【404】始末屋の決意
天秤の紋章が、掌の上で解けて消えた。
視界の隅に、システムメッセージの新しい行が追加される。
――【執行人】の資格を取得しました。
――パッシブスキル【ジョブ偽装】が常時発動しています。
「偽装?」
カーバンクルは空中で指を走らせ、自分のステータス表示を呼び出した。
職業欄には、変わらず「ヒーラー」とだけ書かれている。
取得したはずの天秤の紋章は、どこを探しても出てこなかった。
「表示は据え置きでございます」
女が、微笑を崩さずに言った。
「執行人の存在は、サービス上公開されておりません。仕様を明かせば、運営の手が入っていることがプレイヤーに露呈しますので。他プレイヤーからは、あなたはただのレベル5のヒーラーとして観測されます」
「ずっと?」
「あなたが、ご自分の口で明かさない限りは」
白い空間が、端から剥がれ始めた。
足元の金色の格子が解け、何万本もの記録の柱が沈み、地平線が真っ白に畳まれていく。
「それでは……よいご滞在を」
■
ミズガルズ村の泉のほとりに、彼女は戻された。
足元の石畳はまだ濡れていた。
白い空間に転送されていたのは体感で十数分だったが、この場所ではおそらくわずかな時間だったのだろう。
ショウが振り返り、細剣の柄から警戒するように手を離す。
「おい、今の何だ。お前どっか行ってたぞ」
「システムコールが来て、そっちに行ってた」
「……運営からか?」
「そう」
ショウは不快そうに眉を寄せ、それから泉の水面へ視線を移した。
水は静かなままだった。波紋ひとつ立たない。
「……戻ってこねえな、あいつ」
「うん」
「あれから一時間だ。他の奴が三人復活したのは見た。けどあのクズだけが来ない」
「消えたから、かも」
カーバンクルは泉の縁に腰を下ろした。
村人のNPCが通りかかり、律儀に会釈をしていく。
彼女はそれを目で追ってから、淡々と話し始めた。
サーバーの容量限界。婚姻機能と育成カプセル。
四十年分のコンテンツ追加が食い潰した保持領域。
月単位で成長しない者から順に、死亡待機列でランダムに引かれ、削除される仕組み。
そして、自分が押し付けられた『執行人』の資格。
ショウは最後まで黙って聞いていた。
聞き終わってから、乱暴に自分の白い髪をかき上げる。
「ケッサクだな」
「そう?」
「四十年もかけて、要らねえ命の選び方を外注してるとはな。しかも判断基準を持ってねえって開き直りやがった」
彼は泉の石積みを蹴りつけようとして、やめた。
「……で、引き受けたのか」
「引き受けた。都合がよすぎるのは、わかってる」
「だろうな」
「でも、これで仕事はやりやすくなる」
ショウは何か言いかけて口を閉じた。
ボルグのようなクズが生き残り、無垢な子供が消される。
この四十年、そんな理不尽が何万回繰り返されてきた。
それを止めるのは、確かにカーバンクルの使命とも合致するのかもしれない。
■
日が傾き始めていた。
カーバンクルは村の掲示板の前に立ち、空中に表示させた地図を指でなぞっていた。
「で、ええと……ラハト町だったよね」
南東の光点。ラハト町。
救難信号の文面を四日かけて解析したときから、そこだけが彼らの向かうべき唯一の座標だった。
「行こう。あっちで呼んでる人がいる」
「ああ」
「それと」
彼女は指を止め、フードの縁を引いた。
「ここでも、いつもの仕事をする」
「……あ?」
「ここは外と同じ。奪われて、追われて、抵抗できなくて、誰にも声が届かない」
ショウは一瞬、返事に詰まった。
それから大きく息を吐き、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「ったく。あんた、依頼人がいねえと死ぬ病気なのか?」
「かもね」
「……俺もやるのか?」
「当然でしょ?」
首を傾げたカーバンクルに、ショウは喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んだ。
あの女が、ドームの外の、名前も知らないVR世界の他人のために「いつもの始末屋の仕事をする」と言った。
そして当然のように、彼を頭数に入れた。
顔には出さなかった。出したら負けだと思った。
「……なら、この世界で開業する前に、先にやることが二つある」
「なに?」
「一つ、レベル上げだ」
ショウは自分のステータス画面を開き、指で弾いた。
「ボルグとかいうクズを潰して、俺たちはレベル五になった。悪くねえ上がり方だが、レベルキャップは三桁らしい。さっき村の連中に聞いた」
「三桁……」
「あんたの現実の戦闘技術は、たしかにシステム上の数値じゃ止められねえ。それはさっき証明された。だが、それは相手が『物理攻撃しかしてこねえ場合』だ」
彼は細剣を抜き、切っ先で空中に直線を引いた。
「あのクズは大剣しか振らなかった。だからあんたは全部避け切れた。だが、魔法職はどうだ。この手のRPGシステムには、絶対に外れねえ攻撃が必ずある」
「……外れない?」
「必中判定だ。AGIだの回避の数値を参照しねえ攻撃。あんたがどんな超人的な動きで躱そうが、システムが『当たった』と決めたら、魔法がホーミングして絶対に当たる」
カーバンクルは、それを聞いてしばらく黙っていた。
彼女の脳内には百人以上の戦闘データがある。
だが、そのどれ一つとして、「避ける以前に結果が決まっている攻撃」などという理不尽なものを知らなかった。
「そんなの、どうやって避けるの?」
「避けねえ。食らって、耐えるしかないんだよ。だからHPとレベルがいる」
ショウは剣を鞘に戻した。
「二つ目だ。こっちの方が厄介だぞ」
「なに」
「404号室を作る」
カーバンクルが顔を上げた。
「この世界の誰も、あんたを知らねえ。スラムの始末屋の噂も、ホテルの都市伝説もまるごと存在してねえんだ。理不尽に潰されてる奴が今この瞬間にも山ほどいるだろうが、そいつらには訴える先がない」
「……そっか」
「リタは運がよかっただけだ。たまたま泉のそばにあんたがいた。あれを仕組みにしねえと、あんたはこの世界で永久に『通りすがりの善人』止まりだぜ」
風が村の木戸を鳴らした。
カーバンクルはフードを目深に被り、掲示板の羊皮紙をもう一度見上げた。
依頼の張り紙が数枚。薬草の採取。迷い牛の捜索。
どれも小さくささやかだが、「誰かが誰かに助けを頼む」ための形式だけは、この世界にも確かに存在していた。
「……ホテルはある?」
「宿屋ならどこの町にもあるだろうけどな……」
「むむ……」
悩むカーバンクルを見て、ショウはふっと笑った。
システム的な誇張がされているのか、カーバンクルの表情はいつもよりハッキリして見えた。
「ま、とにかくまずはレベルだ。今度こそ人間じゃないやつを狩りに行こうぜ」
次回は誰もが気にしていなかったあの謎を話します




