7.幼馴染はヤンデレ製造機?
最後の最後で文字ばっかり。
オレクがヴィオラに警棒術の手ほどきをしたのは、言うまでもなくいずれ確実にやってくる未来で、自分が彼女に殴ってもらうための下準備だ。ヴィオラは女で、オレクは男。女性の拳では、彼女の心の痛みを十分にオレクに伝えられないかもしれない。それにオレクの固い体を殴って彼女の手が傷つきでもしたら、それはそれで胸熱なのだが、二人の愛の共有に支障をきたす。贈り物の特殊めん棒には、ヴィオラが思い切り振れるように軽量化の魔法をかけた。投げつけても大丈夫なように対物強化を、彼女の手首が痛まないように反動軽減の魔法もかけてある。オレクの思いやりは完璧だ。いつか必ずヴィオラはオレクの真意を悟って感謝してくれるだろう。
もちろん自衛の術として教えたこともまた事実ではある。ただちょっと、オレクの中では天秤上の重さが違ったというだけのことだ。――しかし、それがいけなかったのだろうか。いくら未来の二人の幸せのためとはいえ、身の危険を感じている幼馴染みを案じつつも不純な心を持ってしまったことに対する、これは天からオレクへの罰なのだろうか。
いつか自分が贈っためん棒で愛しい人に思うさま殴りつけられる未来を夢見ただけなのに、まさか自分が贈っためん棒で愛しい人が他人を殴っているさまを見せつけられる日常が待っていただなんて。
だが、ヴィオラを責めることはできない。
本来なら許しがたく辛いことだ。なぜならヴィオラの抱える痛みはすべてオレクとだけ共有されるべきものだからだ。痛みの奥に潜むあらゆる感情はひとつ残らずオレクにだけ与えられる、オレクだけが知ることを許されたものであるべきはずだ。しかしヴィオラが真実の愛のあり方に気づくまで待つと決めたのは、オレク自身である。自衛のためなのだから仕方がないということも頑張れば理解できなくはない。ならば、理性ある真っ当かつ寛大な大人としてここは堪え忍ぶべき場面である。
しかしそこまで譲歩してなお、自分が知らないヴィオラの痛みを他の誰かが知っているという事実だけは、許せない。一秒でも早く、二度と思い出せないほど完璧に、そいつらの体と頭の記憶から彼女の痕跡をぬぐい去りたいという衝動だけは、我慢できない。本当ならヴィオラが間接的にでも触れた箇所は肉ごと抉り取ってやりたいくらいなのだが、そこは理性ある真っ当かつ寛大な大人として堪え忍んでいる。
肉と言えば、思い返すのはさきほどの肉屋の娘である。食べ合うことを至上の愛と定めた女性だったと記憶している。彼女の想いには応えられなかったが、もしヴィオラがそういった類のものを望むと言うなら、もちろんオレクには喜んで応える用意がある。だが、今思うのは彼女の嗜好のことではない。
オレクは腕を組んで、ふむと首をひねった後、ややしてマクシムを振り返った。
「マクシム、やっぱり手首は折るべきだったな」
「おかえりオレク。何がどうして「やっぱり」なのかは知りたくないから一生黙っててくれて構わない、遠慮すんな。あと却下だ」
深い苦悩に沈み込んで使い物にならなくなった自隊の副長を放置して、マクシムはてきぱきと指示を飛ばしていた。隊員達も慣れたもので、副長ではなくマクシムが指図することに違和感を感じている様子の者は一人もいない。なぜならこれもまた、いつものことだからだ。マクシムと同じ歳の副長は優男風の見た目を裏切って勇猛かつ有能で、基本的には性格も優れた好人物だが、いかんせん人格面に課題を抱えすぎている。恋やら愛やらの話題は最悪だ。想い人が絡むと壊滅だ。今とて、やっとこちらの世界に帰ってきたかと思えば先の台詞である。意味がわからない。お願いだからわからないままでいさせて欲しいとは、誰もが思っている。
「だが」
「「だが」も「でも」も「だって」もないの。ガキかお前は。こっちに帰ってきたんだったら、俺達も戻るぞ。仕事は山積みなんだよ。最近は特にな!」
どっかの誰かさんあての、贈り物の処理でね! とマクシムが当てこすれば、いつもすまないなとオレクは眉を下げた。困ったような、もうしわけなさそうな情けない表情に嘘はなく、本心からの謝意であることは誰の目にも明らかだ。しかし、マクシムにはわかっている。オレクが困りもうしわけなく思っているのは、自分に対する私的な贈り物の処理に隊の時間や場所をとってもらっていることについてだ。そのことだけに心を痛めての、この顔だ。――いや、そうなのだが、その通りなのだが、そうじゃなくて、そこじゃなくて、もっと思うことがお前にはないのか! と声を大にするのはマクシムだけではない。オレクに向けられる種々の贈り物に対して、心をすり減らしているのはいつでも本人以外である。いっそ、助けてくれと泣きつかれた方がマシだが、現実には泣いているのも周囲である。
とりあえず、最近の懸念事項については本日ようやく解消された。結局のところ警邏の仕事などというものはほとんどが体力勝負だから、これ以上にわか菜食主義者が増加すれば業務に支障をきたしかねない。食堂のおばちゃんも肉料理の販売率が下がりすぎて困っていた。かくいうマクシム自身もここ半月ほどは肉を口にしていないのだ。肉、という言葉を思うだけで、情けのない話だが胃が縮んで空気の塊が喉をせり上がってくるような心地がする。大概の形には慣れたと思っていたが、肉屋のお嬢さんは新型であった。深淵は底知れないから深淵と言うのだと改めて思い知ったが、別に知りたくはなかった。
しかしともあれ解消されたのである。解放されたのである。これでしばらくは安寧の日々が続くはずだ。たとえそれが束の間の休息であったとしても、人間はその儚いもののために頑張れる生き物なのだ、という真理も、別にこの歳では悟りたくなかったマクシムである。
「却下って……。一応、俺の方が上官のはずなんだけどな」
「はいはい。俺は隊長様から、副長様の暴走を止めろってご命令を受けてるから問題ねーんだよ。ほら、早く出ろって。とりあえず戻るぞ」
オレクを追い出すようにしてから、マクシムは一番最後に店を出る。ちらりと窺った奥から、ヴィオラを聴取している隊員が戻ってくる様子はなかった。単純に事情を聞くだけなら、もう戻ってきていてもいい頃合いである。どうせ、お茶を供され、菓子を出され、聴取という名の歓談を満喫しているのだろう。職務怠慢だと責めるつもりはない。心を削る現場の唯一の安らぎなのだ。今ひとりを責めればそれはいずれ自分に返ってくると、マクシムを含めたどの隊員もわかっている。だから、翌日の訓練が一人だけ厳しくなる程度のことで周囲も許すし、その程度のことなら本人も我慢する。
(……安らぎ、ねえ)
安らぐのは共感し理解し合える嘆きや苦労があるからだ。しかしそこに僅かなズレが存在することには、恐らくヴィオラだけが気づいていないだろう。
ヴィオラは、オレクと同じ職場で働いているばかりに迷惑を被っている警邏隊員達の苦労に同情している。そして、オレクと幼馴染みであるばかりに迷惑を被っている自分の苦労に同情されていると思っている。だが本当は、マクシム達はみな、オレクに愛されてしまったばかりに迷惑を被っているヴィオラの不幸に、自分達が真実を伝えられないことまで含めて同情しているのだ。命は大切なものなのである。ヴィオラちゃんごめん。
幼い頃からの異性の知り合いというだけなら他にもいる中で、ヴィオラだけが襲撃の憂き目に合う意味に彼女が気づく日は、いつになるのだろう。そんな日は来るのだろうか、とは言えない辺りがまた、ヴィオラちゃんごめんである。
ヴィオラは、オレクに恋する女性達がなぜか恋に病んでいくというが、警邏隊員達の意見は違う。捜査を行う度に明らかになるのはいつも、問題を起こす女性達はみな元々そういった素因を持っていたようだということだ。なぜか病む、のではなく、オレクに恋する中で元々の素質が完全に開花して事件を起こすのである。その意味では確かに、ヴィオラの言う通りオレクは「ヤンデレ製造機」に違いない。だが、わざわざそんな新しい言葉を作り出す必要もないのだ。
オレクに恋する女性達は、元々病んでいるか、その素質を持っている。病んだ女性達に恋されるオレクは、元から誰より根深く病んでいる。
つまり。
(ヤンデレ製造機って言うかさ)
類が友を呼んでいるだけだ。
その真実にヴィオラが気づく日はいつになるのだろうか。そんな日は来るのだろうかとはどうしても言えないマクシムは、ヴィオラちゃんごめんと呟いて店の扉を閉めた。
以上完結。読了感謝。
びびるぐらい見てくださって、マジびびった。
日刊16位ありがとうございました!
病んでることをされたい(させたい)ヤンデレが書いてみたかった。されたいのとできないのは違うので、色んな意味でヴィオラさん超逃げて。
他に言い方あるだろうとか、全般的に言ってることがおかしいとか、発言矛盾してるとか、そう思われるのは皆様が正気だからです。オレクさんはびょうき。狂人の理論を理解しようとしてはいけません。深淵がこちらを覗いていますよ。あやしうこそものぐるほしけれ。