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ep.9 俺は見えないこの心を引きずって生きていくしかないんだ

一日遅れましたごめん





 真っ暗だ。




 瞼を持ち上げると目の前には闇が広がっていた。

 何も見えない。本当に何も。

 どんなに辺りを見回しても、首を動かしても。

 下を見ても自分の手足さえ見えやしない。



(ここはどこだろう……)



 気がついたらここにいたけど。



(どうしてこんなに真っ暗なんだろう)



 夜なんだろうか。

 それとも森の中にいるんだろうか。

 疑問ばかりが膨れ上がっていく。



(……。)



 どんなに目を凝らしても闇以外存在しない。

 真っ黒だ。何もかも塗り潰されたかのように。



(……。)



 暗闇の中は無音だった。

 いつまで経っても何も起こらない。



(……。)



 ただ立ち尽くしたまま時間だけが過ぎていく。

 ようやく俺はここで少し動き出してみようかという気持ちが湧いてきた。

 でも怖い。だって本当に何も見えないんだ。

 一歩足を進めた瞬間、俺は奈落の底へ落ちているのかもしれない。



(……少しずつ)



 少しずつ、足を進めればいいんじゃないのか。

 ここでずっと待っていても、きっと何もわからない。



(……俺は進まなきゃ……走らなきゃいけない……) 



 自分でもじれったい程の速度で足を動かしていく。

 怖い。何も見えない。どうしてこんなに。

 もしかして、俺は目が見えなくなったのか。

 ゾッとするような考えを振り捨てて右足を進める。

 今更だが、足元の感触は固かった。地面がある。ここは外なんだ。

 だったらますますおかしい。

 真夜中でもない限り、こんなに何も見えないことはない。太陽も月もないなんて。

 本当に視力を失っているのかもしれない。そんな恐ろしさを拭いきれない程、世界は暗闇に満ちていた。



(……少しずつ……少しずつ……)



 足を進ませていったけど、どんどん疲れて息が上がってくる。苦しい。前が見えない。いつまでこんな事をすればいいんだ。



『……ッ!』



 痺れをきらして大きく一歩、踏みだしてみた。

 その途端、体が傾く。

 足元に何もない。

 落ちる。

 声も出なかった。














「……ッ!」



 目をカッと見開く。体をバネのようにして起き上がらせた。



「ハッ……! ハア……!! は、ッ、……う……」



 息もまともにできなくて布団を掻きむしる。薄暗い闇の中だけど自分の手がよく見えた。

 顔を上げるとそこは寮の自分の部屋だった。



「はぁ……はぁ……」



 夢だったのか。

 こんな、ドラマのような起き方をするなんて思わなかった。

 本当にこんな風に起きることってあるんだ……。

 体が重くて力が入らない。

 嫌な夢だった。

 なにも見えない暗闇の夢を見るなんて、まともな精神状態とは思えない。

 転職活動はつらかったけど、もしかして自分のメンタルは本当に危うい所まできてるのか。たしかにあの頃は思い返してもつらいことだらけで陰鬱な気分になる。

 自分の心が正常かどうかなんて己では判断できない。特に今は自信がもてなかった。

 もっとわかりやすかったらいいのに。身体が風邪を引いたら熱がでるように、咳がでるように。

 心も電気のスイッチが点くように、正常な部分と危険な部分の区別がもっとわかりやすかったら。きっと生きやすかったのに。

 そんな詮無いことを考えては自嘲する。

 ……俺は見えないこの心を引きずって生きていくしかないんだ、これからも。

 ゆっくりと窓の方へ視線を向ける。カーテンの隙間から光がこぼれてきてホッとした。

 この世に自分だけではないような気がした。














 IDを持った手がギクリと揺れる。

 セキュリティゲートの手前に見慣れない人影を見つけたからだ。ここから先は神社局以外の人間は用が無いはずなのに。

 初日に地下へ怪異を呼び寄せてしまった疑惑があるので慎重にその背中を見ていると、彼は悔しそうに俯いて別の通路へと足音をさせずに戻っていく。

 あの横顔は知っていた。

 同じ日に中途入社で研修を受けた人だ。



『え? 推薦人いないの? はあ? あ~……、なるほどね~、数年に一人くらいでいるらしいんだよね。君みたいのが』



 入社日に書類を渡した人事課の担当者が困ったように頭をかく。

 驚いたことにこの会社はほとんどが縁故入社らしい。縁故というか身元がはっきりしているという推薦が必要だとか。

 じゃあ一体どうして俺が入社できたかというとまさかの手違いだと言うのだ。

 その場で書類を取り落としそうなほど真っ青になった。採用だと思って喜んでいたら入社日に間違えでしたと帰されるなんて……。

 俺の前で完璧に揃えた入社書類を手渡していた男が見下すように笑う。嫌な笑い方だった。

 身元保証書の推薦人枠が空白なままの俺に担当者が面倒そうに携帯を取り出した、その時。



『俺が推薦人になっとくから』



 突然、会議室へ第三者の声が降ってきた。



『阿坂部長!?』



 人事課の人が慌てて立ち上がり携帯を床に落とす。

 彼は何も気にしない素振りで俺の傍まで近づくと、胸元から万年筆を取り出し書類の空白部分に【阿坂貞彦】と流暢に書き切ってみせた。一瞬の出来事だった。



『これで完成でしょ、入社おめでと』



 そう言うと慣れた調子でウインクしてみせた。

 あれが俺と阿坂部長の初対面だったと思う。

 驚きと安堵で胸がいっぱいだったあの時、俺の隣にいた彼はどんな顔をしていたのだろう。















「ここがあの女のハウスね!」

「先輩、元気ですね……」

「行くわよユキっち後輩。先輩の技をよく見て盗むのよ!」

「俺と先輩は能力が違うので盗めないと思いますよ……」



 変にヤル気満々の剱地先輩が車を運転して目的地に着いた。

 今日は二日目にして神社局の外仕事。先輩と二人きりでの行動だった。

 


「んじゃまず確認」

「はい」



 クリップボードを開いて中の書類を見えるようにする。二人でそれを視界におさめつつ先輩が口頭でも話し始める。



「まず最初に『視える化推進局祭祀部神祇課通称神社局』の仕事をもう一度おさらいするから」

「お願いします」

「『神社局』の仕事はこれからオスクニ建設事務所が戸建工事を開始する土地及び建物内の調査、復元作業を主に指します。後の特殊清掃作業は清祓せいばつ班が担当するので俺達の仕事は調査と復元作業、今回は調査になります。次のページめくって」

「はい」

「今件は『建物内の調査と撮影』になります。工事部の方からの情報で『建物内に何らかの存在』が確認されているので注意してください。存在が視認できるものなら撮影、口頭での注意、退去を願います。存在が視認できないものは調査と復元作業になります。何か質問は?」

「俺が撮影で良いんですか?」

「社用スマホのカメラで頼むわ」

「はい」

「今回は二人一組の行動だから。オマエ俺から絶対離れんなよ。離れたら守れないからな」

「こわ……腕組んでいいですか……?」

「やだよ。何で男なんかと腕組まなきゃならんの。女の子になってから出直してこい」

「すみませんでした。この復元作業ってどういう意味ですか?」

「『人間が住めるように復元』するっていう意味。幽霊とかいたら俺が殴る蹴るの暴行を加えて消滅させるか逃亡させる」

「逃亡でもいいんだ……」

「あいつら大抵戻ってこないからね」

「へえ……」

「たぶんどっか遠くで力尽きて消滅してるんだと思う」

「……な、なるほど……」



 想像してちょっと遠い目をしてしまう。たぶんエレベーター前の怪異を足蹴にしてたアレをやるんだろうな……と記憶を掘り返す。



「先輩って強いんですね……」

「そのかわり目は良くないから頼むね。見つけたら騒いで」

「騒ぐ……」

「ノンキにしてるとオマエみたいのはあっちゅう間にやられるからな。見つけた瞬間に騒げ。叫んでも良い」

「やられる……?」

「向こうはこっちに干渉できないんだけど、物理的になら危害を加えられる」

「ポルターガイストみたいな……? 壁とか照明とか落ちてきたり……?」

「そんなもんだと思っとけ。油断すんなよ」

「わかりました。あと気になってたんですけど」

「なに?」

「これ、……人間がいたりします……?」

「いる。ホームレスが隠れ住んでたりする」

「わあ」

「その場合は口頭注意で退去を願う。たまに酒で酔っぱらってるのが暴れるけど俺がお仕置きして物理的に退去させる。大事にしたくないから警察は最終手段な」

「わかりました……鈴とか鳴らしていきましょうか……?」

「熊じゃないんだから」



 ファイルを閉じて大きく息を吐く。

 落ち着け。大丈夫。

 これが仕事なんだ。なんたって危険手当が桁違いだった。普通に働くより何倍も稼げる。

 ここで頑張って可愛い子達にお腹いっぱいご飯を食べさせるぞ!



「……ユキっち、行ける?」



 俺の緊張を推し量っていたのか剱地先輩が声を掛けてくれる。なんのかんの言っても良い先輩なのだ。大きく頷いて大丈夫だと伝える。ヘルメットを勢いよく被った。



「もちろんです、行けます!」









 やっぱり行けないかも……。

 お化け屋敷のような廃墟を目にして俺はすでに半泣き状態だった。

 支給された社用スマホが折れそうなほど強く握り締める。涙目の自分が黒い鏡面に映って更に気が滅入った。

 建物の周囲は大木ばかりなせいか鬱蒼としていて、とてもここが都内とは思えない。そもそも庭付きの豪邸がここまで手付かずになっていることが異常事態なのだ。建物内から黒い鳥が出ていったと思ったら蝙蝠だった。泣きそう。



「はい、ここが『神夏磯かみがそ邸』。まず正面の写真撮って」

「はいぃ~……」

「泣くなよ……」

「泣いてませぇん……」

「半泣きじゃん……」

「先輩はホラーとか平気なんですかぁ……?」

「いや、ぜんぜん駄目。俺も幽霊出たら悲鳴あげて逃げるから」

「置いていかないでぇ……」

「だから泣くなってぇ……」

「俺達泣き虫コンビなんですね……」

「ちなみに局長は鉄の心臓でどんどん入ってくよ。平気で俺のこと置いてったから」

「想像通りすぎる……」

「あの人怖い物なんて何も無いんじゃない?」



 見てもないのに局長がさっさと廃墟の中に入って幽霊を焼き祓ってる様子が脳裏に浮かんでしまった。鋼メンタルでめちゃくちゃ仕事ができそう。

 一枚目は予想通りブレまくっていたのでちゃんと撮り直してから建物へ向かう。玄関の扉は施錠されていた。会社から預かっていた鍵で開錠し中に入っていく。

 ギシギシと廊下が鳴る。あまり急ぐと床が抜けたりすると言われたので武道家みたいな摺り足でそろりそろりと進む。

 中は意外にもそこまで荒れていなかった。屋根や窓がまだ生きていて風雨に晒されてないせいか。時折、埃とカビ臭さが鼻を突く。進むたびに写真を数枚撮っていく。先輩が懐中電灯で見取り図を見ながら進行方向を決めていった。

 玄関からすぐに入った部屋はとても広かった。リビングだろうか。

 きっと素晴らしい意匠だったろうシャンデリアは無残な姿を晒し、部屋のあちこちにガラスが散らばっている。よく見ると手作りのガラスだ。凝ってる。



「トイレと風呂、水場は出るから気をつけろよ」

「ひいぃ……」

「泣くなっての」

「なんで幽霊って水場に出るんでしょうね」

「湿気が好きなんじゃない?」

「なぜ……」

「幽霊は湿気が多くて機械と相性が悪い生き物って相場が決まってるの!」

「生きてはいないですよ……」

「し、死に物……?」

「いや、そういう話じゃなくて……」



 お守りのように両手で握り締めたスマホをしげしげと見つめ正常な動作をしているか確認しながら言葉を積み上げていく。

 それにしてもこのスマホやたら重い。動作も重いし重量もなかなかある。まあ、会社から支給されるスマホが最新式の薄い機体なわけないけれど。



「機械が駄目になるのは湿気のせいだと思うんですけど、だとしたら幽霊って湿気が本体なんですかね……」

「つーかそれを言うなら人間だって水分が六十パーセント占めるっていうじゃん」

「あ、なるほど……。いやいやいや、やっぱり違いますよ。物体と幽体だと」

「そうねえ。でもほら、生者も亡者も同じく水分が多いんだと思えば仲間意識も芽生え……」

「無理無理無理」



 先輩との会話がぽんぽんと進むから話に熱中しすぎてシャッターを切るのに失敗してしまう。しまったなあ、と思いながら再度シャッターボタンを押したがカメラが反応しない。



「あれ?」

「どしたん?」

「なんかカメラが……」

「そういうのいいから……」

「違いますって……俺、今そんな余裕ないですって……」

「やめてよ~……手汗で滑ってんじゃないの~……?」



 たしかにそうなのかもと思い、手の平をスーツで拭ってから再度試してみた。しかしどんなにシャッターボタンを押しても反応が無くてどんどん焦ってくる。ついさっきまで普通に動いていたのに。今は液晶画面がやけに冷たい。



「……駄目っぽいです……」

「マジかあ……近くにいんのかな……」

「どうします……?」

「たぶんこれ、このまま続行したらフラグってやつでしょ。帰ろ帰ろ」

「そんな適当な……」

「命あっての物種よ~?」

「言葉が重い~」

「あ。オマエ、景子さん離すなよ。俺達のこと守ってもらう命綱なんだからな。絶対に傍につけとけ」

「ちゃっかり自分も守られる気でいる……」



 しかし歴戦を潜り抜けてきた先輩に言われたとおり、景子さんには身を守っていてもらおう。

 景子さん、絶対に俺から離れないでね!

 心で念じているとほんのりと背中があたたかくなった。心配して俺の背に手を当てているんだろうか。やさしい。



「玄関に戻るか~」



 剱地先輩がそう言った瞬間、持っていた懐中電灯がバチンと消える。唯一頼りにしていた明かりが無くなり薄暗い家の中がほとんど見えなくなった。




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