「他の聖女をあてがう」作戦失敗
気づくとシルヴィアはアークのことを洗いざらいルルカに話していた。
ルルカをシルヴィアの父であり皇帝候補だと思っているロゼは何も文句は言わず、緊張した面持ちでルルカの判断を待っていた。「そうか」とだけ言ったルルカは、領主にロゼとアークを手放すよう話をつけ――本当に話をつけたのかどうかあやしいが――アークとロゼをルルカの館に迎えた。
妖魔馬が引く馬車を見た時点で、色々察したのだろう。そもそもアークに妖魔が憑いているのだ。ロゼはおとなしく馬車に乗って、何も問わなかった。
突然の訪問客にスレヴィは片眉を吊り上げたが、ルルカが最初シルヴィアをつれてきたときのように、黙って給仕や部屋の支度をしてくれた。そのあたりが限界だったようで、ロゼは待っている間に気を失うように眠ってしまった。
アークと一緒の部屋に寝かせて一息ついたら、もう夜になっていた。
とりあえず湯浴みを先にすませたシルヴィアは、部屋に食事を運んできてくれたスレヴィにまばたく。食事と言っても、カップスープとレタスや卵やハムを挟んだパン、切った果物といった軽食だ。
「今夜はここで夕食なんですか?」
「もう遅いですから、ルルカ様も部屋で摂られるそうです。おひとりになりたいのかもしれません、色々あったようで」
色々。
そう言われると、出てくるのは妖魔熊のことだ。別にルルカとあの妖魔熊が親しいところを見たことなどないが、同じ妖魔、仲間意識があってもおかしくはない。
さすがにシルヴィアも思うところがあった。散々、追いかけ回されたけれど、助けてくれたことをなかったことにするほど、恩知らずには生きていない。
「……お父様の部屋に行ってもいいですか」
「おや、珍しい」
「お話ししていないこともあるので」
では、とスレヴィがぱちんと指を鳴らすとワゴンがやってきた。
「私はあの人間のほうを見ております。騒がれても困りますので」
ワゴンにシルヴィアの食事を乗せ、別の廊下の角をスレヴィはまがっていった。シルヴィアはワゴンを押して、廊下を歩く。ほんの少しだけ体が重い。いや、気分が重いのか。
(久しぶりに屋敷から出て人間の街へ行ったのに)
喜びや懐かしさはなかった。もともとシルヴィアは人間の社会から弾かれていたから、そんなものだろう。屋敷に戻って、緊張がほどけたのかもしれない――そう考えてはっとした。
安心してどうする。普通に、家に戻ってきたみたいに。
廊下の洋灯が、ゆらゆら揺れていた。普通って何。そう問いかけられたような気がしてシルヴィアは足を止めると、ちょうどルルカの部屋の前だった。
深呼吸して、扉を叩いた。
「お父様。シルヴィアです」
返事のかわりに、きいと扉が勝手に開いた。控えめに扉の隙間から覗きこむ。灯りは書斎机の洋灯しかついておらず、部屋の中は薄暗かった。だが、どうにかこちらに背を向けて一人掛けのソファに座っているルルカの頭が視認できた。開けっぱなしのテラスのほうを見ているようだ。夜風に当たっているのだろうか。
「食事を持ってきました。……入っていいですか?」
「どうぞ」
ルルカが一人がけのソファを指し示す。グラスが置いてある小さなテーブルを挟んだ先にある、一人掛けのソファだ。気づけば、ワゴンも勝手にそこへ移動していた。ルルカが魔力で動かしているのだろう。黙ってソファに座ると、ブランケットも舞い降りてきた。
「体をひやさないように」
忠告に従い、ブランケットの前を合わせて隣のルルカを見た。
肘を突いて外を眺めているルルカは、何やら物憂げな顔をしている。まさか、妖魔熊を偲んでいるのか。
「今日はよく頑張った」
「い、いえ! たまたまです……」
なのにルルカがそんなことを言い出すものだから、声がひっくり返ってしまった。そのまま焦って、話を続けてしまう。
「お父様がいるから妖魔と交渉できたので……ロゼにも助けられました。あの子の能力のおかげで行動できたようなものです。私は、何も」
「ずいぶん謙遜するな」
「私は数秒先の未来が数秒視えるだけです。ロゼは危険を予見できますから」
ルルカが流し目を向ける。シルヴィアの口調がますます早くなる。
「そ、それでですね。ロゼとアークは、仲が良いです。互いが助かるならば妖魔の存在も許容するくらいにです。ですが、今後なんの庇護もなしに生きていくことは難しいでしょう。ふたりとも故郷に戻れませんし――そこでお父様はどうかな、と」
「妖魔皇として庇護してやるかわりに、皇帝選に協力しろと持ちかけるわけか」
「そう! そうです。きっとロゼとアークも頷きます。お父様は?」
「いい案だと思う」
ぱっとシルヴィアは顔を輝かせて、肘掛けからルルカのほうへ身を乗り出した。
「なら、お父様は皇帝選から撤退してサポートに回り、私はお役御免――」
「さすが俺の姫は親孝行者だ」
不意打ちで向けられたルルカの笑顔には、口をつぐませるだけの迫力があった。シルヴィアから目をそらさず、ルルカはゆっくりと告げる。
「今後もこの調子でよろしく頼む」
「……せ、聖女ってふたりも必要ですか」
「仲間は多いほうがいい」
何が仲間だ、と言うのをなんとかこらえて、シルヴィアは悟る。これは駄目だ。
きちんと使える聖女の能力があって、こちらに抱きこめそうで、妖魔を受け入れられる。ロゼはそういう意味でなかなかいい線をいっていると思っていたのだが、ただルルカの手駒をひとつ増やして終わったようだ。
「ずいぶん表情が顔に出るようになったな。むくれている」
「……おかげさまで」
「お前は優秀だ。先が楽しみだよ」
そうやってほめられても、素直には喜べない。意趣返しもこめて尋ねてみる。
「お父様はがっかりしませんでしたか? 私の聖眼」
不思議そうにルルカが首をかしげた。




