第56話 1人だけ
完全なる互角が続いている。
何度も、何度も互いの時間をぶつけた。
ただ、その中で大きな変化があった。
《次元の呪い》が、広がり続けている。
フィオ「……」
フィオは少し離れた場所から見つめていた。
最初は小さなヒビだったが、今ではそのヒビが大きく開き、無数の亀裂が戦場そのものを覆い始めている。
エルマ「このまま……終われないわ……!」
ティレス「……っ、まだ……!」
2人は止まる気配が無い。
ほんの僅かでも力を抜けば。
その瞬間、もう一方の時間に飲み込まれる。
だから、止められない。
フィオ「……怖い」
無意識に一歩、後ろへ下がった。
あの紫色の空間が怖かった。
何なのか分からない。
どこに繋がっているかも分からない。
飲み込まれたらどこへ行くのか。
何一つ分からない。
ただ一つだけあった。
これ以上は、広がってはいけない。
フィオ「もう……やめて……」
小さな声。
遠くへ響かず、2人には届かない。
フィオ「これ以上……やったら……」
――バキッ!
また一つ、空間が裂ける。
フィオ「……っ!」
身体が震えた。
何より怖かったのが、その中心。
ティレス。
そしてそれと向き合っている。
フィオ「……エルマさん」
2人は《次元の呪い》のすぐ近くにいる。
もし、あの亀裂がさらに広がったら、飲み込まれるかもしれない。
あの中に一度入ったら、もう二度と現実には戻れないかもしれない。
フィオ「……嫌」
その光景を想像してしまった。
紫色の空間が、2人の身体を覆う。
手を伸ばしても、届かない。
名前を呼んでも、帰ってこない。
そのまま一生、どこか分からない場所へ消えてしまう。
フィオ「……嫌だ」
胸元を強く握る。
怖い。
今すぐ逃げたい。
自分まで巻き込まれるかもしれない。
また、エルマを見る。
エルマ「……はぁ……はぁ」
肩で息をしている。
苦しそうだった。
それでも、止まらない。
ティレス「……っ!!」
ティレスも限界が近い。
2人とも、いつ倒れてもおかしくない。
フィオ「お願い……もう……やめて……」
分かっている。
2人にとって、そんな簡単なものではない。
止まれば、相手の時間に飲み込まれる。
だから、止められない。
なら、このまま見ているしかない?
どちらかが倒れるまで、この空間が広がっていくのを見ているだけ?
2人が消えてしまうかもしれないのに。
フィオ「……」
怖い。
でも、その恐怖の中で、別の感情が少しずつ大きくなっていく。
フィオ「……そんなの……嫌」
逃げることじゃない。
何も出来ないことでもない。
一番嫌なのは、何もしないまま2人がいなくなること。
フィオ「……絶対に……嫌だ」
震えていた手を強く握る。
フィオは、エルマを見つめる。
フィオ「私が……」
一歩前に出る。
まだ、足は震えている。
怖くなくなったわけじゃない。
それでも、一歩。
フィオ「私が……エルマさんを助ける!」
その瞬間、フィオの中で逃げるという選択肢が消えた。
しかし、すぐに現実が立ちはだかる。
フィオ「でも……」
どうやって止める?
自分の植物で、あのティレスを止められる?
自分の力が、通用するとは思えない。
フィオ「私の力じゃ……」
何かあるはず。
自分にもできることが。
フィオ「考えて……考えて……」
必死に戦場を見る。
エルマとティレス。
亀裂、瓦礫、壊れた時計台の跡、地面。
そして、フィオの視線が止まった。
ティレスの足元。
フィオ「……?」
小さな、何の変哲もない草だった。
だが、フィオはその草を見つめる。
フィオ「……伸びてる?」
茎が、目に見える速度で伸びている。
葉が開き、小さな蕾が生まれる。
その瞬間、蕾が開いた。
綺麗な花が咲く。
フィオ「……!」
だが次の瞬間、花びらが散った。
葉が変色する。
茎が萎れる。
そして、枯れる。
ほんの数秒。
成長、開花、枯死。
植物が何日もかけて進むはずの時間を、一瞬で駆け抜けている。
フィオ「……まさか」
恐怖に満ちていた瞳が変わる。
その中に、小さな光が宿った。
二つの時間が今なおぶつかり続けている。
だが、限界を迎えているのは2人だけではなかった。
――バキッ!!
紫色の空間、《次元の呪い》も既に限界へ近づいていた。
ティレス「……」
ティレスがエルマを見る。
荒い呼吸。
震える身体。
既に限界なのに、その口元が僅かに笑った。
ティレス「……私が」
腕に血管が浮かぶ。
その顔からは、全てを捨てる覚悟が感じられる。
ティレス「……格上なのよ!!」
その瞬間。
加速が爆発した。
エルマ「……!?」
一気に、ティレスの加速がエルマの遅延を飲み込んでくる。
最初の頃、技術はエルマが上だったが、出力ではティレスが上だった。
しかし、今では技術が同等。
ならば、出力によって勝敗が決まる。
エルマ「くっ……!」
空間全てが加速される。
遅延が徐々に飲み込まれる。
そして。
――バキィィィィィン!!
空間に、今までで最も大きな亀裂が走った。
直感だけで分かった。
あと一度。
あと一度でも衝突すれば、崩壊する。
だが。
エルマ『このまま引き下がるわけには……!』
カイとの約束を果たせない。
だったら。
今一度、遅延を。
エルマ「……まだ……終われな――」
その時。
フィオ「エルマさん!!」
エルマ「……!」
我に返る。
後ろから聞こえた。
小さな声。
でも、今まで聞いたことがないほど力強い声。
エルマ「……フィオ?」
フィオ「離れて!!」
一瞬、迷った。
今、遅延を解除すれば、ティレスの加速に押し潰される。
だが、エルマは振り返らなかった。
その声を――信じた。
エルマ「……分かったわ!」
地面を強く蹴る。
そして、遅延を解除。
加速と遅延の均衡が崩れた。
ティレス「……!何を……!?」
抑え込まれていた加速が、一気に戦場へ解放される。
そして。
フィオ「お願い……!」
フィオが両手を地面へ向けた。
フィオ「万緑萌生!」
ティレスの周りの地面。
そこから一斉に、草木が芽吹いていく。
そこから芽吹いたのは、どれも小さなものだった。
広がる草、小さな芽、細い茎。
ティレス「……は?」
その瞬間。
草木が一気に伸びた。
猛烈な速度で成長する。
ティレス「なっ……!?」
足首に、一本の草が絡みついた。
いや、もうそれは草ではなかった。
細かった茎は、一瞬で長い蔓へと成長していた。
動揺により、加速の出力が収まる。
ティレス「こんなもの……!」
足を振り払おうとする。
その動作を加速させる。
――カチッ
だが、同時に植物も加速する。
ティレス「……!?」
蔓がさらに伸びる。
足首から膝、腰。
次々と巻き付いていく。
ティレス「くっ……!」
針剣で引きちぎる。
だが、一本切った瞬間、その切れ目からすら伸び始める。
ティレス自身の加速によって、一瞬で成長する。
その時。
巨大な樹木が地面を突き破った。
ティレスの背後から、太い枝が身体を挟み込む。
さらに無数の蔓が右腕、左腕、腹まで伸びる。
ティレス「離せ……!」
だが、身体は簡単には動かない。
ただ、ひたすら伸びる植物を見ることしかできなかった。
エルマ「フィオ……あなた、ティレスの加速を……?」
エルマはフィオに近づく。
そして、フィオは少し笑顔になる。
フィオ「私が今できることを、全力でやっただけです!」
少し離れた場所で、エルマは呆然と見つめていた。
エルマ「……ふふっ、そういうことね」
思わず、笑ってしまった。
ティレスは今、自分の能力により自分の首を絞めているのだ。
その時。
紫の亀裂が止まった。
《次元の呪い》、限界寸前まで達していた次元の亀裂が止まった。
フィオ「……良かった」
その場に崩れそうになる。
怖かった。
本当に怖かった。
それでも、間に合った。
フィオ「エルマさん……!無事で良かったです!」
その時。
エルマの中である言葉が脳裏に浮かぶ。
かつて、最強を教えられた人物の言葉。
エルマ「『“単独が最強”なんて幻想』、ほんとその通りよね。まさか二度も教えられるなんてね。フィオ、助けてくれてありがとう」
その直後。
――ミシッ
樹木が軋んだ。
ティレス「……まだ……終わってないわ」
植物に絡まれながらも、まだ抵抗を見せている。
それを見て、エルマは短剣を握り直した。
エルマ「……っ」
エルマは一歩ずつ歩き始めた。
ティレスにゆっくりと近づく。
その戦場は、さっきの衝突が嘘だったかのように静かだった。
空間に残った紫色の亀裂、《次元の呪い》も少しずつ小さくなっている。
ティレス「……何するのよ」
悔しそうにエルマを見る。
もう、抵抗する力は残っていなかった。
2人の視線が重なる。
エルマ「……」
少しだけ、笑った。
だが、もう挑発するような笑みではない。
戦いの途中、何度も、何度もティレスを煽った。
でも、今は違う。
エルマ「……あなたは、強いわ」
ティレス「……っ」
エルマは、はっきりと認めた。
エルマ「少なくとも、私よりは上だったわよ」
ティレスの瞳が僅かに大きくなる。
エルマ「もし一体一だったら、多分私が負けてた。だから、」
短剣を、ゆっくり構える。
エルマ「これは私1人だけの勝ちじゃない。私たち2人であなたに勝ったの」
ティレス「……そう」
少し掠れた声。
どこか、納得したような声でもあった。
ティレス「……でも、あなたも強かったわ」
エルマ「……」
エルマは短剣を見る。
大きな技は、もう必要ない。
ここで、これ以上力を使う意味なんてない。
これ以上、苦しませる必要もない。
短剣に、ほんの僅かな力だけ込める。
ティレス「……」
ティレスも、それを理解した。
静かに目を閉じる。
エルマ「……ごめんなさい」
――スッ
身体に刻まれる、小さくて、静かな一撃。
痛みも少ない。
苦しくもない。
ティレス「……っ」
身体から力が抜ける。
植物に拘束されているため、倒れることすらない。
そのままゆっくりと意識を失っていく。
ティレス「……」
瞳が閉じる。
――カチッ
それが、ティレスが奏でた最後の音だった。
そして、ティレスの身体から小さな光が浮かび上がる。
一つ、また一つ。
身体の端から光の粒子へと変わっていく。
植物に絡め取られた身体が、少しずつ輪郭を失っていく。
ティレスを拘束していた蔓が、光の粒子の隙間を抜け、力なく地面へ落ちていく。
エルマ「……っ」
最後に、ティレスの顔が粒子へ変わる。
その顔は、苦しそうではなかった。
ただ静かに眠っているようだった。
そして、最後の光が空へ消えた。
《ティレスの戦闘不能を確認》
《チームリオネの残存プレイヤー数:17》
エルマは、ティレスが消えた場所をしばらく見つめていた。
フィオがいなければ、ここに立っていたのは自分ではなかったかもしれない。
そして、小さく呟いた。
エルマ「……次は、一体一でも負けないから」
返事はない。
それでも。
エルマはティレスが消えた場所へ、静かに背を向けた。
エルマ「フィオ……」
このまま進まなければならない。
仲間が助けを求めているかもしれない。
だから。
エルマ「……行きましょう」
フィオ「……はい」
2人が歩き出そうとした。
その瞬間。
感情のない。
機械的なシステム音声が響いた。
《ケイルの戦闘不能を確認》
《チームクリオの残存プレイヤー数:19》
To be continued…
第57話 狂う羅針盤




