【404】404号室の由来
草原の草丈は膝ほどで、風が渡るたびに一定の周期でうねった。
「オラァッ!」
ショウが細剣を振り抜くと、緑色の毛皮を持つ猪が光の粒に変わった。
視界の隅に表示が浮かび上がり、経験値の数字が加算されていく。
カーバンクルは、少し離れた岩場の上にいた。
「そっち行ったぞ!」
「わかってる」
「フゴォォォッ!」
角を下げた猪が斜面を駆け上がってくる。
カーバンクルは正面から迎え、突進の軌道の内側へ体を滑り込ませた。
鼻先に掌を添え、顎の下へ肘を通す。
猪の巨体がふわりと浮き、そのまま岩場の縁を越えて落ちていった。
ドスッという鈍い音がして、落下判定でHPバーが一息に消える。
「またそれかよ!?」
ショウが斜面を登ってきて、剣を鞘に収めながらため息をついた。
「あんたの素手、通常攻撃扱いで威力がゴミなんだっけか」
「うん。二十回叩いても死なない」
「それでいちいち落下判定を狙ってんのか。うーん、もうちょい威力を上げたいよなー」
カーバンクルは岩場の下を覗き込んだ。光の粒が薄く散っていく。
視界の隅で、レベル表示が7に変わっていた。
■
昼が過ぎて、二人は木陰に腰を下ろした。
ショウは水袋の中身を一口飲み、味の微妙な再現度に舌打ちをしてから、草の上に寝転がった。
空の描画は相変わらず異様に細かい。
雲の端が、ちゃんと不揃いにほつれている。
「なあ、前から聞きたかったんだけどよ」
「なに」
「あんた、ネオ・アルカディアでどうやってホテルと連携してたんだ?」
カーバンクルは膝を抱えたまま、返事をしなかった。
ショウは寝転がったまま、指を立てて数え始める。
「セントラルの高級ホテルから、サウスの日払い宿まで、404号室の噂は全区画に広がってた。しかも予約の時点で、フロントの連中が客を引き止めて覚悟を聞いてきやがる。
かなり統一された作法だ。どんな巨大な裏組織が噛んでるのかと思ってたぜ」
「組織はないよ」
「じゃあ何なんだよ? どうやって全域にまで営業したんだ?」
カーバンクルはしばらく草を見ていた。
それから、少しだけ首を傾げる。
「ほとんどのホテルには、404号室がある」
「そりゃそうだろ。四階の四番目だ」
「でも、あんまり優先的に提供されないんだよね」
ショウが体を起こした。
「……なんでだ?」
「四が二つ入ってるから。昔からの縁起の話。そもそもその部屋を作らないってホテルもある」
カーバンクルは指先で草を一本引き抜いた。
「部屋はあるのに、基本的に空いてる。から、それを使えないかと思った」
「そりゃわかったけどよ。で、ホテルの企業とか、現場の人間とか……明らかに404号室のアンタのこと、知ってたよな?」
「それはもう……サウス区の小さい宿から順番に、噂を広めていったんだよ」
「えぇ!?」
ショウは口を半分開けたまま固まった。
全都市規模の強固な連絡網が必要だと考えていたものが、まさかの人力営業だったらしい。
「で……噂が噂を読んで、色んな所で頼めるようになって……。それからは、あらゆるホテルの通信網から404号室への予約を通知するようにした」
「じゃあフロントの対応は」
「あれは、人による」
「人によるって、お前……」
「怖がって追い返す人もいる。面白がって鍵を渡す人もいる。何も知らない人もいる」
風が草を撫でていった。
ショウは額に手を当て、頭痛を堪えるような顔をした。
(ス……スマートじゃなさすぎる!)
都市中のホテルのシステムをハックしてログを監視する技術力がありながら、やることは弱者救済と自力の移動。
そんな行き当たりばったりで不安定な仕組みを、よく組織なしで回していたものだ。
一歩間違えればただの空振りか、罠にかかるだけのリスクだらけの手法だった。
(なんでこんな、無駄に手間の掛かる真似を……)
彼はそう思い、そして次に別のことを思った。
「そういや、もうひとつ聞いていいか」
ショウは膝を抱え直した。
「なんでホテルなんだ。技術があるなら、倉庫でも廃ビルでもいくらでもアジトにできただろ。連絡先だって、掲示板でも闇サイトでも作ればいい」
カーバンクルは草を落とした。
答えるまでに、いつもより一拍、長い間があった。
「……私、ホテル好きだから」
「は?」
「依頼がないときも、趣味で泊まってる」
ショウは思わず彼女の横顔を見た。
表情は変わらない。ただ、抱えた膝の上で指がわずかに動いていた。
「シーツが替えられてて、鍵がかかって、朝になったら出ていく。次の日には知らない人が使う」
彼女は草原の向こうを見ていた。
「誰の部屋でもない。私が入ってる間だけ、私の部屋になる」
ショウは何も言わなかった。
この女には家がない。生まれた場所はとうに封鎖されている。
そういう根無し草の生き方をしている人間にとって、「一晩ごとに更新される部屋」というのがどういう意味を持つのか――。
彼はそこまで考えて、思考を打ち切った。
これ以上進むと、余計なことを言いそうだった。
「……なるほどな」
「そう」
「じゃあ、こっちの世界だと厄介だぞ」
ショウは立ち上がり、照れ隠しのように乱暴に草を払った。
「宿屋はどの町にもある。だが、部屋に『番号』を振ってる宿がほとんどねえ。『奥の部屋』とか『二階の東』とか、そういう呼び方だ」
「……番号がいらない文化だから」
「そういうこった。欠番が存在しねえ世界で、欠番を拠点にする方法を考えなきゃならん。ログ監視だけで客が来る仕組みは、ここでは通用しねえぞ」
カーバンクルも立ち上がった。
草原の南東に、ラハト町へ続く街道の切れ目が細く伸びている。
「じゃあ、作らないとね」
「ホテルをか?」
「噂を」
■
その町の裏通りには、まだ日が差していなかった。
少年は湿った井戸の陰にうずくまり、膝を抱えていた。
左の頬がひどく腫れている。ステータスの装備欄はすべて空で、靴も片方しかない。
三日前に路地裏で囲まれ、「上納」と称して全部剥ぎ取られた。
視界の左上には、Lv.4の表示が力なく灯っている。
あと一度か二度死ねば、彼は削除待機列の底へ落ちるだろう。
「……っ!」
通りの向こうで、足音と男たちの笑い声が近づいてきた。
少年は息を殺し、井戸の陰で身を縮める。
「なあ、聞いたか。最近、妙なシステムチャットを見たやつがいるらしい」
「なんだよ」
「悪いことしてる奴を、消してくれる奴がいるんだとよ」
「……殺してくれる、じゃなくてか?」
「『消す』んだよ。殺された奴はリスポーンもしねぇ。この世界から、完全にいなくなるらしい」
少年の震えていた指が、ピタリと止まった。
「どこの誰かは分からねえ。ただ、呼ぶ方法だけが噂になってる」
「呼ぶ方法?」
「チャット欄に『404』って送るんだと。それだけ。宛先すら要らねえってよ」
「馬鹿らしい。誰が拾うんだよ、そんな宛先不明の文字列。怪談の類だろ」
男たちはゲラゲラと笑いながら、裏通りを遠ざかっていった。
「……っ」
少年は井戸の陰から動けなかった。
馬鹿らしい。男の言う通りだ。
四日前まで、彼は弟と二人でこの町にいた。
今は一人でいる。理不尽に奪われ、殴られ、訴える場所も、助けを聞いてくれる相手も、この世界のどこにもなかった。
運営は何もしてくれない。
「……けど」
少年は歯を食いしばり、震える指で視界の隅に全体チャット欄を呼び出した。
空白の入力欄が、暗い裏通りで薄く光っている。
彼はそこに三つの数字を打ち込み――そのまま長いあいだ、送信のボタンの前で指を止めていた。
もし、本当に誰かが見ていたら。
もし、本当に助けに来てくれるのなら。
――404。
404号室誕生秘話




