妖魔皇の娘の初陣
振動のせいだろう。ロゼはわりあいすぐに目をさまして、それから叫んだ。
「な、な、な、なんでくっ熊っ!?」
「この熊は味方です。………………たぶん」
「熊が!? なんでですか!? こ、これ、ほんとにただの熊ですか!?」
「聖眼で視てください、あなたにも私にも危険はないはず」
ロゼは頬を引きつらせたが黙った。一応、納得してくれたようだ。
「今、アークを追いかけてます」
さっさと話をそらそうとしたシルヴィアの思惑どおり、ロゼは表情を変えた。
「本当に領主を殺すつもりなら、街に向かう前に止めないといけません。緊急課題は提示されたばかりだけれど、ここは聖都にも近い。近場の聖女と皇帝候補が集まっていてもおかしくない」
「は、はい。このままだとアークは……い、いっぱい、槍に、刺されて。ど、どう、どうすれば……っ」
それがこのままだと訪れるアークの死か。
「なんとかします」
シルヴィアのつぶやきに、目を閉じて震えていたロゼが顔をあげた。
「ど、どうやって、ですか」
「説明はあとです、いきます!」
アークが見えた。少し遠い場所に見える点のような影だ。シルヴィアにつられて前を見たロゼが、はっと青ざめた。
「アーク……っだめ、森の出口には、爆弾がしかけられてて……っ」
舌打ちしたシルヴィアは叫んだ。
「私を投げ飛ばしてください!」
「グオォォォォ!」
吼えた妖魔熊が、シルヴィアをぶん投げた。なんの躊躇もない投擲だ。だが風圧の中でも魔力を全身に巡らせれば、問題なく動けることをシルヴィアはもう知っている。
(ロゼは私の危険を予見してない。この行動で問題ない!)
妖魔熊の腕力で加速したシルヴィアの体は、あっという間にアークの上を取る。アークの驚いたような顔が見えた。
太い木の枝をつかんで一回転し、遠心力をつけてアークの背中に蹴りを叩き込む。地面に激突しても勢いは殺せず、土をえぐって木にぶつかったところで、ようやく止まった。
「お、前、なに……ッ!」
起き上がろうとしたので、背中を踏んづけた。もちろん、今まで鍛えた魔力込みの脚力でだ。アークが信じられないものでも見るような顔をしている。
「妖魔を出してください」
シルヴィアの静かな命令に、アークはまばたいた。それを見て、シルヴィアは渋面になり、言い直す。
「出てきなさい」
アークの目が見開かれ、一回転したように見えた。がくりと倒れたアークの体から、黒い靄が立ちのぼる。輪郭はぼんやりしているが、ちょうどシルヴィアの目線と同じ高さで、赤いアーモンド型の目がぱっちり開いた。
「……妖魔皇ノ娘……!」
出だしにそう言われて、シルヴィアは内心嘆息した。もう妖魔の間では広まっているようだ。
(まさか言いふらしてたり……)
あの父親ならやりかねないと思いつつ、話を進める。
「状況の説明をしてください」
「フヒヒ、俺ガ、小娘ニ? ヒヒヒヒ、ヒャッハハハフグゥッ!」
「何かおかしいですか?」
素手で黒い靄をつかみ、ぎりぎり魔力をこめてやる。痛いのか黒い靄が身をよじるようにぐねぐねした。
「苦シ、苦シイ放セ!」
「質問に答えるなら。今、あなたとアークはどういう状況ですか」
「コ、コノ坊主ノ体ハ俺ノモノダ! 元々、ダイブ弱ッテタ。無理矢理剥ガセバ死ヌゾ!」
目を細めたシルヴィアは、アークから一歩引いて見おろす。
「そ、んな……アーク!」
追いついてきたロゼにも妖魔の説明が聞こえたらしい。真っ青になって、ぐたりと地面にうつ伏せているアークにすがりつく。
その光景が楽しいのか。妖魔がカカカカと笑い始めた。
「ザマアミロ! フハハハハハハ――絞マッ、待テ絞マッテル!」
もう一度その黒い靄をぎりぎり締め上げて、シルヴィアは低く言う。
「好都合です。そのまま憑いててください」
「エッ!?」
妖魔が仰天する。ロゼも愕然としてシルヴィアを見あげた。腰に手を当てて、シルヴィアは目を細めて笑う。
「そのかわり、私の言うことを聞いてもらいます」
「冗談ジャナ――イタイタ痛イィッ、何、ナンナンダヨオ前ェッ人間ノ癖ニ!」
「人間の私にこの体たらく。あなた最底辺の下級妖魔ですか」
「ナンダトオ!」
子どもっぽい性格なのか、身をよじりながら妖魔がシルヴィアの鼻先まで伸びてくる。
「俺ハッ中級妖魔! イズレ上級妖魔ニダッテナレル才能ノ持チ主!」
「見栄を張ると寿命を縮めるかと」
「フギャーーーーーーー!」
思いっきり魔力を流しこんでやると、妖魔が悲鳴をあげた。そのあとは、電撃でしびれたかのようにへなへなとアークの肩あたりに落ちていく。
シルヴィアはさめた目でそれを見おろした。
「やっぱり下級妖魔でしょう」
「……ッソンナ……ハズッ……」
「いいですか、私はあなたを消滅させられます。そのうえで聞きなさい」
本当は初めて意図的に使った魔力の衝撃か、指先が震えている。だがそれを隠して、シルヴィアは平然と提案した。
「あなたたち、共存しなさい」
「ハ?」
「――ま、待って、おねえさま! それじゃ、アークが」
「この妖魔の言っていることは、嘘じゃないと思います」
実際、妖魔が抜け出たアークは魂が抜けたように、土気色の顔をしている。呼吸だってしているかどうか判然としない。死んでいる、と言われたら信じてしまうだろう。
「でもこの妖魔が憑いていたら、生きていける。それが大事では?」
「で、でも――領主様を殺す、だなんて。あんなの、アークじゃない!」
「あなたを守るためにならするのでは。どうせ自分はもう妖魔、死んだも同然だから」
ロゼは瞠目して、黙ってしまった。シルヴィアはそれ以上かまわず、へなへなの布みたいになっている妖魔をつまみあげる。
「あなたはこの少年の中に潜んで、極力表に出ない。そうやって妖魔に憑かれていることを隠す。普通の人間に戻ったように振る舞ってください。ふたりで協力して」
「ナ、ナンデ俺ガ!」
「なら消滅しますか?」
「ヒッ!」
脅える妖魔に、シルヴィアは嘆息する。
「あなたにも悪い話ではないはずです。あなたは今、皇帝選の緊急課題の討伐対象になっています」
「コ、皇帝選!? 始マッタノカ!?」
すくみあがった妖魔も、皇帝選をちゃんと知っているらしい。
「あなたはこのままだと大勢の聖女やら皇帝候補に袋叩きにされますよ」
「ソ、ソンナ……俺ハ、タダ、チョット妖魔皇ノ心臓、ツマミ食イシタイナッテ……」
「お父様に伝えておきます」
「マ、待テ待テ待テ待ッテクレェ!」
焦った妖魔が、ロゼに向き直った
「……オ前、ロゼカ」
「は、はい。なんで、名前……」
「コノ坊主ヲ助ケタラ、俺モ助ケルンダナ!?」
「約束します。皇帝選の課題は、解決しないこともある」
結果、シルヴィアの順位が悪くなろうが、問題ない。むしろ有り難いくらいだ。
ロゼは惑うようにシルヴィアと妖魔を見ていたが、意を決したように頷いた。
「ロ、ロゼもそれで、いいです。アークが生きられるなら……!」
「絶対ダゾ! 破ッタラ呪ウカラナ!」
最後まで子どもっぽいことを言って、ひゅっと黒い靄がアークの体の中に引っこむ。アークが身じろぎした。
「う……ん……」
「アーク!」
まぶたを動かしたが、妖魔が表立っていないせいだろう。目を閉じたまま動かない。
「このまま身を隠します。アークにも事情を説明しないと」
頷いたロゼがアークを起こそうとしているのを、シルヴィアも手伝う。
「あとは、課題が流れるのを待ちましょう」
「う、うまくいくでしょうか。アークもいいって言ってくれるか……」
「言うと思います。アークは妖魔より人間に怒っていたし、何よりあの妖魔があなたの名前を知ってました。話し合いは可能です」
適当に言ってるだけだが、ロゼは息を呑んだあとに、破顔した。
「あ、ありがとうございます……そんなふうに、考えたことなかった……」
「とにかく今はアークを隠さないと」
「ですね……」
「……」
ロゼとふたりでそっと背後をうかがう。そこには、ずっと凶悪な顔で佇んでいる妖魔熊がいた。手伝ってくれたら心強いのだが、頼むにしても話が通じるだろうか。
だがロゼが意を決したように立ちあがった。
「あ、あの。よ、よかったら、さっきのロゼみたいに、アークを運んで――」
「グガアアアアアアァァァァァ!」
「きゃああぁぁごめんなさいごめんなさいいぃ!」
涙目になったロゼがシルヴィアの背中に逃げ帰ってきた。嘆息して、シルヴィアは妖魔熊に向き直る。不本意だが、妖魔皇の娘という立場を使うしかない。だが、シルヴィアが何か言う間にもう一度妖魔熊が咆哮――いや、威嚇した。
「ガアアアァァァァ!」
「君たち、それはただの熊ではない! 肉体を得た上級妖魔だ!」
前方からの声に、シルヴィアとロゼは振り向く。重なった木々の向こう、森の出口だ。
馬に乗る騎士らしき人物が、銃剣をかまえている。
「離れたまえ! こちらに引きよせる!」
「え、あのっ……この熊さんは、むぐ」
ロゼの口を片手でふさぐ。妖魔熊が一歩前に出た。シルヴィアはその顔を見あげる。
「……まさか」
「グルルルルルゥ……」
「乗り移ったか。確かに病弱な少年より熊のほうが器として使いやすいだろう。皇帝選の緊急課題になるわけだ――だが、この私が倒す!」
妖魔熊が走った。突進だ。森の出入り口には爆弾が仕掛けられている。ロゼのその言葉を妖魔熊も聞いていたはずなのに――理解できなかったのか。
いや。
(まさか、身代わり……)
走り出した妖魔熊の風圧で尻餅をついたシルヴィアは奥歯を噛みしめる。ロゼも同じことに気づいたのか呆然としていた。
だがそのときには、森の出入り口が爆発を起こしていた。何本の木が暴風と熱で落ち、一瞬で黒焦げになった森の出口付近には、なんの影もない。
呆然としてその光景を見るシルヴィアの左眼に、鋭い痛みが走った。何かと視ると、景色の上に重なるようにぐるぐるあがっていく何桁かの数字が見える。
「……ロゼ」
「は、はい……これ、課題の配点ですか。あの、熊さんを倒したから、解決……」
黙ることでシルヴィアは肯定する。
背後から追いついてきた弓兵たちは、ここへ追い込む役割だったのだろう。アークを見て怪訝な顔をする者もいたが、妖魔を倒したと湧き上がっている皆に釣られて、こちらを注視していない。
「お、ねえ、さま……」
「――これで、あなたたちは逃げられます」
「で、でも。あの――」
「言わないでください。……無駄にしたくない」
ロゼが泣き出しそうな顔をしたあとで、頷く。
深呼吸して、考える。誰に助けを求めようか。できるだけ人の良さそうで、こちらの話を聞かなさそうな人物がいいだろう。でもこのまま領主のいる街に戻って大丈夫だろうか。爆発した場所から目をそらしてぐるぐる考えていたとき、目の前が暗くなった。
「どうした、俺の姫。困りごとか」
穏やかな眼差しに、シルヴィアは息を呑んだ。
「……お、父様……」
「助けにきた」
何もかも終わってからきて、よく言う。
でも登場のしかたはきっと正しい。
シルヴィアが膝を突いて弱っているときに、真っ先に手を差し伸べて迎えにきてくれたのだから。




