2話 帰ろう
俺はどうやら異世界に転生してしまったようだ。
自分が元の世界で住んでいた一軒家のリビングよりも広い部屋。
その広い部屋の真ん中に置かれた大きなベビーベッドが今の俺の住所だ。
頭上で、カラカラと木製の鳥が回っている。ベッドメリーというやつだ。
鳥の目には輝く宝石がはめ込まれている。リッチなベッドメリーだ。
部屋の隅には常に護衛兼お世話係が座っている。
交代制で、この部屋には常に、俺以外の誰かがいる。
赤子にプライバシーなど無いのだ。
視線を窓に向ける。
鉄格子製の窓からは外の世界が覗ける。
スズメが飛んでいる。元の世界で見ていたものとあまり変わりない。
これだけなら普通だ。
そのスズメを、空飛ぶトカゲが追いかけている。
これは普通じゃない。
空飛ぶトカゲが横腹から突き出た翼を羽ばたいてスズメを追いかける。
やがて、スズメが飛ぶトカゲに追いつかれて、、
バクっと食われた。
異世界だ。そう痛感させられる。
まだ、剣も魔法も見てはいないが、きっとここは剣と魔法のファンタジー異世界ってやつだ。
ずっと夢想していた世界だ。
きっとこの世界でなら、魔物を剣で切りつけ、焚火には魔法で火を付ける。
そんな生活が待っているのだろう。
ワクワクする気持ちが無いといえば噓になる。
しかし、元の世界での人生と引き換えにしてもよいかと聞かれると。
答えは「いいえ」だ。
「グギャァア。」
飛ぶトカゲが鳴いている。
ここは異世界だと。再度通告するように。
帰りたい。
まだ、読みかけの本がたくさんある。
来季には、ずっと待っていたあの作品のアニメが放送する。
好きな作家が新作を準備しているとツイートしていた。
サイン会にも参加したい。
それに、、
まだ、あいつらに何も返せていない。
色んな親切をしてもらった。
借りだぞ。ってあいつらは言ってた。
まだ、何も返せていない。
次のテスト期間にはまとめたノートを見せてやるつもりだったんだ。
親友のアイツは借りだぞ。とは一回も言ってくれなかった。
でも、返しきれない恩があるんだ。
親友の結婚式に出なければ。
アイツが言ってたんだ。
「友人代表のスピーチはお前に任せるからな!」って。
恩の返し方が分からないなら、せめてアイツの頼みは全部聞いてやりたい。
帰らなければ。
俺はラノベの主人公と違って元の人生に絶望しちゃいない。
これからまだ明るい未来があったはずなんだ。
見返すんだ。
俺らのことを捨てた父親を。
今はこんなに幸せだぜ。って、家族との写真をたくさん詰めた年賀状を送ってやるんだ。
どんなに仕事がきつくても、アイツらと趣味さえあれば、きっと耐えられる。
仕事を頑張って、デカい家を買うんだ。
あんな冷めた暗い家じゃなく、暖かくて明るい家に住むんだ。
仕事から帰って、「ただいま。」といえば、「おかえり!」って帰ってくる。
そんな家に、アイツらを呼んで晩酌をするんだ。
アイツの好きなチーカマを大量に買って、酒を浴びるように飲むんだ。
そうだ。まだ、酒の味も知っていない。
18歳にもなれていない。
帰らなくては。
いや、帰るんだ。
帰って、、続きをやらなきゃ。
俺の人生の。
***
部屋に一つしかない扉にノックが響く。
その音で俺は目を覚ます。
部屋の隅でうたた寝していただろう護衛兼お世話係の男が急いでドアを開ける。
開いたドアから、荘厳な雰囲気を漂わせる男性が現れる。
髭を蓄えているので、一見老人に見えるが、皺の少ない顔は活力に満ち溢れている。
三十代あたりといったところだろうか。優しい目つきをしているが確かな迫力も感じる。
頭上で煌煌と輝く白銀の王冠は、彼の鈍く光る金髪に良く映えている。
その傍らには、女神――もとい、俺の今世の母親(暫定)が寄り添っていた。
そう。つまり、このいかにも『王』って感じの男がおそらく女神の夫。
つまり俺の父親だ。
もちろんこれも暫定。
「~~~。~~~~。」
相も変わらず全く聞き取れない言語で話しかけつつ近づいてくる。
はぁ。
こういう異世界転生って、翻訳スキルとかがセットで付いてくるもんじゃないのか?
まぁそもそも神とかに会ってないからな。
異世界転生系お馴染みの神からチートスキル貰うフェイズが俺には無かった。
ステータス画面やスキル選択画面とかも全く見えない。
外れ異世界ですね。
異世界ガチャは外れっぽいが。親ガチャは大成功だ。
何たってこんな女神が毎日授乳してくれるからね。
そう思いながら乳に吸い付く力を強める。
最初は母の胸を見るだけで気絶していたが、流石に空腹がそれを許さなかった。
どうも気絶しているときも無意識に吸っていたようだったけど。
今となっては慣れたものだ。眼福なのに違いはないが、体が赤子だからか、性的興奮は全く無い。
ふむ。今回も美味であった。
嘘です。味は正直微妙です。牛乳の方が美味しい。母乳ってあんま美味しくないんだな。
「~~~。~~~。」
食事を終えた俺に二人が話しかけてくる。
相も変わらずサッパリ聞き取れないが、一つ解読、というより察せた単語がある。
それはさっきから両親が俺に繰り返している単語。
「ユートロウス。ユートロウス。」
日本語的に解釈すればユートロウス。
これは恐らく俺の名前だ。
ユートロウス。
英語で表記するなら『Eutrous』だろうか。
この世界の言語は英語じゃないのはもう分かったのだが、どことなく英語に似ている気がする。
「ユートロウス。~~~~~。」
父親(暫定)が威厳の無い猫撫で声で語りかけてくる。
ユートロウス以外の単語はまだ全く聞き取れないが、正直なんとなく意味は理解できる。
ユートロウス。パパですよー。
とか、そのあたりだろう。
『親バカ』の気配をヒシヒシと感じる。
まぁ息子にドライな王で、『才能が無いと見るなり地方の辺境に一人飛ばされる。』
とか、『王族の試練として死地に送り込まれる。』
的なシナリオは有り得なさそうになったのは素晴らしいことだが、、
正直鬱陶しい。
あーもう顔は近づけないでくれ。髭が俺の柔肌に突き刺さる。
「~~~~~。~~~~~~。」
聞き取れない。しかし、柔らかな口調。
自然と感じ取れる。
俺は元の世界で知らなかった。
親からの愛情。
「うーあ。あーーあう。」
俺の稚拙な応答でも喜んでくれる二人。
俺も前世でも、幼児だった時は愛されていたんだろうか。
思い出せない。
父親に、一度だけ近所の公園に連れて行ってもらった覚えはある。
けど、その記憶しか残っていないということは、つまり、、
どことなく暗い顔をしているのが察されたのか、母親が俺を抱き上げる。
ベビーベッドの柵より高い位置に来たのは体感では初めてだ。
そして、そのまま部屋の外に連れ出される。
父親もピッタリと付き添ってくる。
胸が高まる。
意識があるうちにこの部屋から出るのは初めてだ。
扉をくぐると、きれいな大理石が敷き詰められた廊下に出た。
俺の部屋の扉の前には、甲冑を着込んだ二人組が仁王立ちしている。
おそらく親の護衛たちだろう。
俺を抱えた母親が移動するのを前後から挟むように、二人の衛兵が付き従う。
大理石の廊下には、どこからか光が差し込んでいて、どこか神々しい。
廊下の奥までずっと敷かれた純白のカーペットが、光を弾いて眩しい。
陽光のカーテンの中を、母に抱かれてゆっくり進んでいく。
絵描きを呼べば、名画が一枚描けるような光景だ。
女神の腕から伝わるぬくもりと、衛兵の規則正しい足音。
それらに包まれていると、不思議なくらい心がほどけていった。
ただ静かに、時間が流れていく。
ゆっくり。ゆっくりと。
このままこの王宮で、暮らしていくのも悪くないと、思ってしまった。
いいや。違う。
ここは俺の居場所じゃない。
帰ろう。
俺は眠りは落ちていく意識の中、そう、決心し直した。




