13. ガラスの靴を残して (2)
「柳木さん!」
走った勢いのまま乱暴に扉を開けると、カウンターの前で缶コーヒーを片手に持つ柳木と目が合った。呆気にとられた様子で目を細めた柳木は、肩で息をする千花に違和感を覚えたようだった。缶を机の上に置き、薄暗い部屋の奥からどうしたと歩み寄ってくる。
千花は息も絶え絶えにガラスの靴とゆかに起こったかもしれない出来事について話した。ゆかと初めて会った日に相談されたことから、血の付いたガラスの靴を拾ったことまで。話が行き来してうまく説明できなかったと思うけれど、柳木は千花が一度話すと、状況を把握してくれた。
「とりあえず座れ」と柳木に促され、千花は呼吸を整えながらカウンター内部の椅子に座る。拾ったガラスの靴は柳木に渡し、柳木はそれをタオルの上に横たえた。
「確かめるべきはゆかが本当に怪我したかどうかだ。お前からも連絡は取れるだろうが後ろめたいことがあったら隠すかもしれん……ゆかの親に電話をかけてみる」
そう言って、柳木はバックヤードの方へ向かった。ゆかの母親とは関わりたくなさそうだったので申し訳ない気持ちもある。けれど、今はただ彼女の安否が気になってそれだけを考えていた。
……ゆかちゃんに何かあったら、私はもうあの娘に顔向けできない。
傷つけること、傷つけられることが夢を通して千花の心に刻まれた。いい加減な発言が災いを呼んだのなら、千花は千花の嫌悪した、傷つける側になったということだ。実際に痛みを感じたからこそ、その愚行に後悔が止まらない。
やはり千花自身もメッセージを送ってみるべきだろうか。手元にあるスマホの画面とバックヤードに繋がる扉を目で行ったり来たりしながら悶々としていると、階段下の扉がゆっくりと開いた。
柳木は携帯電話の電源が切れたのを確認して、険のない表情を見せた。
「そんな顔をするな。少し疲れていたみたいだが、けがはないらしい」
「よかった……ゆかちゃん無事だったんだ」
こわばっていた体の力が抜け、無意識に安堵の息が漏れる。千花はそのままカウンターテーブルにぴたりと倒れこんだ。戻ってくる柳木の足音だけは知覚しながら、感謝を言うことも忘れて安心感に浸る。静寂にだんだんと常識を取り戻し、首だけ動かして柳木を眺めると、飲みかけの缶コーヒーに口をつけているところだった。
「あの、テンパって申し訳ないです。あとありがとうございます」
「朝からヒヤヒヤしたぞ。ゆかの様子なんて電話して聞くもんだから、ロリコン扱いされた。責任を取れ」
「あれ、子ども好きなんですよね?」
「LIKEの好きだろうが。人格者だから未成年には手を出さん」
未成年じゃなくても、怖がられて逃げられそう。出す手もないのでは?なんて内心毒を吐く。来年に迫る十八の誕生日をなんとなく期待しながら、気の抜けたままに千花は呟いた。
「ねえ柳木さん、この靴はどうゆうことでしょうか」
ゆかの安全に思考を止めてしまっていたが、血の付いたガラスの靴は今もそこにあるのだ。不穏な出来事は必ず起こっているはずなのに、千花には全く見当もつかなかった。体を起こし、壁側の棚の上に置かれたガラスの靴を眺める。
「俺だって聞きてえよ。とりあえずこの後警察に持って行ってくるが……本当に『シンデレラ』みてえで気味が悪い」
「それって……」
血の付いたガラスの靴なんて千花の知る『シンデレラ』には登場しない。もしそれがあるのなら、昨日柳木が話してくれた残酷な童話集……。
「グリム童話、ですか?」
柳木は意外だという風に千花の顔をまじまじと見た後、甘い缶コーヒーを苦い顔で飲み込んで鬱々と語り始めた。
「絵本で読む『シンデレラ』だと、シンデレラは最後幸せになれるが母親や姉たちに罰は下らない。だがグリム童話ではそうじゃねえ」
残酷な因果応報があったというのか。千花はその先を聞くのが怖くなりながらも、それをすでに知っているような不吉な既視感を感じていた。
……血とガラスの靴、因果応報。夢の中で私……。
「足の切断」
柳木が淡々と言い放った。
「ガラスの靴が入らない娘たちに母親はナイフを渡すんだ。姉はつま先、妹はかかと。二人とも足を切り落としたおかげでガラスの靴を履けたが、靴に滲んだ血を見られて結局偽物だとバレる」
隣でレジスターの鍵を開けながら柳木は続けた。
「それだけじゃねえ。実はグリム童話だと魔法使いではなく白鳩がシンデレラを助けてくれる。結婚式の日、改心せずシンデレラに取り入っていた姉妹は、その白鳩に両目ともくり貫かれるんだ」
「童話とは思えねえ残酷さだろ」と投げかけて、柳木は千花の顔色をうかがう。聞きたくなかったと文句をわめく姿を期待していたのかもしれない。けれど千花には、柳木の最初の一言から続く話に耳を傾ける余裕なんてなかった。きっと間の抜けた顔をしていたに違いない。
「……見ました」
「あ?何を」
「足を切るところ……今朝、夢で」
「はあ?また見たってのか!」




