8話 魔獣
夏が来た。
枝葉を揺らす風の音、幹のきしむ音、茂みが揺れる音。
青臭い葉の匂い、湿った土の匂い、ほんのり香る甘い樹液の匂い。
そのすべてにおいて、前世では馴染みのないものだ。
「ユート。絶対にお父さんから離れるなよ。」
「わかってます。父さん。」
俺は今、初めて家の外の森に来ている。
無理を言って連れ出してもらったのだ。
とはいえ、手入れが行き届いている範囲という縛り付きだ。
木々の隙間から木組みの我が家が見える。
家から離れていないとはいえ、異世界の森は雰囲気抜群だった。
拳大のサイズの虫があちらこちらにいる。
「それにしても、お前の好奇心には手を焼くぜ。二歳で仕事場を見に行きたいと言いだすとは、、」
目を輝かせる俺を見て、緊張した顔のヴェルトが言う。
そう。今回の目的は父の職場見学。
しばらくはここで生きていかなくてはならないことを考えたら、ここでの仕事を把握しないわけにはいかない。だから、無理を言って連れてきてもらったのだ。
シンプルに外に出たかっただけ、、とかでは無いよ。
「それで、今日はどの木を切るんですか。」
「そうだなぁ。」
父は森を見渡す。
「森はな、放っておくと魔獣の領域になっちまうんだ。だから、広く管理しなくちゃならねぇ。じゃないと、我が家に魔獣が来ちまうからな。消え起きるとこ見せるには、まだ管理しきれてないギリギリまで遠くに行くしか無いか。」
『魔獣』。
発音は
『ヴェクリ』。
『ヴェ』が『魔』、
『クリ』が生き物を指す。
魔獣の定義は、
『魔法を使う獣』である。
この世界では、別に魔法は人間様の専売特許という訳では無い。
むしろ、魔獣の方が生存競争によって研ぎ澄まされた魔法を使うらしい。
ちなみに、『魔法』を意味する発音は『ヴェワク』だ。
魔獣について気になって仕方が無いので、次の誕生日プレゼントに『魔獣図鑑』をおねだりした。
どうもこの世界、活版印刷の技術が広く広まっているらしく、本は高価だが庶民も手に入れることはできるらしいのだ。
まぁそのためには識字能力が必須なため、最近は家にあるよくわからない本と格闘している最中なのだが。
「よし、こいつを切ろうかな。」
父がドラム缶より太い木に狙いをつける。
「切れるんですか?こんな太い木。」
「もちろんよ。一瞬で切ってやるぜ。」
父は大きく息を吸うと、腰に掛けてある革の鞘から、斧を抜き出した。
いや、自分の知っている斧とは少し形状が違う。
刃の反対側に鍔で区切られた握り部分があるのだ。
ぱっと見のシルエットは長剣の方が近い。
だが、長剣の先端が折り返してカーブを形成している。
斧剣。と形容するのが適切だろう。
「ユート。三歩だけ離れてな。」
父に言われ、俺は2mくらい距離を離す。
ビビッて五歩も下がってしまった。
それを確認したヴェルトは、もう一度大きく息を吸った後、
跳んだ。
次の瞬間。木の幹に斜め45°の亀裂が走る。
そのまま空中で幹を強く蹴りつけた。
ヴェルトは蹴った反動を利用して、空中でバック中を決める。
そのまま俺のすぐ横に着地した。
父の着地と同時に、轟音を立てて、木が蹴られた方向へと倒れていく。
えぇぇ、、、
正直目を疑う。
いや、伐採ってもっと慎重にやるものじゃないんですか?
こう、、倒れる方向に切れ目を付けてから、ゆっくりと切り倒す、、みたいな。
こんなアクロバティック伐採はちょっと知らないですね。
「どうだ!見てたか!」
「す、すごい、、」
「だろ?父さんのすごさ思い知ったか。」
「いや、とても、、」
どうなっているんだ。とても人間技じゃない。
「父さん。今のは魔法ですか?」
「え?あー。まぁ ヴァム も魔法の一種らしいな。父さん感覚で使ってるから詳しくないけど。」
「ヴァム?」
「そうそうヴァム。」
短縮されているが、ヴェは『魔』を意味している発音だ。
アムはたしか、、『取り入れる』とかそんな意味だった気がする。
じゃあ翻訳するなら『魔吸』といったところか?
「空気中に存在する力の源をガアァっと体に流し込むんだ。
大丈夫。お前も男だからその内使えるようになるよ。」
「男だから。というのは?男の方がヴァムに適性があるんですか?」
「そうだ。男はヴァム。女はヴェワク。ってな。」
なるほど、この世界では使える魔法の適性に性別が絡んでくるのか。
ヴァムとはつまるところ『身体強化魔法』ということだろう。
その身体強化魔法を使って、ヴェルトはこんな化け物じみたパワーを出したわけだ。
「よし、じゃあ次は倒した木を持ちやすいよう大きさに切る様子も見せてやろう。」
「あ、はい。見せてほしいで__
突風が巻き起こる。
__す?」
気づけば、俺はヴェルトに抱えられていた。
「危なかった、、、ユート大丈夫か。」
「え、何が起こって、、」
「フシャァァアァアアァ」
腹の奥まで響く唸り声。
森の匂いをかき消すほど強烈な獣臭。
全身の産毛が逆立つ。
魔獣だ。初めて見るのにそう直感させる。
俺がさっきまでいた位置には、軽く俺など三枚に下ろせそうな爪が振り下ろされていた。
いや、三本爪だから、この場合四枚下ろしかな?
その獣は、熊ほどの体格で、黒色の毛皮を雑に纏ったイタチのような姿をしていた。
大きく開いた口からは、俺の腕ほどの長さの牙が幾本もこちらに突き立っていた。
本当なら怖くてちびりそうな展開だが、どこかハイになっている自分を感じる。
怖さよりも好奇心が勝っている。
そんな蛮勇が許されているのは、どこか安心感があるからだろう。
ヴェルトが俺を下ろす。
そして、斧剣を構える。
「そこから動くなよユート。父さんに任せておけ。」
瞬間、ヴェルトは俺の視界から消えた。




