Shall We Dance?
「あ!」
社会人休業も一か月経ったある日、私は推しのいる劇団のホームページを何となく開いた。
麗しの推しのご尊顔が拝謁できるそのページは、私の疲れた心の栄養だから。
一日一回は拝まなければ。
今日も推しが尊い、推ししか勝たん。
そんな気持ちでリンクをクリックしていると、とあるものが見えた。
それは……。
『え!? 振り付け解説動画が公式のチャンネルに上がったんですか!?』
「そうなんですよ! 早速チェックしてきたら、解説は何と!」
『なんと!?』
「我らが推しに『ダンス中はあの子の立ち位置目印にしてるんですよ~。あの子正確だから』って言わしめた後輩ちゃんですよ!」
『やーだー! ちょっと拝んできますー!!』
このステイホームのご時世、劇団の皆さんもその辺に凄く協力的でいらっしゃって。
逐次ファンのために劇団員のインタビュー動画や、過去の公演のダイジェスト映像をYouTubeなどなどで流してくれている。
本日私が「あ」っと声を上げたのは、公式チャンネルにすっ飛んでいったミュシャも私も好きな演目の総踊りと言われる大詰めの一曲。
アップテンポな曲に合わせて一糸乱れぬダンスを踊る劇団員たちは本当に素晴らしい。
その振り付けがなんと、公式から配信されたのだ。
画面から消えたミュシャを待つこと五分ほど。
そろそろだなと思っていたところに、パタパタと手を大きく振り回す彼女が映った。
『こ、これ! これは!』
「丁寧でしたよね。まるで、『踊ればいい!』とでも言いたげに」
『「死ねばいい!」の口調で言うのやめてください、劇団あるあるネタだけど!』
そう「死ねばいい!」って、とあるミュージカルでヒロインが辛い目に遭って、ここから逃避したいって泣いてるのに、そのヒロインに片思いした死神が言い放つセリフ。これを弄って何かしたいとか言われた時に「〇〇するがいい!」って言うのが劇団あるあるだ。
ミュシャも私も笑う。
しかし、本当にそれぐらい丁寧な解説があったのだ。
私とミュシャの目線が、画面越しに合う。
「あの、ミュシャさん」
『なんでしょう、若冲さん』
「これは、あれをすべき時では?」
『あれ、ですか?』
「そう、あれです。この総踊りやる時は舞台がいつもより暗くて、目印は後輩ちゃんなのにその後輩ちゃんの背中が見えなくて『あの子いないと立ち位置解んない~!』って推しが嘆いたあれ! あれを再現する時ですよ!」
『気持ちを推しに寄せていくんですね! それは寧ろやらなきゃいけないやつ!』
なかーま!
液晶じゃなくて直にあっていたならば、手を握り合って抱きしめ合っていただろう。これが同担の絆ってやつだ。
さて、じゃあ、やろう。
でもその前に踊るには場所がいるから、そのセッティングのために部屋のお片付けやら、スマホやら動画を自撮りする準備とか他にも色々やらなきゃいけない。
一時間後にその準備を終えて、再び通話する約束をして、いざ準備に取り掛かる。
部屋は別に床が見えない程汚れてるって訳じゃないけど、お互いに踊る動画を見るのであれば、部屋だって見せることになる訳なんだから綺麗にしとかないと。
そんな訳で一時間後、準備を終えてSNSに「行けますか?」とメッセージを送る。
すると即座にタブレットに通知が。タップ一つで画面にはミュシャが現れた。
『若冲さん、準備できました~』
「こっちもですよ」
『では早速動画流して行きますね~』
「はい!」
ぽちっと音もさせずに動画を再生すれば、パソコンの画面には可愛い後輩ちゃんのお顔が大写しになって、ちゃらりら~と「ダンス体験してみましょ~!」とテロップが流れる。
最初は後輩ちゃんが曲に合わせて「右腕を回す~。ここは歌いながら~」とか解説してくれるので、画面を見ながら同じように動いた。出だしはゆっくりだから楽勝。
「次は足を合わせていきます。まず右足を左足の斜め前にだして~」という声に合わせて、同じく次は左足を右足の前にだして、そしたら右足と左足がクロスするみたいになるから、右足を斜め後ろにひいて。
『んん? このステップ、なんかこんがらがる?』
「えぇっと、右足は右の後ろに引く……?」
液晶の中のミュシャの声に困惑が混じった。私の声にも同量の困惑が含まれている。
しかし動画の後輩ちゃんはとても良いお顔に爽やかな笑みを浮かべて「テンポアップしますよ~」なんて言うじゃん?
「あれ? 腕の回転が逆っぽい!?」
『え? あれ? 足を出す側反対だー!?』
「まって!? 早いよ!? 今のステップどこ!?」
『ターン・トゥ・ザ・レフ……って反対~!?』
「足、蹴りあげるっていわれても!? そんなホイホイ上がりませんけど!?」
解説はあくまで丁寧で、それに対してこっちは忠実に身体を動かしている筈だ。
しかし動画の後輩ちゃんは輝く笑顔なのに、対してこちらの女二人と言えば激しく肩が上下している。まあ、はい、運動不足ですね。解ります。
「はぁい! ラストサビですよ~! あともう少し頑張って~!」なんて明るい声に励まされて、手を上げ足を蹴りあげくるっと一回転して、客席なんてものはありはしないんだけど、びしっと腕を真っ直ぐにして指差しポーズを決めた。
気分はおこがましくもセンターで主役。まるで推しになったがごとく。
「や、やりましたよ! ミュシャさん!」
『や……やり遂げ、ました! 私達は踊り切りましたよ!』
ぜいぜいと激しく息を吐きながら、私達は液晶越しに同じ格好──座り込んだ。
やり遂げたという心地よい達成感と、適度……じゃなくて、文系アラサー女子としては過度な運動の後の爽快感に全身が包み込まれる。
座り込んだ床は冷たいフローリングだし、クーラーはガンガン。近場に用意していた冷えたお茶を一気に飲み干すと、改めて向こう側のミュシャに声をかけた。
「落ち着きました?」
『何とか』
「激しかったですね」
『全くですね。あんなの一時間ずっと踊ってるって』
「推ししか勝たん」
『全力で同意です』
ぷっとお互いに顔を見合わせる。
何と言うか、酷い格好だ。いっつも綺麗に髪を整えて、可愛い髪留めを使っているミュシャも、今ばかりは汗をかいても良いようなTシャツ姿で。髪だって激しく動いたからボサボサだ。
でもそれは私だって同じで、しわが寄ろうが汗をかこうが構わないように『病んでます』と書かれたTシャツに七分丈ジャージだし。因みに背中は『元気があれば何でもできると思うなよ!?』と書かれている。
「さあ、じゃあ、録った動画を交換しましょうか」
『はいはい』
というわけで、動画をとっていたスマホを操作して、録ったものをミュシャへと送る。代わりにミュシャから彼女の動画が送られてきたから、それをせーのでお互い再生。
『ぶふぁ!?』
「ぶふぉ!?」
二人同時に噴き出したあたりで、もう出来栄えはお察しで。
「ヤバ……ぐふっ! これはヤバい!」
『グフ……なんてものを寄越すんです、若冲さん!』
「ひぃ……腹筋に効く……あははははは! 腕が逆ぅ!」
『足! 足が、もつれてるぅー!! ひー! お腹痛い!』
阿鼻叫喚。
液晶越しにミュシャが笑い転げてるのが見えた。それは私も同じで、床に蹲ってひぃひぃ笑ってるのがばっちり見えているだろう。
バンバンと床を叩くこと暫く「あー」と呻きながら身体を起こすと、ミュシャも立ち直ったのか画面の向こうでゆっくりと座り直した。
「いや、しかし……」
『これはお見せできないしろものですね』
「封印ですね」
『そうしましょう』
「にしても推しは偉大ですね。改めて思いました」
『本当ですね。私達後輩ちゃんが見えていても、立ち位置解んないですもん』
「ねー」
けらけらと女二人の笑い声は、晩夏の部屋に満ちた。
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