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【断罪】環境ダメージ

「どうした!? 来いよ! あぁ!?」


 カーバンクルは、挑発する男を見ていなかった。


 濡れた石畳を無言で横切り、少女の傍らに膝をつく。

 ボルグの腕から抜け落ちてむせ返る体を支え、背中に手を添えた。


 肩にかけていた布を外し、少女の顔と髪の汚れを拭う。

 手つきは丁寧で、迷いがなかった。


「立てる?」

「……っ、はい……」

「痛いところは」

「……ない、です……」


 少女は自分の言葉に混乱したように、途中で口をつぐんだ。

 HPは減っていない。数値の上では何も起きていない。痛みだってない。


 それなのに、痛くて、息ができなくて、惨めで、涙が止まらない。


「大丈夫。数字が減らなくても、痛いものは痛い。たぶんね」


 カーバンクルは少女の背中をゆっくり撫でた。

 泉の水音だけが続く。ボルグはその光景を、拍子抜けしたような顔で眺めていた。


「何があったか、話せる?」


 少女は途切れがちに語った。

 親が熱を出したこと。隣町でしか手に入らない薬があること。


 二人で街道に出たこと。三日前の下り坂で、大剣を担いだ男に呼び止められたこと。

 弟が腕を折られ、そして殺されたこと。泉でいくら待っても、リスポーンしなかったこと。


「あいつが……あの人が、笑いながら……」


 少女はそこで言葉を切り、カーバンクルのローブの裾を強く掴んだ。

 顔を上げる。目の縁が真っ赤になっていた。


「お願い、します……っ! あいつを、やっつけてください……!」

「……わかった。あなたの依頼を受けた」


 カーバンクルは立ち上がった。


 振り返る。赤い瞳が、初めてボルグを正面から捉えた。

 男は肩を揺らして笑っている。腰に手を当て、あごをしゃくってわざとらしく挑発してみせる。


「受けた、だってよ! この村の中でどうやってやるつもりなんだ!」


 カーバンクルは無言で距離を詰めた。

 拳が男の顔面に入る。乾いた音が鳴り、ボルグの頭が後ろへ流れた。


「ぐっ……!?」


 だが、それだけだった。


 HPバーは一ミリも動かない。衝撃も、街道で味わったものとは比べ物にならなかった。


 鼻の奥が少し痺れる程度で、痛みらしい痛みがない。

 セーフティエリアの強力な補正が、対人の物理接触そのものを丸め込んでいた。


 ボルグは自分の鼻を触り、そして噴き出した。


「ぶ、ははははっ! 効かねえ! 効かねえよ、化け物!」

「そう」

「外じゃどうだか知らねえが、ここじゃお前はただのレベル5のガキだ! 殴りたきゃ一生殴ってろよ!」


 男は両手を広げ、無防備に胸を突き出してみせた。

 カーバンクルはその姿勢をしばらく眺め、それから小さく首を傾げた。


「ねえ、なにか勘違いしてない?」

「あ?」

「街中にいる限り攻撃スキルが使えないのは、あなたも同じ」


 ボルグの笑いが、半端なところで止まった。


「――これからあなたは、私に抵抗もできずに殺される」


 男が言い返すより早く、腕を取られた。


「なっ!?」


 支点が変わる。踏ん張るべき足の位置が消え、体が浮く。

 三日前と同じ感覚だった。だがボルグの頭が「同じだ」と認識した時には、既に天地が入れ替わっていた。


 背中から石畳に叩きつけられる。


「ぐ、あッ――!?」


 痛みが走った。

 殴られた時とは違う。芯まで届く衝撃。そして視界の端で、HPバーが確かに数ミリ削れていた。


(な、んで……ッ)


 答えは単純だった。

 この世界において、床や壁への激突は『落下判定』として処理される。


 対人攻撃ではない環境ダメージだ。

 だからセーフティエリアのシステムは、それを弾かない。


 ボルグは石畳の上で身をよじった。

 だが、削れたHPバーは数秒のうちにスーッと元へ戻っていく。

 村の内側に働く自動回復――リジェネの補正だった。


「はっ……はは……」


 男は肘をついて上体を起こし、口の端を歪めた。


「なるほどなァ、頭いいな! でも見ろよ、戻ってんだよ! この中じゃいくら削っても自動で戻るんだ! 一晩中投げてろよ、それこそ日が暮れるまでなァ!」

「……バーカ」


 声が降ってきた。

 振り返ると、フェンサーの男が腕を組み、冷ややかな目で見下ろしていた。


「な、なんだテメェ……?」

「お前さ、少しは頭使えよ。一回のダメージがリジェネを上回らねえから生きてるだけだろ。なら、回復が追いつかねえ一撃を叩き込めば、お前は死ぬ」

「はっ、馬鹿はお前だろ! そんな威力の落下ダメージを、この平らな石畳でどうやって出すってんだよ!」


 ショウは鼻で笑い、顎でカーバンクルの方を示した。


「生憎だが……あいつが殺そうとして、殺せなかった相手なんていないんだぜ」


 ボルグが視線を戻す。

 カーバンクルは男を見ていなかった。視線は下、石畳へ。次に泉の縁の切石へ。それから、少し離れた地面へ。


 三日前の街道で自分が地面へ叩きつけられた時の感覚と、たった今この男を落とした感覚。

 ダメージの減り方が違う。石畳は平らで、街道の砂利は尖っていた。


(落下ダメージの判定は……当たる面の形状と面積で変わる?)


 彼女は歩き出した。

 泉のそばに、ボルグが取り落とした大剣が転がっている。


 その柄を拾い上げ、切っ先を上に向けて、石畳の割れ目へ突き立てた。


 装備していない、ただの物体としての剣。

 ゆえに攻撃判定は発生しない。だが、そこにあるのは紛れもなく「極端に尖った、致死的な形状の地面」だ。


「お……い」


 ボルグの笑いが消えた。

 彼は這って後ずさろうとした。手が滑り、水たまりを掻いただけだった。


「おい、待て、待てよ! それは――」


 髪を掴まれた。

 体が引き起こされ、また支点が変わる。


「やめろ、待っ――」


 再び、天地が入れ替わり――落ちた。


 剣先が背中から入り、胸を突き抜けた。

 落下判定。対人攻撃ではない。だから村のシステムは、それを一切止めなかった。


 HPバーが、一息に消し飛んだ。


「あ――」


 ボルグの口から、それだけが漏れた。

 リジェネが働く暇などなかった。自動回復に必要な数秒のインターバルより、彼の命の残量の方が少なかったのだ。


 輪郭が砕け、光になって散っていく。

 泉の水面が揺れ、村人のNPCが律儀に会釈をしながら横を通り過ぎていった。


 カーバンクルは剣を石畳から抜き、放り捨てた。

 振り返る。少女が両手で口を押さえたまま、立ち尽くしていた。


「終わったよ」

舐めてもらっては困る

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