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【断罪】クズは死んでも治らない

 治った。

 その事実が、ボルグの頭に別の意味を送り込んだ。


 HPは満タンだ。四肢は動く。視界もクリアだ。

 相手はレベル一桁のヒーラー。しかも、さっき自分の杖を捨てて素手だ。


 スキルが当たれば一撃で終わる。

 当たりさえ、すれば。


(一発だ。俺のレベルなら、一発掠らせるだけであのガキは蒸発する!)


 彼は血塗れの口元を歪め、転がった大剣に手を伸ばした。指が柄を掴む。


 立ち上がりざま、下から掬い上げるように刃を振った。

 フェイントも何もない、ただ殺意だけを込めた全力の一振り。


「死ねェッ!」


 が――手応えはなかった。

 子供はその軌道の内側――信じられないほど深くに滑り込んでいた。


 ドスッ。

 硬い肘が、ボルグの鳩尾に埋まった。


「ぐぼっ……!?」


 鎧の隙間を正確に通り、内臓が裏返るような感覚が突き上げる。

 大剣が手から落ち、ボルグは前のめりに崩れた。


 落ちていく彼の顔面を、今度は鋭い膝蹴りが迎えに来た。


「ぎゃっ……!」


 鼻が二度目に折れた。

 仰向けに引き倒され、腕を踏みつけられる。


「あ、ぎ……!」


 無造作に指を掴まれ、一本ずつ、逆に曲げられていく。

 バキッ、メキョッという生々しい音が頭蓋骨に響く。


「あああああッ! やめ、あ、あああァァ!」


 彼は自分の悲鳴を遠くで聞いていた。

 喉が焼けるまで叫んで、暴れて、抵抗しようとした。


 だが蹴りで膝を砕かれ、関節を外され、ただ嬲られるだけの肉塊と化していく。


 視界が赤く沈み、痛みに耐えきれず意識が抜けかけたところで、また温かい光が降ってきた。


「――ヒール」

「あ……ぁ……?」


 全部戻ってくる。

 折れた指も、潰れた鼻も、砕けた膝も、失いかけた意識も。

 激痛の記憶だけを脳髄に刻み込んだまま、体だけが新品になる。


(バケモノだ。こいつ、プレイヤーじゃない。悪魔だ……!)


 三度目は立ち上がることすらできなかった。

 それでもボルグは腕を伸ばした。這ってでも逃げようとしたのだ。


 だが、冷酷な踵が彼の背骨を踏む。

 顔を石畳に押し付けられ、後頭部を掴まれて、何度も何度も地面に叩きつけられた。


「や、め……」

「ふむ……素手の攻撃より、床に叩きつけたほうがダメージが出るね。武器扱いなのかな……それとも、落下ダメージみたいなもの?」

「後者だと思うぜ。街でも、高いとこから落ちたらダメージ入ったしな。床はダメージトリガーなんだろ」

(こ、こい、つら、なんだ――!?)


 自分におぞましい拷問を加えながら、まるでただゲームを攻略しているかのように二人は平然としていた。


 四度目のヒールが降ってきたとき、彼は完全に心を折られ泣きじゃくっていた。


「もう、もういい、やめてくれ! やめてください!」


 ボルグは石畳に額を擦り付けた。

 鼻水と涙が砂利に混じる。彼が何十人もの初心者にさせてきた、無様な命乞いの姿勢だった。


「悪かった、俺が悪かったよ! 金なら全部やる! 装備も! だから、だから殺さないで……!」

「うるさい」


 髪を掴まれ、顔を無理やり上げさせられた。


 赤い瞳が間近にあった。怒りも、サディズムも、感情らしいものが何ひとつ入っていない目だった。


 倒木の方では、フェンサーの男がようやく体を起こし、退屈そうにあくびをしながらこちらへ歩いてくる。


「そろそろいいだろ。こいつにゲームのこと聞こうぜ」

「そうだね。……聞きたいことがある。答えたら終わりにする」

「な、なんでも! なんでも答える! だから……」

「PK――プレイヤーが殺されると、どうなるの」


 ボルグは唾を飲んだ。恐怖で喉が震えて、うまく言葉が出なかった。


「……れ、レベルが、下がる。負けた側は五つくらい。町か村の、一番最近近くに来た『復活の泉』で復活する。装備は残るけど、耐久が削れて……殺した側は、経験値が入る。レベルの高い相手を殺せば、多く……」

「復活しない人間はいる?」


 ボルグの体が、掴まれたままビクンと強張った。


「……い、る」

「どういう人が復活できなくなるの?」

「わ、わからねえ。本当にわからねえんだ! 俺だって何回も死んでるし、俺が殺したやつのほとんどは泉に戻ってる。でも……たまに、戻らねえ」


 風が街道の葉を鳴らした。

 カーバンクルは彼を見下ろしたまま、瞬きひとつせず続きを待っている。


「弱いやつほど、戻らねえ気がする。レベルが低いやつ。あと、何回も死んでるやつ。心が折れたのか、システムのエラーなのか……復活に失敗して、同じやつが二度と見つからなくなるんだ」

「殺した側は、何かペナルティとかある?」

「何も。何もねえよ」


 ボルグの声が、そこで少し掠れた。


「罰も、記録も、何もねえ。経験値が入るだけだ。だからみんなやるんだ。ギルドが下の階層で人を刈って、上に持っていく。運営は……何も言わない」

「でも、町の中ではスキルが使えなかったよね」

「セーフティエリアだ。町と村の内側は、スキルの発動がシステムに弾かれる。攻撃系も、回復系も。だからみんな、外でキルするんだ」


 カーバンクルの指が、わずかに力を緩めた。


「ふーん。町の中でPKはできる?」

「で、できるわけがない……スキルが使えないんだからな。物理攻撃も、当たってもダメージ判定は入らない」


 その言葉を聞いて、カーバンクルはなにか考え込むような素振りを見せた。


「でも、ショウ。落下ダメージとかは受けたんだよね?」

「あぁ。でもすぐ回復したぜ」

「そりゃ入るが……町中じゃ強力なリジェネが入ってる。街の中にさえいりゃ、PKからは身を守れる……」


 カーバンクルはしばらく黙っていた。

 ショウがすぐ横まで来て、腕を組んで舌打ちをする。ボルグは自分の早鐘のような心臓の音を聞いていた。


(よし。こいつらはルールを気にしてる。これ以上はやらない。俺は助かる……!)

「わかった。ありがとう」


 髪から手が離れた。

 ボルグは全身の力が抜けるのを感じた。


 助かった。この化け物はたぶん約束を守る。

 彼は震える手で地面を押し、逃げるように立ち上がろうとした。


 だが、彼の喉元に、細い指がスッと差し込まれた。


「え」


 グシャリ。

 喉笛を正確に潰された。


 視界が白く弾けた。輪郭が砕け、街道の空気に溶けていく感覚。

 ボルグはそれを過去に何十回も味わってきた。


(殺され、た……? だが、いい。これで逃げられる――)


 恐怖よりも先に、泉へ転送されることへの安堵が来た。



 ミズガルズ村の復活の泉から、ボルグは蘇った。


「――っはァッ!!」


 ボルグは膝をつき、両手で顔を覆った。

 息が荒い。指が痙攣している。


 視界の左上でLv.16の表示が点滅していた。一回の死で、レベルを五つ持っていかれた。


 だが生きている。そしてセーフティエリアだ。

 ここなら誰も手を出せない。あの化け物も町の中ではスキルを撃てないし、ダメージも与えられない。


 彼は震えながら笑った。

 声にならない、歪んだ笑いだった。


「ひひ……終わった、終わった終わった終わった……。クソガキが、二度とあんな場所に行くかよ……!」


 泉の縁に手をかけ、よろめきながら立ち上がる。

 その視界の端に、動くものが映った。


「あ――!?」


 少女が立っていた。


 村の初期支給品である安物の布上着。継ぎの当たった靴。


 その顔と装備に見覚えがあった。ボルグは記憶を辿るまでもなく思い出した。

 三日前だ。街道の下り坂。泣き叫ぶ姉と、折れた腕を抱えて這っていた弟。


「あん、た……」


 少女の唇が震えた。

 言葉より先に、足が出た。彼女は駆け寄り、ボルグの胸に両手を叩きつける。


「返して! アレンを返して! あの子、泉に戻ってこなかった! 三日待った、ずっとここで待ってたのに――!」


 小さな拳が、何度もボルグの胸当てを打った。


 衝撃はほとんど伝わらない。ダメージ判定が弾かれている以前に、ステータス差がありすぎる。

 HPバーは一ミリも動かなかった。レベル16と、レベル1の本来の差だった。


「返してよ! なんでアンタみたいなクズがリスポーンできて、あの子は……!?」


 ボルグは泣き縋る彼女を見下ろしていた。


「……クッ」


 そして、鼻で笑った。


 自分でも意外なほど自然に、その音は出た。

 三日前と同じだ。何も変わっていない。

 この村の中には、彼より弱い人間が掃いて捨てるほどいる。


 冷え切っていた腹の底に、温かい万能感が戻ってくるのを感じながら、彼は右足を上げた。


 ドゴッ。

 少女の腹に、容赦なく靴底がめり込んだ。


「きゃはっ……!」


 少女は水たまりに転がった。

 濡れた石畳の上で腹を押さえて丸くなる。


 セーフティエリアの仕様上、HPは減っていない。骨も折れておらず、痛みもほとんどなかった。

 ただ惨めで、屈辱的なだけの一撃だった。


「ぎゃはははっ! あー……ハハハハハッ!!」


 ボルグは声を上げて笑った。

 恐怖に歪んでいた顔に、ひどく醜い悦びの色が戻ってくる。


「なあ、聞いてくれよ。俺は今さっきな、正真正銘の化け物にボコされてきたところなんだ。もう死ぬかと思った。泣いて謝ったよ。三十過ぎた男が、地面に頭こすりつけて泣いたんだぜ?」


 彼はしゃがみ込み、転がった少女の髪を乱暴に掴み上げて顔を覗き込んだ。


 村人のNPCが二人、律儀に会釈をしながら横を通り過ぎていく。

 誰も止めなかった。この世界のNPCは、プレイヤー間の暴力には一切干渉しない。


「そしたら、お前がいた」

「は、なして……っ」

「なあ、わかるか? お前がいてくれて本当に助かったんだよ、俺は」

「なに言って……」


 少女の目から、恐怖と悔しさの涙がこぼれた。

 それを見て、ボルグの喉がまた快楽に鳴った。


(そうだ。俺より下がいる。俺より弱くて、踏みにじれる奴がいる!)


 弟の名を呼ぶ声。折れた腕を抱えて姉の方へ這っていった背中。

 あの時と同じものが、今ここにある。


 取り返せる。あの赤い目の化け物に奪われたプライドは、こいつを下に落として踏めば取り返せる。


「弟は戻ってこねえよ。運が悪かったな。諦めろ」

「……っ、う、あぁ……」

「ひゃははは! 泣け泣け、もっと泣けよ! それを見てると気分が良くなるぜ!!」


 バシャッ!

 髪を掴んだまま、彼は少女の顔を水たまりに乱暴に押し込んだ。


 しばらくそうしてから、飽きたように手を退ける。

 少女は咳き込んで汚水を吐き、身動きが取れないまま石畳に爪を立てた。


 その時、村のゲートが開く重い音がした。


「!」


 ボルグは顔を上げた。

 街道の方から、二つの影が歩いてくる。

 革の胸当てのフェンサーと、白と淡い青のローブ。


「近くにリスポーンとか言ってたからな。多分この村だろ」

「……みたいだね」


 一瞬、全身の血が凍りかけて――そして、彼は思い出した。


 ここは村の内側だ。


 ボルグは大きく息を吐いた。

 それから、両手を広げて大声で笑い始めた。


「ははっ、ははははっ! 来た! 来たぞ! 来ちまったよおい!」


 彼は少女の襟を掴んで引きずり起こし、盾にするように前へ押し出した。


 濡れた石畳の上に、二つの影が立ち止まる。

 フードの下で、赤い瞳が無表情にこちらを見ていた。


「何しに追ってきやがった、ヒーラーのガキ! さっき俺が丁寧に教えてやっただろ! この中じゃスキルはシステムに弾かれる! 物理攻撃も回復も、何もかも無効なんだよ!」


 返事はなかった。カーバンクルはただ静かに立っている。

 少女がボルグの腕の中で必死に身をよじる。


「お前のそのふざけた格闘術も、町中なら痛くねぇ。お前の連れの剣技も通らねえ。ここは絶対の安全地帯なんだよ! わかるか、化け物!」


 ボルグは笑い続けた。

 ここでは自分が強い。ここでは自分が絶対的な上だ。


 それだけが、四年分の敗北と今日の絶望の代わりに残った、彼にとっての唯一の真実だった。


「俺はもう、ここから一歩も出ねえ! 一生この村の中で、こういうゴミ共をイジメて暮らしてやる! お前は俺に絶対手出しできねぇんだよ!! ぎゃははははははっ!!」

死んでも治らないやつはいる

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