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【断罪】殴りヒーラー

 その日の狩り場も、悪くない場所だった。


 はじまりの村こと「ミズガルズ村』から東へ延びる街道の、ちょうど視界が切れる曲がり角。


 倒木を跨いだ先は下り坂になっていて、村へ引き返そうとしても足がもつれる。

 ボルグが選び抜いた、獲物を逃がさないための地形だった。


 朝の光が葉の隙間から落ちてくる。

 彼は倒木に腰かけ、鼻歌まじりに通行人を待った。


(さあ、今日の獲物は誰だ。前みたいに、よく泣いて喚く奴だといいがな)


 やがて、二人分の足音と声が近づいてきた。


「いてっ、いてて! 何すんだ!」

「ごめん、ちょっと痛覚の確認。HPはどう?」

「……つねったくらいじゃHPは減らないみたいだな。にしても、やる前に言えよ!」

「次からは気をつける……」


 先を歩いているのは若い男だ。革の胸当てに細剣、装備は村の初期支給品。

 歩き方に隙はないが、重心の置き方がゲームのそれではない。


(実戦を知らない素人の歩き方だな。にしても、マジの新入りか……? この世界に新人なんて入ってくるとはな)


 閉ざされたこの世界に新規プレイヤーが現れるということの意味を、彼は深く考えていなかった。


 ボルグは内心で鼻で笑う。

 その後ろに、小柄な影がひとつ。


(……子供か)


 白と淡い青のローブ。

 フードから水色の髪がこぼれ、身の丈ほどの長杖を引きずるように持っている。


 ヒーラー。それも、どう見てもレベル一桁のひよっこだ。

 ボルグは口角を吊り上げ、大剣を担いで立ち上がった。


「よお。どこ行くんだ、お前ら」



 フェンサーの男が足を止めた。

 だが、子供の方は止まらない。男の横をすり抜けて無言で数歩前に出る。


 倒木の手前で立ち止まり、フードの下からボルグを見上げた。

 赤い瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。


「……あ? なんだおっさん。道案内でもしてくれんのか?」


 フェンサーの男が、面倒くさそうに首を鳴らして答える。剣に手をかける素振りすらない。


 ボルグは舌打ちをして、大剣の切っ先を地面に擦った。

 石畳が削れる嫌な音が街道に響く。この音を聞かせるだけで泣き出す雑魚を、彼は何十人も見てきた。


「関係あるんだよ。ここは俺の狩り場でな。通行料を払ってもらおうか。お前らのレベルと、命でな」

「なんだ……何かと思ったらお前、初狩りか? うわダッセェ、こんな世界にまでいんのかよ!」


「……黙れ。まずは前衛のお前からだ。抜けよ」

「悪ぃな。俺、前に出る気ねえんだわ」


 フェンサーは細剣の柄から手を離し、倒木に寄りかかった。

 腕を組み、あくびを噛み殺すような顔でこちらを見ている。まるで見物客だった。


「……あ?」

「人間相手はそっちの子に任せてあるんだよ」


 ボルグの視界の端で、Lv.21の表示が鈍く光った。

 対する相手はヒーラー。間違いなくレベルは1。


(舐めやがって。初心者を狩り始めてから俺を舐めた奴はひとりもいなかった。全員が泣いて命乞いして、地面を這いつくばったんだ!)


 子供が一歩前に出た。

 そして、自分の身の丈ほどもある杖を――そのへんの草むらへ、無造作に放り捨てた。


「は? 杖……捨ててどうすんだ、おい」

「重いから」

「……つくづくいい度胸だな、ガキども。魔法も使えねえ後衛が、どうやって俺と戦おうってんだよ!」

「わからない? 素手で戦うんだよ」


 子供の声は平坦だった。挑発の抑揚すらついていない。

 それが、ボルグの頭の中で何かを焼き切った。


「――舐めるなァッ! ぶっ殺してやる!!」


 大剣が唸った。

 レベル21の膂力に装備補正が乗る。初心者のHPなど、掠っただけで蒸発する必殺の一撃だった。


(死ね!)


 だが。


 ――当たらなかった。


 子供の首があった位置を刃が通過する。空気だけが裂けた。


(なっ……避けた!? いや、まぐれだ!)


 ボルグは反射的に斬り返す。横薙ぎ。逃げ場のない高さ。

 子供はその場でスッと膝を折り、刃の下を完璧なタイミングで潜った。髪の毛一本すら揺れなかった。


「なっ、ふざけ……!」


 ――この世界の判定は単純だ。

 当たればダメージを受ける。しかし当たらなければ、そもそも何も起こらない。


「ああああああッ!!」


 三撃目。

 ボルグは怒りに任せて大剣を頭上に振りかぶり、全体重を乗せて叩きつけた。


 ドォン、と石畳が砕け、破片が飛び散る。

 土煙の中で刃が地面に深く食い込み、抜けない。


「やったか……!」

「遅すぎ」

 子供は、その土煙の中に立っていた。大剣の柄のすぐ隣に。

 次の瞬間、ボルグの視界が白く弾けた。


「ぐ、あ……ッ!?」


 目だ。細い指が二本、正確にボルグの眼球を突き刺していた。


「痛でっ……!? ぐぅ、っ、クソ!」


 システム上のダメージはほとんど入っていない。HPバーはわずか数ミリ減っただけだ。


 だが、ボルグの目は何も映さなくなっていた。

 四十年をかけて限界まで作り込まれたこのVR世界は、眼球を潰された人間の視覚の喪失と激痛を、律儀に現実と同じように再現していたのだ。


「うああああっ! 目が、目がァァァッ!」

「見えないと困る?」


 声は左から聞こえた。

 ボルグは大剣を手放し、闇雲に腕を振り回す。指が空を掴む。

 その手首を、小さな手がふわりと取った。


(なんだこいつ、なんで当たらな――ッ!?)


 踏ん張ろうとした足が強制的に地面から離され、腰が浮き、天地が入れ替わる。


 ドゴォッ、と背中から石畳に叩きつけられた。

 肺の中の空気が全部押し出され、悲鳴すら出なかった。


「か、はっ……!!」


 息が吸えない。

 横隔膜が痙攣し、口だけが魚のように開閉する。


 HPはまだ八割も残っている。それなのに、指一本動かせなかった。


(おかしい……システム補正の動きじゃない。こいつ、プレイヤー自身が……バケモノか……っ!?)


 ガンッ、と顎を蹴り上げられた。

 脳が激しく揺れ、視界が戻りかけていた片目がまた白く濁る。


「あァッ……!」


 膝の裏に踵が突き刺さり、立ち上がりかけた体が無様に崩れる。

 倒れた先で腕を取られ、肘が極まり、肩の関節がミシリと嫌な音を立てて伸びた。


「ぎ、いッ……! や、やめ……やめてくれ……!」

「あなた、さっき何て言った? 通行料を払え、だっけ」


 冷たい手がボルグの髪を掴み上げた。

 地面に押しつけられた頬に、砂利がめり込む。


「ぐェッ……!」


 ボルグの視界の隅で、フェンサーの男が倒木にもたれたまま、まだ退屈そうにこちらを見物していた。


 それから何度殴られたのか、ボルグには数えられなかった。


 鼻が折れ、歯が二本欠け、耳の中でキーンという高い音が鳴り続けている。

 HPバーは、じわじわと赤へ沈んでいった。


(ふ、ざけ……なん、なにが……起きて……!)


 一撃ごとの減少量は雀の涙だ。

 レベル1の素手攻撃など、本来なら気にする必要もない。


 だが雀の涙でも、数が積もれば人は死ぬ。

 意識が薄れ、体の輪郭が曖昧になっていく。


(ああ、ヤベェ、死ぬ。またレベルが下がる。今まで初心者を刈って維持してきた俺のレベルが、今度こそ十台に――!)


 絶望に目を閉じた、その時。

 ボルグの体が、温かく淡い光に包まれた。


「――ヒール」


 ボキリ、と折れた鼻が元の位置に戻り、砕けた歯茎の痛みがスーッと引いていく。


「……!?」


 赤に沈んでいたHPバーが緩やかに、そして確実に満ちていった。

 呼吸が戻る。潰れていた片目に、再び光が差し込む。


 ボルグは石畳に転がったまま、自分の手を見た。

 傷ひとつない。全回復している。


「……え?」

「傷、ちゃんと治るんだね。テスト成功」


 カーバンクルは冷たい赤い瞳で見下ろしながら、小さく首を傾げた。


「それじゃあ――第二ラウンド、始めようか」

これがヒールワークだッ

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