第55話 幻想
白い、どこまでも白い空間。
壁も、床も、天井も、境界すら存在しない。
その空間に、無数のモニターだけが浮かんでいる。
一つ、また一つ。
数え切れないほどの画面。
そこには、それぞれ違う場所が映し出されていた。
戦っている者。
走っている者。
仲間を探している者。
傷つき、それでも歩み続ける者。
その全てが、ここから観測されている。
その中央。
無数のモニターに囲まれた場所に、二つの人影が立っていた。
クリオ、そしてリオネ。
2人は無言でモニターを見つめている。
しばらくして。
クリオ「……リオネ」
返事は返ってこない。
一瞬、言葉に詰まる。
クリオ「どうして……こんなことをするのですか……?」
リオネはモニターから視線を外さない。
クリオ「人を殺し合わせ、観測し、データを採取する。こんなことをして、何になるのですか?」
リオネは口を開く。
そして、淡々と答えた。
リオネ「設定済みプログラムへの従属を実行。プレイヤーの観測を継続、戦闘の管理を継続、排除条件を満たした対象の削除を実行」
クリオ「……」
リオネ「以上」
クリオは拳を握った。
クリオ「……私には分からない。どうして、そんなに平然といられるの?」
リオネは即答する。
リオネ「感情による判断を未使用。平然という状態の適用対象外と判断」
クリオ「……」
リオネ「命令された処理の実行を継続。以上」
クリオは、モニターへ視線を戻した。
そこには、数々のプレイヤー。
クリオ「……リオネは、彼らをただのデータとしか見てないの?」
リオネは間を空けずに答える。
リオネ「否定」
クリオ「……え?」
リオネ「彼らはデータではない。プレイヤーとして登録された生命体」
クリオ「だったら……!」
思わず感情が溢れ出す。
いつも見せない怒りの顔。
リオネに顔を向ける。
クリオ「笑ったり、泣いたり、誰かを守ろうとしたりする。そんなものまで、全部ただの数字みたいに扱えるの!?」
リオネはモニターから目を離す。
そして、クリオを見る。
その目には、感情の形が無かった。
リオネ「質問内容を確認。感情の価値についての判断を要求」
クリオ「……そうです」
リオネ「不要と判断」
クリオ「……」
リオネ「感情は観測結果に影響を与える不確定要素。排除を推奨」
クリオ「……私が、間違ってるってことですか?」
リオネ「肯定。クリオの観測行動に感情的介入を確認。観測者としての適性低下を確認。修正を推奨」
クリオは、何も言えなかった。
所詮、ただの観測者だから。
今は、モニターを見ることしかできない。
そして、全員の運命を願うことしかできない。
リオネ「私は異常なし。感情による処理を未実行。設定された命令への従属を継続。それが正常状態」
その時。
――ピッ
小さな電子音が鳴った。
クリオ「……?」
一つのモニター。
その画面が点滅している。
クリオ「この画面……」
そこに映っているのは、エルマ、そしてティレス。
2人が戦っている広場。
しかし、映像が僅かに歪んでいる。
――ザザッ
クリオ「……映像にノイズ?」
さらに、ティレスを映していたモニターまでもが点滅し始める。
リオネ「異常を確認。解析を開始」
リオネの目が赤く光る。
そして、目の前に数式のような文字列が浮かび上がる。
リオネ「時間軸の異常を確認。空間座標の異常を確認。観測情報の不整合を確認」
クリオ「不整合……?」
画面の中のエルマの姿。
それが一瞬消え、そして別の場所に現れる。
ティレスも同じように、複数の姿が重なっていく。
――ザザザザッ
紫色のノイズが、モニター全体を覆っていく。
クリオ「何が起きてるの……」
リオネ「解析を継続」
少しだけ間が空く。
そして。
リオネ「解析不能」
クリオ「解析不能?」
リオネ「再解析を実行。――解析不能。再解析を実行。――解析不能」
クリオ「リオネ……?」
リオネ「原因特定を中断。異常領域の拡大を確認」
二つのモニターが、激しく点滅し始める。
リオネ「時間軸への干渉を確認。空間座標への干渉を確認。観測領域への侵食を確認」
クリオ「待って……!」
クリオはモニターを凝視する。
そこには、エルマとティレスの周囲に広がる無数の亀裂。
その奥から、紫色の光が滲み出している。
そして、その光が。
クリオ「私たちのいる場所まで……届いてる」
モニターから少しずつ、紫色の光が溢れ出す。
リオネ「次元境界の破損を確認」
クリオ「次元……!?」
リオネ「観測領域への干渉を確認。管理領域への干渉を確認。観測不能領域の発生を確認」
クリオ「これ、何ですか……?」
リオネ「解析結果を照合」
一瞬、全てのモニターが停止する。
そして、画面の中心に赤い文字が浮かび上がった。
《次元干渉》
《観測領域侵食》
《管理領域侵食》
《観測不能領域発生》
リオネ「該当データを確認。名称を照合」
――《次元の呪い》
――ブツッ
その瞬間。
画面が一斉に紫色へ染まった。
クリオ「……っ!」
リオネ「警告を発令」
《観測対象と観測者の境界――破損を確認》
《次元境界――侵食を確認》
《管理領域――侵食を確認》
そして、リオネ自身の身体にも一瞬、紫色のノイズが走った。
リオネ「自身への干渉を確認。――異常なし」
クリオ「……リオネ?」
一拍。
リオネ「……訂正。異常を確認」
白い空間で初めて、リオネの声が途切れた。
――ピシッ
また、空間の亀裂が増えた。
その数は、もはや数えられる量ではない。
紫に染まった亀裂が、2人を中心として蜘蛛の巣のように世界へ広がっている。
亀裂の向こう側には、この世に存在しないはずの空間。
異なる次元。
これが、《次元の呪い》。
エルマ「……っ」
ティレス「……」
2人とも分かっていた。
このまま続ければ、明らかに危険だと。
何が起こるか分からない。
亀裂がさらに広がるのか、この空間そのものが崩壊するのか。
誰にも、分からない。
なら、能力を止めればいい。
少なくともそれだけで、これ以上の被害は防げる。
だが、2人は止めなかった。
いや――止められなかった。
2人の視線が交わる。
その瞬間、2人とも何を考えているのか理解した。
今、加速と遅延はほぼ完全に拮抗している。
ティレスがほんの僅かでも加速を緩めれば、その瞬間、エルマの遅延がティレスを飲み込む。
その逆も同じだ。
この戦いにおいて、能力を弱めることは――敗北を意味する。
エルマ『……最悪ね』
むしろ出力は、さらに上がっていく。
空間の亀裂がまた一つ、大きく開いた。
――バキィッ!!
紫色の光が戦場を照らす。
フィオ「2人とも……!」
離れた場所にいるフィオだけが、その異常な光景を見つめていた。
フィオ「これ以上はだめ……!!」
しかしその声は、2人にはもう届かない。
互いに一歩も譲らず、世界そのものを引き裂いていく。
そして、その均衡がほんの僅かに崩れた。
エルマ「……っ」
額から、冷たい汗が流れた。
ティレスがエルマを、少しずつ、少しずつ塗りつぶしていく。
エルマはさらに出力を上げる。
だが、届かない。
加速が遅延を上回る。
ティレス「どうしたの!?」
ティレスが叫ぶ。
ティレス「まだ限界じゃないでしょ!!」
エルマ「……」
返事をする余裕すらなくなっていた。
さらに、加速が強くなる。
エルマ「ぐ……っ!」
身体が沈む。
左肩が痛む。
遅延を維持できない。
エルマ『私……負けるのかな』
その言葉が、脳裏に浮かんだ。
でも不思議と、恐怖はなかった。
悔しい。
けれど、どこか冷静な自分がいた。
エルマ『……でも、私がいなくなったところで、困ることはないか』
頭の中に、1人の姿が浮かぶ。
ユリカ。
あの圧倒的な能力。
初めて戦った時、思った。
こんな戦い方があるのか、と。
力で押さえつけるだけじゃない。
相手の思考。
判断。
意思。
戦うという行為そのものを支配する。
『最強』という言葉の意味を、初めて考え直させられた人物だった。
エルマ『ユリカがいる』
そしてもう1人。
ハルト。
あの男は、あいつを倒した。
自分がずっと追い続けてきた男を、真正面から打ち破った。
あいつに勝った男。
なら、自分より強い。
そう考えるのが自然だった。
エルマ『ハルトがいる』
そして最後に。
エルマ『……カイ』
何度も競った。
何度も言い争った。
何度も腹が立った。
速すぎる。
生意気。
負けず嫌い。
何をしても、こちらの一歩先へ行こうとする。
だから。
追いかけた。
追いついた。
追い越した。
でも、また追い越される。
その繰り返し。
いつからだろうか。
勝ちたいと思うことが当たり前になったのは。
エルマ『でも』
カイは、もう自分だけの目標ではない。
自分より先に、ハルトがあいつを超えた。
だったら。
エルマ『……私じゃなくてもいいじゃない』
ユリカがいる。
ハルトがいる。
カイがいる。
他にも強い仲間はたくさんいる。
自分がいなくてもきっと。
誰かが戦う。
誰かが守る。
誰かがこの世界から皆を連れ出してくれる。
エルマ『……私一人くらい』
消えても、何も変わらない。
そんな気がした。
エルマ「……っ」
ティレスの加速が、また一段強くなる。
膝が曲がる。
傷が痛む。
遅延が押されていく。
あと少し力を抜けば、楽になれる。
エルマ『……もう』
短剣を握る手だけが、少し緩んだ。
エルマ『いいかな』
もう、自分の役目は――終わっても。
???『ふざけんな』
エルマ「……」
この瞬間だけ、時間が止まったような気がした。
ティレスの加速でも、自分の遅延でもない。
その声が、頭の中で響いた。
エルマ『……カイ?』
目の前には誰もいない。
なのに、聞こえる。
嫌なほど聞いてきた、あの声が。
カイ『勝手に諦めてんじゃねぇよ』
そこに、カイが立っている気がした。
いつもの顔。
いつもの目。
少し苛立ったような、何度も見てきた表情。
カイ『お前、俺が何のために、お前と張り合ってきたと思ってんだよ』
エルマ『……そんなの、知らないわよ』
カイ『知らないじゃねぇ』
やっぱり、腹が立つ。
頭の中ですらこいつは、いつものカイだった。
カイ『ユリカが強い?ハルトが俺を倒した?だから自分はいらない?』
カイは呆れたようにエルマを見る。
カイ『馬鹿か、お前』
エルマ『……あんたにだけは言われたくないわよ』
カイは真っ直ぐエルマを見る。
カイ『ユリカはユリカ、ハルトはハルト、お前はお前だろ』
エルマの瞳が、僅かに揺れた。
カイ『誰かが強かったら、お前はいらなくなるのか?誰かがお前より先に俺を倒したら、お前との勝負は終わりなのか?』
エルマ『……』
カイ『違うだろ』
一歩、カイが近づく。
その風すらも感じ取る。
カイ『俺はまだ、お前との決着をつけてねぇ』
エルマ『……!』
エルマは思い出した。
何度も何度も繰り返した、終わらない勝負。
決着なんて、一度もつかなかった。
カイ『だから帰ってこい。そして、俺を倒しに来い』
胸の奥で、何かが強く脈を打った。
カイ『俺が認めた奴が、そんな簡単に負けようとすんな』
エルマの手が再び、短剣を強く握る。
そして、最後にカイは――笑った。
カイ『エルマ。お前は、俺の一生のライバルだ』
エルマ『……カイ』
その言葉が、胸の奥に残った。
一生。
その意味を、ゆっくりと噛み締める。
エルマ『……一生、ね』
俯いたまま、笑った。
エルマ『……相変わらず、生意気なこと言ってくれるじゃない』
まだ、終わってない。
カイとの勝負も。
この世界での勝負も。
そして、今目の前にいるティレスとの勝負も。
エルマ「勝手に自分の価値を決めて、勝手に諦めようとして」
ゆっくり、顔を上げる。
エルマ「私ったら……馬鹿みたい」
ティレス「……?」
エルマの雰囲気が変わった。
ティレス「何……?何よ……?」
エルマ「ごめんなさい」
短剣を握り直す。
エルマ「ちょっとだけ、弱気になってたわ」
ティレス「……!」
エルマの遅延が、急激に強くなる。
ティレス「嘘っ!?そんな力が残ってるわけない!!なんで!?」
押していたはずの加速が消える。
エルマ「私がいなくなっても、みんなは困らない」
加速と遅延が、再び拮抗する。
エルマ「それは、きっと本当。でも、」
脳裏にあの男が浮かぶ。
そして、笑った。
エルマ「私がいなくなったら困る馬鹿が、1人だけいるみたいなの」
ドォォォォォン!!
加速が押し返される。
完全に五分へと戻った。
ティレス「なんで……!!」
左肩は壊れかけている。
身体も限界に近い。
それでも、エルマは立っていた。
エルマ「まだ決着をつけてない男がいるの。だから――」
そして、ティレスを真っ直ぐ見据える。
エルマ「こんなところで、あなたに負けるわけにはいかないのよ」
遅延と加速。
二つの時間が再び、完全に同格へと舞い戻った。
To be continued…
第56話 1人だけ




