第61話 炎火追憶
小学生の頃から、外で遊ぶことが好きだった。
休み時間になれば、友達と校庭へ走る。
放課後になれば、日が暮れるまで遊ぶ。
それだけで十分だった。
中学生になってからも、それは変わらなかった。
だが、周りはそうではなかった。
「なぁ、お前って好きな奴いねぇの?」
ラウル「あ?」
放課後のグラウンド。
友達の言葉を聞いた瞬間。
サッカーボールを足元で転がしながら、ラウルは眉をひそめた。
ラウル「いねぇよ」
「マジで?」
ラウル「マジ」
「嘘だ〜、1人くらいいるだろ」
ラウル「だからいねぇって」
「つまんねぇな〜」
ラウル「うっせぇ!」
ボールを強く蹴る。
「うおっ!?」
友達は慌てて避ける。
ラウル「んなことよりサッカーやろうぜ!」
「はいはい」
中学生になると、周りではそんな話が増えていた。
誰が可愛い。
誰が好き。
誰が付き合った。
だが、ラウルにはよく分からなかった。
恋愛の話よりも、友達と遊んでいる方がずっと楽しかった。
ラウル「ほら!パス!」
「おう!」
ボールがグラウンドを転がる。
ラウルが追う。
友達が追う。
笑い声が響く。
いつもと変わらない放課後だった。
――バンッ!
ラウル「あっ!」
蹴ったボールが大きく横に逸れた。
「どこ飛ばしてんだよ!」
ラウル「わりぃわりぃ、すぐ取ってくる!」
ボールを追う。
草木が生えているグラウンドの端。
普段、自分たちがあまり使わない場所。
そこまで転がっていく。
ラウル「……ん?」
足が止まった。
ボールの少し先に、1人の女子がいた。
髪が長く、瞳はほんの少し赤かった。
ラウル「……」
初めて見る顔だった。
名前も知らない。
クラスも知らない。
女子は、こちらに気づいていなかった。
1人、静かに身体を動かしている。
足を運ぶ。
腕を広げる。
そして、くるりと回る。
長い髪がその動きを追う。
何をしているのか、最初は分からなかった。
でも、少し見ていれば分かる。
踊っている。
いや、ラウルには舞っているように見えた。
ラウル『……綺麗だ』
ボールを取りに来ただけなのに。
すぐ戻るつもりだったのに。
なのに、足が一歩も動かなかった。
女子が舞うのを、ラウルはただ見ていた。
そして、女子の動きが終わりを迎える。
ラウル『……すげぇ』
気づけば。
――パチパチパチ
手を叩いていた。
女子「……!」
ラウル「……あ」
女子がこちらを見る。
目が合った。
ラウル「……」
女子「……」
自分でも、なんで拍手したのか分からない。
ラウル「……えっと」
女子「……」
ラウル「……」
気まずい。
とても気まずかった。
ラウル「……そ、そこ」
女子「……?」
ラウル「……そこのボール」
女子が足元を見る。
すぐ近くにサッカーボールが。
女子「あっ」
しゃがみ、ボールを拾う。
そして、ラウルへ差し出した。
女子「……はい」
ラウル「お、おう……」
ボールを受け取る。
その瞬間、指先が僅かに触れた。
ラウル「……っ!」
女子「……!」
2人ともほぼ同時に手を引く。
ボールがラウルの腕の中へ落ちる。
ラウル「……」
女子「……」
また、沈黙が流れる。
ラウル「……ありがとな」
ラウルはボールを抱え、友達のところへ戻っていく。
女子「あっ……」
女子はそっと手を伸ばすが、すぐに戻した。
「遅せぇよ!ボール探すのに何分かかってんだよ!」
ラウル「……」
「……どうした?」
ラウル「……なんでもねぇ」
ボールを地面に置く。
ラウル「続きやろうぜ」
「おう!」
再び走り出す。
だが、一度だけ振り返った。
グラウンドの端。
木や草で姿は見えなかった。
ラウル「……」
すぐに前へ向き直す。
この時はまだ、何も知らなかった。
名前も、クラスも、どうしてあそこにいるのかも。
そしてこの日から、自分が何度もグラウンドの端を気にするようになることも。
次の日の放課後。
いつものように、ラウルは友達とグラウンドにいた。
「こっちだ!パス!」
ラウル「おう!」
ボールを蹴る。
友達が受け取る。
また、返ってくる。
いつもと変わらない放課後。
はずだった。
ラウル「……」
ふと、グラウンドの端を見る。
昨日の女子が気になっていた。
ラウル「……」
「ラウル!」
ラウル「!」
――バンッ!
飛んできたボールを慌てて止める。
「何よそ見してんだよ!」
ラウル「し、してねぇよ!」
「してただろ!」
ラウル「うるせぇ!ほら!」
強く蹴り返す。
そしてまた、少しだけグラウンドの端を見る。
やっぱり、気になっていた。
それから数日。
ラウルは放課後になると、グラウンドの端を見るようになった。
姿は見えないのに、必ず見ていた。
毎日、雨の日を除けば、そこを見ていた。
ラウル「……」
気になる。
今日もいるのか。
今日も舞っているのか。
ラウル「……っ!」
――バンッ!
思いっきりボールを蹴る。
弾かれたボールが横へ逸れる。
転がった先は、あの女子の近く。
「おいどこ狙ってんだよ!」
ラウル「取ってくる!」
すぐにボールを追いかける。
その時ラウルは、少し笑っていた。
女子「……っ」
舞を止める。
飛んできたボールを拾う。
そして、ラウルが走ってきた。
こちらと目が合う。
女子「……」
ラウル「……」
女子は小さくボールを揚げた。
女子「……これ?」
ラウル「……!」
ラウルはすぐに女子の元へ走る。
ラウル「……悪い、また友達が飛ばしてな」
女子「ううん、いいの」
ボールを差し出す。
女子「はい」
ラウル「ありがとな」
女子「うん」
ボールを受け取る。
前とほとんど同じ。
なのに。
ラウル「……じゃあな」
友達のところへ戻る。
その途中、なぜか少しだけ気分が良かった。
次の日の放課後。
足元にはボール。
友達がパスを待っている。
ラウル「……」
一度、グラウンドの端を見る。
ラウル『……今日も、いるかな』
右足をボールへ添える。
そして。
――バンッ!
強く蹴った。
真っ直ぐではなく、わざと少しだけ逸れて。
女子のいる場所へと転がっていく。
「おい!今日もかよ!」
「お前最近下手だぞ!」
ラウル「わりぃわりぃ」
言い終わる前に、ラウルは既に走り出していた。
そして、女子のいるところへ向かう。
ラウル「……よ、よう」
女子「……!」
舞が急に止まる。
足元にはボール。
そして、ラウルを見る。
女子「……また?」
ラウル「悪い!友達が下手くそでよ」
女子「ふふっ」
女子が小さく笑う。
ラウル「……!」
初めて、女子が笑うところを見た。
胸の奥がほんの少し、変な感じがした。
女子「はい」
ラウル「……お、おう」
ボールを受け取る。
今回は、手は触れなかった。
それなのに、前よりずっと気になった。
ラウル「……ありがとな」
少し間を空けてから、ボールを抱えて戻っていく。
その途中で、ラウルは笑った。
それからも変わらなかった。
放課後、友達とサッカーをする。
そして頃合いを見て、ボールを少しだけ強く横へ飛ばす。
女子「……今日も?」
ラウル「悪い悪い!友達がマジで下手なんだよ」
女子「ふふっ、そうなんだ」
いつも通りボールを受け取る。
けれど、日を重ねる度。
言葉が一つ、また一つと増えていった。
女子「今日もサッカー?」
ラウル「おう!そっちは今日も踊ってんのか?」
女子「うん。好きだから」
ラウル「へぇ。上手かったぜ、あの踊り」
女子「……ありがと」
昨日より少し長く。
明日はもっと長く。
気づけば、ボールを取りに行く時間より、話している時間の方が長くなっていた。
いつの間にかそれが、2人にとっての当たり前になっていた。
でも、ラウルは女子の名前を知らなかった。
そして、聞かなかった。
いや、聞くことを忘れていた。
名前なんか知らなくても、次の日になればまたあの場所にいる。
ボールを飛ばせばまた話せる。
明日も、明後日も。
それが続くと、どこかでそう思っていたから。
ある日。
ラウル『……よし』
いつものようにボールを強く蹴る。
そして、いつもの場所へ転がっていく。
ラウルはその後を追った。
だが。
ラウル「……あれ?」
いつも女子が舞っている場所。
そこには誰もいなかった。
ラウル「……」
辺りを見る。
確かにここのはず。
なのに、どこにもいない。
今までこんなことなかったのに。
ラウル「……今日は休みなのか?」
転がっているボールを自分で拾う。
少しだけ、残念だった。
次の日。
また同じ場所へボールを飛ばす。
ラウル「……」
いない。
あるのはボールだけだった。
ラウル「……今日もか」
ボールを拾う。
昨日より少しだけ残念な気持ちになった。
ラウル「風邪でも引いたのか?」
そうやって思い込んでいた。
さらに次の日。
ラウル「……」
今度は放課後が始まってすぐ、友達と遊ぶ前にグラウンドの端に行く。
やはりいない。
誰もいない場所で1人、立ち尽くしていた。
ラウル「……どうしたんだよ」
それから何度来ても、あの女子はいなかった。
それでもラウルは、毎日同じ場所へボールを飛ばした。
もしかしたら、今日はいるかもしれない。
明日なら、戻ってくるかもしれない。
そんなことを考えながら、ボールを蹴る。
けれど、女子が再びそこで舞うことはなかった。
女子が来なくなってから数日が経った。
放課後、いつものように友達とサッカーをしていた。
「そういやさ」
ラウル「ん?なんだ?」
「俺の友達から聞いた話なんだけど」
ラウルはボールを止める。
「うちの学年の女子、引っ越したんだって」
ラウル「……は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
まだ、あの女子だと決まったわけではない。
でも、ラウルは嫌な予感がした。
ラウル「……引っ越した?」
「うん、なんか急だったらしいな」
「あーあの女子か。別のクラスだけど、顔は覚えてるな」
ラウル「そ、その女子ってどんな顔だったのか?」
友達は少し考えるような仕草をする。
「たしか……髪は長くて、目が赤くて綺麗だった」
「そうそう、赤かった!今どき赤って珍しいよな」
ラウル「……!」
頭の中が真っ白になる。
髪が長い、瞳が赤い。
もう、あの女子しかいない。
ラウル「……」
頭の中が真っ白になる。
今日はいない。
明日ならいる。
そんなふうに、何日も思っていた。
でも、違った。
もう、来ない。
「名前なんだっけな?」
「あー、たしか――」
友達が、その名前を口にした。
ラウル「……」
聞いた。
確かに聞いた。
けれど、その名前よりも、もう会えないという事実の方が遥かに大きかった。
そのせいで、名前すらも忘れてしまった。
その日の帰り。
ラウルは1人、グラウンドの端に立っていた。
いつも、女子が舞っていた場所。
ラウル「……」
誰もいない。
もうその女子は、引っ越したのだから。
ラウル「……なんで」
最初から聞いておけばよかった。
名前だけじゃない。
何が好きなのか、どこのクラスなのか、なんで1人で舞っていたのか。
そして、あの女子が自分をどう思っていたのか。
ラウル「……もっと……話しておけばよかった」
声が掠れる。
目から涙が溢れる。
なんで、もっと話さなかったんだろう。
サッカーなんて、一日くらい抜けてもよかった。
ボールを飛ばすなんて、遠回りなことをせずに。
普通に、会いに行けばよかった。
それからラウルは、女子と関わることをやめた。
必要がなければ話さない。
自分から近づくこともない。
誰かを気にすることもやめた。
そして、あの女子のことも忘れようとした。
考えなければいい。
思い出さなければいい。
そうすれば、もう会えないことを後悔することもない。
あの日。
友達から聞いたことも。
女子と交わした言葉も。
ボールを飛ばした日々も。
少しずつ、記憶の奥へ押し込んでいった。
時間が経つにつれて、女子の顔も曖昧になった。
そしていつしか、完全に思い出せなくなった。
あの頃、自分が女子にどんな感情を抱いていたのかさえ、考えないようにした。
もう二度と会えないのなら、全部忘れてしまった方が楽だから。
それでも、どうしても消えてくれないものが一つだけあった。
あの時、指先に触れた少女の手の感触。
それだけは、何年経っても消えてくれなかった。
――ゴォォォ!!
ラウル「……」
炎が揺れる。
目の前、火の粉の中にカグラが立っている。
さっきまであんなに楽しかった戦い。
それすら、今は頭に入ってこない。
ラウル「……まさか」
ラウルはカグラを見る。
あの舞、何度見ても胸の奥を掻き回した。
あの動き、忘れようとしてずっと記憶の奥へ押し込んでいた、あの頃の記憶。
ラウル「……お前、昔……中学の時」
カグラの目が僅かに見開く。
ラウル「グラウンドの端で……いつも1人で踊ってたよな」
カグラ「……」
一つ、また一つ、記憶が繋がれていく。
ラウル「俺、そこでサッカーしてて。最初は偶然だった。でも途中から……わざと、ボールを飛ばしてた」
カグラ「……」
ラウル「それで……毎日一緒に話してた」
カグラは何も言わない。
ただ、ラウルを見つめる。
ラウル「……お前」
一歩、前に出る。
ラウル「お前が……あの時の女子なのか……?」
カグラ「……」
しばらく、沈黙が続いた。
そして、カグラの表情がゆっくりと緩む。
カグラ「……やっと」
ラウル「……?」
カグラ「やっと、気づいてくれたんだね」
カグラは目に涙を浮かべながら、どこか懐かしそうに笑っていた。
小学生の頃。
カグラは外で遊ぶことが好きだった。
男子も女子も関係なく、一緒に楽しく遊んでいた。
そんな時間が、カグラは大好きだった。
しかし、中学生になってから少しずつ変わっていった。
男子は男子。
女子は女子。
そんな空気が、いつの間にかできていた。
放課後のグラウンド。
カグラ「……」
遠くから男子の声が聞こえる。
笑いながら、サッカーボールを追いかけている。
カグラ「……楽しそうだな」
本当は混ざりたかった。
一緒に走って、一緒に笑って、一緒に遊びたかった。
でも、今さら自分から「入れて」と言うのは、何となく恥ずかしかった。
だから、グラウンドの端で1人、好きだった舞を続けていた。
そんなある日。
――パチパチパチ
カグラ「……!」
突然、拍手が聞こえた。
振り返るとそこには、1人の男子がいた。
サッカーボールを取りに来たらしい。
カグラ「……」
初めてだった。
1人で舞っている自分を、誰かが見てくれたことは。
それだけじゃない。
拍手までしてくれた。
とても嬉しかった。
でも、少しだけ恥ずかしかった。
そして、なぜかその男子のことが気になった。
足元にあったサッカーボールを拾う。
カグラ「……はい」
男子「お、おう……」
ボールを渡すその瞬間。
指先がほんの少しだけ触れた。
カグラ「……!」
男子「……っ!」
2人とも反射的に手を引いた。
しばらく沈黙が続き。
男子「……ありがとな」
それだけ言って、男子は友達のところへ戻ろうとする。
カグラ「あっ……」
その背中を見つめる。
本当は、言いたかった。
『あたいも、一緒に入れて』
でも、もう男子は走り出していた。
遠くから友達の声が聞こえる。
男子はそのままサッカーへ戻っていく。
カグラ「……」
結局、言えなかった。
あと少し、早く声を出していれば、一緒に遊べたかもしれない。
カグラ「……ま、いっか」
そう呟いて、もう一度舞い始める。
けれどその日からカグラは、時々サッカーをしているあの男子が気になるようになった。
それから何度もボールが飛んできた。
偶然、そう思っていた。
けれど、二度、三度。
毎日同じような場所へ転がってくる。
そして決まって、あの男子が走ってくる。
カグラ「……今日も?」
男子「悪い悪い!友達がマジで下手なんだよ」
カグラ「ふふっ、そうなんだ」
とっくに気づいていた。
このボールは偶然なんかじゃない。
自分と話すために、わざと飛ばしている。
でも、それを言うことはなかった。
だって、カグラ自身もボールが来ることを待っていたから。
今日もボール来るかな。
今日は何を話そうかな。
昨日より長く話せるかな。
気づけば、放課後になるのが楽しみになっていた。
それでも名前は知らなかった。
聞こうと思えばいつでも聞けた。
でも、明日も会える。
次の日もきっと会える。
そう思い、名前は聞かなかった。
そんなある日。
「引っ越すことになった」
カグラ「……え?」
両親から冷たく告げられた。
最初は意味が分からなかった。
今住んでいる場所を離れる。
友達とも離れる。
そして、あのグラウンドにも行けなくなる。
カグラ「……」
そんなことよりも真っ先に頭に浮かんだのは、名前も知らないあの男子だった。
その夜。
布団に入ってもなかなか眠れなかった。
カグラ「……どうしよう」
伝えなきゃ。
そう思った。
引っ越すことも、もう会えなくなることも。
次にボールが飛んできたらちゃんと言おう。
それから、名前も聞こう。
自分の名前を言おう。
カグラ「……うん」
布団の中で、そう決めた。
次の日。
ボールが転がってくる。
カグラ「……!」
いつものように、あの男子がこちらへ走ってくる。
男子「悪い!今日も友達が飛ばした!」
カグラ「……」
言わなきゃ。
今、言わなきゃ。
カグラ「……ねぇ」
男子「ん?」
カグラ「……」
引っ越すんだ。
もう会えなくなるんだ。
言葉は、そこまで出かかっていた。
カグラ「……今日も元気だね」
男子「まぁな。いつも俺は元気だぜ」
言えなかった。
いつも通り話している時間が、あまりにも楽しかったから。
これを終わらせたくなかった。
そして、悲しい思いをさせたくなかった。
カグラ「……何やってるんだろ」
帰り道、小さく呟く。
明日は言おう。
絶対に言おう。
そう決めた。
次の日もボールが来た。
いつも通り話した。
いつも通り笑った。
また、言えなかった。
次の日、今日こそはと思った。
でも、あの男子が来ると、やっぱり言えなかった。
引っ越すと伝えたら、この時間に終わりが来てしまうことを認めてしまう気がしたから。
だからカグラは先延ばしした。
明日、明日こそ。
そうやって何度も。
そして、引っ越しの前日。
カグラ「……」
いつもの場所。
いつもの男子。
カグラは何度も口を開こうとした。
引っ越すこと。
名前を聞きたいこと。
自分の名前を覚えていてほしいこと。
本当は、もっと一緒にいたかったこと。
全部伝えたかった。
カグラ「……」
でも結局、最後まで言えなかった。
男子「じゃ、またな」
カグラ「……うん、じゃあね」
その言葉が胸に刺さった。
男子は知らない。
明日はもう来られないことを。
カグラ「……」
カグラはそっと、背を向けた。
次の日。
カグラは車の中で何度も後悔した。
どうして言えなかったんだろう。
どうして名前を聞かなかったんだろう。
どうして自分の名前を教えなかったんだろう。
あの時、ほんの少し勇気を出していれば、何かが変わっていたかもしれない。
カグラ「……ちゃんと、言えばよかった」
もう届かない。
それでも忘れることはできなかった。
自分の舞を見て、拍手してくれた男子。
毎日のように、わざとボールを飛ばして話しに来てくれた男子。
名前すら知らない、あの男子。
カグラはずっと、忘れることができなかった。
――ゴォォォ……
火が静かに揺れる。
カグラ「……懐かしいね」
カグラは少し笑う。
カグラ「最初に会った時さ、あたいの舞を見て、あんた拍手してたでしょ」
ラウル「……あぁ、そうだったな」
カグラ「あの時と同じだった」
ラウル「同じ?」
カグラ「あたいがここで舞ってる時、あんた同じ拍手してたじゃん。その時に顔見て……すぐに分かった」
ラウル「……最初から気づいてたのか?」
カグラ「うん、気づいてたよ」
ラウル「……」
思わず言葉を失う。
カグラ「最初は、あたいもびっくりした。まさかこんなところで出会うなんて思わないじゃん」
ラウル「……そりゃそうだな」
カグラ「しかも」
カグラは少し頬を膨らませる。
カグラ「あたいはすぐ気づいたのに、あんたは全然気づかないし!」
ラウル「そりゃあ悪かったよ。でもよ、なんで言わなかったんだ?」
カグラ「……」
ラウル「最初から俺だって分かってたなら、その時言えばよかっただろ」
カグラ「それは……」
僅かに視線を逸らす。
カグラ「あんたにもあたいだって、気づいて欲しかったからだよ」
ラウル「……っ」
カグラ「だから、言わなかったの」
ラウル「……そうか」
カグラ「……まあ」
少しだけ、声が小さくなる。
カグラ「途中、危なかったけどね」
ラウル「危なかった?」
カグラはラウルの顔を見る。
カグラ「あんたがすっごい楽しそうに笑ってた時。あの顔、昔と全然変わってなかったから」
ラウル「……」
カグラ「それ見た瞬間さ、あたい……懐かしくて舞が止まっちゃいそうになったんだよね」
ラウル「そうだったのか」
カグラ「うん。本当に、あの時のあんたみたいだったから……」
ラウル「……」
そして、ラウルには一つ、どうしても納得できないことがあった。
ラウル「でもよ」
カグラ「?」
ラウル「やっぱ最初に言えばよかったじゃねぇか」
カグラ「……もう!」
ラウル「だってそうだろ?」
カグラ「分かってないなぁ、あんたは」
腰に手を当てる。
そして、少しだけ頬を赤くしながら。
カグラ「女の子はね、男の子から気づいてもらいたいものなの!」
ラウル「……」
カグラ「分かった?」
ラウル「……分かんねぇ」
カグラ「なんでよ!!」
ラウル「俺そういうの昔から分かんねぇからな!」
カグラ「もう!」
2人とも楽しそうに笑った。
カグラ「……ほんと、変わってないね。あんたは」
ラウル「まぁな」
2人の間で、静かに炎と火が揺れる。
もう、戦う理由なんてどこにもなかった。
バルク「何やってんだ?あいつら」
ビルの屋上から見ていたバルクは、今起きている状況を理解できずにいた。
激しく戦っていたら急に止まり、何やら話している。
バルク「……やっぱあいつらの考えてることはわかんねぇな」
バルクは何も言わず、その場から2人を見守る。
今は自分の出る幕ではないのだと。
ラウル「……俺、ずっと後悔してた。もっと話しておけばよかったって」
カグラ「……っ」
ラウル「名前を聞いて、もっとお前のこと知っておけばよかったって」
カグラ「……あたいも」
カグラは一歩前に出る。
カグラ「あの時、ちゃんと伝えればよかった。引っ越すことも、名前も、もっと一緒にいたいってことも。それと、一緒に遊びたかったことも」
ラウル「……気づいてやれなくてごめんな」
カグラ「ううん、いいの」
ラウルも一歩ずつ前に出る。
2人の距離が、少しずつ縮まっていく。
あの頃は近づけなかった。
何も知らないまま。
何も伝えられないまま。
でも、今は違う。
ラウル「……もう、二度と離れねぇから」
カグラ「……あたいも」
また、一歩近づく。
カグラ「……もう、絶対に離さない」
ラウル「……あぁ」
お互い、手を伸ばす。
あと少し、あと一歩で、あの日できなかったことを、取り戻せる。
ラウル「……カグラ」
カグラ「……ラウル」
2人の身体が、重なろうとした。
――ザシュッ
ラウル「……っ?」
カグラ「……え?」
ラウルの身体が、僅かに揺れる。
そして、胸元から赤い血が流れ落ちた。
カグラ「……ラウル?」
ラウル「……っ」
力が抜ける。
そのまま、カグラの方へ倒れていく。
カグラ「ラウルっ!!」
カグラがその身体を受け止める。
何が起きたのか分からない。
カグラ「……なに……これ……」
震える手でラウルを抱く。
カグラの手が真っ赤に染まる。
その向こう。
1人の男が立っていた。
――リンネ
To be continued…
第62話 炎火残燼




