引率は魔界からお越しの妖魔熊
聖眼に送りこまれた課題の情報は簡単だ。
『ニカノルの街に現れた妖魔を退治せよ』――それだけである。
もう少し詳細な場所や対象などの情報をよこしてほしいが、そこは聖眼の能力で解決することなのだろう。未来を視ろ、ということだ。そして自分の持っている情報を使う。
ここで懸念すべきは、ベルニア聖爵家とデルフォイ聖爵家の派閥争いだった。
「ニカノルは伝統的にはベルニア聖爵家に属しています。でも物理的にはデルフォイ聖爵の領地が近い。ベルニア聖爵家もデルフォイ聖爵家も面子にかけて、すぐに動ける聖女と皇帝候補を送りこんできます。緊急課題は配点が高いので」
「で、でも、聖女はみんな、味方……ですよね?」
アークはまだ森にいる可能性が高いからと、案内をしているロゼがおずおずといったふうに尋ねる。シルヴィアは嘆息した。
「聖女がみんな正義の味方だとでも思っているなら認識を改めてください」
「え……で、でも」
「皇帝選は勝負なんです。そして今回の課題はどの妖魔を退治すればいいのか限定されてません。きっとニカノルで現れた妖魔を見つけ次第、片っ端から退治していきます」
「そ、それってアークが見つかったら、すぐやっつけられちゃうってことですか」
頷いたシルヴィアに、ロゼは唇を引き結んで、急ぎ足で案内を再開した。
上でさわさわと樹木の葉がこすれている。木漏れ日が差し込んでくるものの、森は深く薄暗い。道らしきものはかろうじて見えるが、人気はまったくなかった。
だが、シルヴィアはひそかにほっとしていた。ルルカの屋敷とは違う方向だ。
課題の対象になっている妖魔がはっきりしない今、できるだけルルカとの住まいを悟られるようなことはさけたい。半妖のルルカはまだ言い逃れできるかもしれないが、屋敷にはスレヴィや魔界からお越しの妖魔熊さんや妖魔馬さんが、よりどりみどりでそろっているのだ。
あそこが聖女や皇帝候補に見つかったらどうなるかなど、考えたくない。
(どうかうちの妖魔が課題にまったく関係ありませんように)
心底そう願いながら、道をふさぐ少々太い木の幹を乗り越えようとして気づいた。足跡が複数ある。少し離れた場所には、剣や槍が落ちていた。
「妖魔に襲われたのはこのあたり?」
「そ、そうです」
「危険は視えますか?」
「ないです。でも……アーク、どこにいっちゃったのかな……」
ぞわっと背筋に悪寒が走った。妖魔熊に見つかったときと同じ悪寒だ。
とっさにロゼを抱き寄せようとしたシルヴィアの手に、黒い靄の触手がまきつく。そのままシルヴィアの体が引っ張られ、大きな木の幹に磔になってしまった。
一瞬の出来事に、ロゼが真っ青になって叫ぶ。
「おねえさま! ――どうして!?」
ロゼの疑問は当然だ。曰く、彼女の聖眼は危険を予知する。なのにシルヴィアが襲われたとあれば、動揺もするだろう。
だが、土を裸足で踏んで現れた白髪の少年に、敵意も殺意もなかったとしたら、危険として察知されないのかもしれない。
「ロゼ」
振り返ったロゼが、震える声で少年の名前を呼ぶ。
「……アーク」
「誰? そいつ……」
ゆらりと少年が顔をあげると、真っ白な前髪の隙間から異様な光を帯びた眼が現れた。
立ちのぼる黒い靄は、妖魔の魔力だ。
(……危険がないとは、とても)
その両眼を向けられたシルヴィアは、冷や汗が流れる背筋を伸ばし、深呼吸する。そしておろおろしているロゼに顎をしゃくった。今のところは自分は安全だとみなして、アークを説得すべきだ。
シルヴィアの指示をくみ取ったのか、ロゼが白髪の少年に向き直る。
「ア、アーク。だい、大丈夫……?」
「……なんで、戻ってきた……ロゼ……せっかく……逃がし……」
「ご、ごめんなさい。でもね、アーク。大変なの。妖魔を退治しろって、課題が出て。皇帝選が始まっちゃったの。このままだと、アークも退治されちゃう……!」
ロゼがどこかあやうげに立っている少年との距離を一歩詰めた。少年は答えない。
「そ、そんなのロゼは嫌だから、きたの。に、逃げよう? このひとは、協力してくれるって」
「……協力……」
「そう! とにかく、今はロゼと一緒に」
「妖魔が……協力して……やるって……」
少年が一歩、ふらつく足取りで踏み出す。
「相性がいいんだって、俺。こいつと」
「あ、相性って……妖魔と?」
「そう。こいつも、逃げたいんだって……俺と、同じで……」
シルヴィアは注意深く少年を見る。体の線が細く、肌も白い、病弱そうな少年だ。力があるようには見えないが、全身から立ちのぼる魔力がどう作用するかわからない。
「だから、俺も、ロゼも、逃げられる、ように……協力してくれるって……」
「で、でも妖魔だよ、アーク。妖魔の言うことなんて」
「なら人間の言うことが信じられるのかよ!」
うつろだった少年の目に、感情が灯る。怒りだ。その強さに、ロゼがすくんでいる。
「みんな嘘つきばっかりじゃないか! 俺が皇帝候補になって誇らしい? 厄介払いができるが本音だろ! 知らないと思ったのかよ、金を受け取ってたこと……! でも、いちばん嫌なのは、嫌だって言えなかった俺だ! だから、せめて助けるんだ、ロゼは」
足を引きずるようにしてアークが近づいてくる。
「ロゼだけでも。そのために、は……あの、くそったれな領主を……!」
どうするのかは、その目に映る色でわかった。明確な殺意だ。
「だ、だめだよアーク! そんなことしたらだめ!」
「うるさい!」
青ざめてすがりついたロゼを、少年が乱暴に振り払う。だがロゼは尻餅をついても、少年の足に追いすがった。
「だめだよ、そんなことしたらアークが死んじゃう……アークがみんなに殺されちゃう!」
ロゼが言うのは、未来だ。少年が一瞬息を呑んだが、首を横に振った。
「それでも、俺は――」
きらりと遠くで何か光ったと思ったときには、もう矢が降り注いでいた。青ざめたロゼを突き飛ばし、アークが咆哮する。何本か振動で落ちたが、降り注ぐ矢は止まらない。
ちょうどシルヴィアが磔にされている木の根元に転がったロゼが、顔をあげる。
「お、おねえさま。これ、まさかアークを狙って」
「私を解放して!」
矢を腕で振り払っているアークに呼びかける。だがアークは、人間とは思えぬ跳躍力で木に飛び移ってしまった。逃げる気だ。
「アーク、待って!」
叫んだロゼを一瞥したが、アークは木から木へ飛び移って遠ざかっていく。ひやりとすることはあったが、結局危険は及ばなかったことになる。ロゼの聖眼の力は正しい――と思ったときだった。
どすっとシルヴィアの頭の上に矢が刺さる。無言でそれを見あげる。
「……」
ロゼもぽかんとしている。だが次の瞬間には、矢が降り注いできた。
「ついでの候補者狩り……!?」
「そ、そんな。ロゼには、何も視えてな――」
ロゼの言葉が、今度は咆哮にかき消された。聞き覚えのある咆哮だ。同時に、シルヴィアの頭上あたりで木がまっぷたつに折れて、倒れる。ぶちぶちぶちいっと音がして、シルヴィアを縛り付けていた黒い触手がちぎれ、消えた。
「……」
ロゼは、蒼白な顔で口をぱくぱくさせている。
背後から、巨体の影がかかった。荒い息とうなり声が聞こえる。
どうか予想が当たらないでくれと思いながら、シルヴィアはゆっくり振り向いた。目があった瞬間に、再度咆哮があがる。
魔界からお越しの妖魔熊さんだ。遠い目になった。
「グオアアァァァァアァァ!!」
叫んだ妖魔熊がシルヴィアを抱えた。流れるような動作に気が遠くなったが、視界の隅に本当に気絶したロゼが見えて、我に返る。
「あの、あの子も一緒に連れて」
「グオアアァァァァァ!」
大きく口をあけた妖魔熊が口から魔力を吐き出し、降り注ぐ矢をなぎ払った。その目は遠くを見据えている。どうやらシルヴィアを抱えたまま、攻撃してくる相手を排除するつもりらしい。
「い、今はあっちと戦ってる場合ではな……っ!」
「グオオオォォォォ!」
「め、命令です! 妖魔皇の娘の!」
やけくそで叫ぶと、ぴたりと妖魔熊が止まった。シルヴィアを抱えているのとは反対の腕でロゼを抱え、尋ねるように見つめられる。
「さっきの妖魔に取り憑かれた少年を追います、急いで」
飛んできた矢を無視して、妖魔熊が駆け出した。ほっとしてシルヴィアは、目を回しているロゼを見る。ふたりとも、少々汚れてしまったが怪我はない。
(妖魔熊に助けられるからロゼは危険を察知しなかった? それにしても……)
ものすごい速度で周囲の景色が流れていく。走る妖魔熊に運ばれることにすっかり慣れてしまったことに、シルヴィアはがっくりと肩を落とした。




