめを受け続けた先に何が待っているのか、想像に難くはない。千花も一度目の悪夢の中で心が折れ、逃げることしかできなかった。心も体も疲弊し、終わりを予感していたのだ。


 だからといって、因果応報は執行を正当化されてもいいのだろうか。二度目の悪夢が悲劇を招いたように、理絵にも不幸が訪れた。その不幸で一体誰が幸せになれたのだろう。


 千花にはゆかを擁護することも叱ることも出来なかった。


 ……柳木さんなら、声をかけてあげられるのかな。私には、どうして答えが見えないの?


 自身の無力に歯を食いしばって、千花はその後ろ姿を眺めていた。


「この靴は理絵ちゃんのですね、自慢されたのでわかります。わたし靴は白色で透きとおってなかったから仮装も中途半端だって。血がついてるってことはけがしたのかな……なら、これでおあいこです」


「ちげえだろ」


 前屈みでゆかに向き合っていた柳木がこれまでの沈黙を破る。目前の言葉にゆかは下ろしていた視線を僅かに戻した。


「お前は会話の途中で、理絵が血が出るほどの怪我をした可能性に気づいた……だから泣いてんだ。やり返したこと、本当は後悔してんだろ?」


 消えない涙の道が食いしばって閉じた口まで光を反射している。顔を上げたゆかは喉だけを震わせて唸るように肯定した。


 やり返しても心を痛めて満たされない。ゆかの中には優しい心が根付いている。報復した分だけ、ゆかは笑顔でいられなくなるのだ。


 柳木はゆかの肩に手をのせ、諭すように呟いた。


「俺はな、やられても思い通りにはならない……これが最大限の仕返しだと思ってる。俺だって中学の頃はあらぬ噂で貶められたもんだ。殴ってやり返すのは簡単だが、それだと相手の思うつぼだろ?だから俺は真っ当に生きた。手は出さねえ、決まりも破らねえ……そうやって思い通りにはならない」


 その言葉に千花は絶句した。


 つまり柳木は、本当に不良のように扱われていたのだ。実際に暴力がなくても噂は人を作る。高校時代生徒会に所属していたというのも、そんな噂を立てる悪意ある人間の思い通りにならないためだったのだ。淀みない嫌がらせで相手を見返していたのだ。


「やられっぱなしが嫌ってんなら上出来だ、さすが先生の娘だな。お前なら思い通りにならない努力が出来るはずだ」


 涙を拭い、肩の息が安らぎつつあるゆかの頭をなでて、柳木は立ち上がった。緩んだ口元を引き締め、ゆかはまだ赤らんだ目で柳木を見つめる。心の区切りをつけ、大人びた熱意を胸に抱いているようだった。


「痛みで平衡は取れねえ。一夜でもシンデレラに変身したんだから、その優しさを貫くんだな」




 紙袋を揺らして、ゆかが公園を出ていく。「口頭が難しいなら手紙で謝ればいいんじゃねえか?」という柳木のアドバイスを、今すぐに実行する勢いだ。


 千花は結局、ゆかの力になれるような言葉は思い浮かばなかった。別れ際に、また遊びに来てねと笑顔を作っただけだ。それもゆかを安心させるための粗末な演技。相談を受けた時も告白を受け止めた今も、千花は彼女に寄り添って助けてあげることが出来なかった。


 話を聞くことなんて簡単だ。聞いたのならその先を、知ったのなら形にしなければ千花は子どものまま、無力なままだ。


 ……教師になって子どもたちを導きたいんでしょ?それなのに、ゆかちゃん一人だって助けられない。


 すでにゆかのいない公園前の道を呆然と眺めていると、脳天に衝撃が走る。千花はたまらずその場に身をかがめ、両手で頭を押さえた。


「へえっ⁉痛い!」


「何ぼーっとしてんだ。店を放り出した挙句、尾行するようなやつには当然の報いだな」


「さっきやり返しはなしって話だったでしょ⁉ちょっと感動したのに、やっぱりヤンキーだ!」


「お前はいいんだよ、それより反省しろ」


 柳木に置いて行かれそうになり、慌てて上体を起こす。どうして千花なら暴力が許されるのか、理不尽な言い分に納得できないまま彼の背中を追う。本当は開店についての相談があったのだと必死に弁解した後で、昨日の帰路で聞きそびれていたことを思い出した。


「そういえばどうしてガラスの靴って消えなかったんですか?あの靴も魔法だったんですよね」


「こんだけ不吉なもんだとわかっても、まだ靴が気になんのか」


 今となっては、いじめと血が呪いのように装飾された冷たいガラスだ。しかし、千花は幼い頃から不思議に思っていたのだ。なぜ、十二時を過ぎてもガラスの靴だけ魔法が解けなかったのか。


 「それは原作の……」と言いかけた柳木は、千花を見つめて声を途切れさせる。どうしたのかと問いかけると、咳払いをしてそっぽを向いてしまった。そうしてぽつりと、独り言のように呟いた。


「ガラスの靴が消えないところまで魔法だったんだろ」


 王子様がシンデレラを見つけられるように、魔法使いが隠していた幸せの魔法。それはガラスの靴が悪意だけのものではなく、シンデレラの幸せを願う祝福が込められているのだということを示していた。


「柳木さんはロマンチストですね」


「お前と一緒にすんな」


 手つかずの童話書店にベルの音が響く。


 取り繕った心が影の中にあるように、千花の悪夢はまだ醒めてなどいなかった。


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