【依頼人】初狩りプレイヤー
街道の脇に、腐りかけた木箱を積んだだけの小屋がある。
ボルグはその日陰に椅子を出し、朝から座っていた。
膝の上には缶詰めの干し肉、傍らには使い込まれた大剣。
刃はところどころ欠けていたが、研ぎに出す気はなかった。
(どうせ斬るのは、反撃もできない柔らかい肉だけだからな)
視界の左上には、彼の情報が常に表示されている。
――Lv.21。
三ヶ月前も同じ数字だった。半年前も同じだった。
彼はそれを見ないようにしながら、干し肉を噛み千切る。
(今日も誰か来るはずだ。身の程を知らない馬鹿がな……)
街道の先、はじまりの村の木戸が朝の光を受けて開く。
誰かが出てくれば分かる。ここは、そういう場所として選ばれた土地だった。
彼はおよそ一年か、それ以上の期間ずっと、初心者狩りを楽しんでいた。
■
「ボルグさん、お疲れ様です! また勝ったんですね!」
「おぉ、当然だ!」
かつて、ボルグは前線にいた。
四年前――いや、この世界の暦で言えばもっと長い。
彼は〈蒼銀の翼〉という中堅ギルドの一員で装備を揃え、狩り場を回し、次の大陸への突破口を探していた。
(俺たちは行ける。このゲームでなら、上に行ける!)
地位が欲しかった。名前が欲しかった。
ラハトの闘技場に自分の名が刻まれ、通りを歩けば道を空けられる、そういう人生が欲しかった。
「――クソッ! なんだよこのクソボス……ぐっ!!」
「リーダー! ……くっ、撤退だ! 撤退しろぉっ! ぎゃああっ!?」
――最初の壁は、『峠の巨獣バルファーク』だった。
六人のパーティーで挑み、六人とも死んだ。
復活した彼らの頭上から、レベルが五つ削られていた。
この世界では、死んでもリスポーン地点から復活することができる……その代わりに、レベルを削られる。
戦闘のたびに装備の耐久も削られ、貯めた資金は修理で消えた。
「まだだ……! まだ、俺達は……」
二度目に挑んで、また死んだ。
「……おい。待てよ、アリスはどこだ? ヒーラーがいないと――」
三度目の招集に集まったのは三人だった。
「悪ぃ、ボルグ。俺、別のギルドから誘われててさ」
「……は? お前、俺たちで頂点目指すって言ったじゃねえかよ」
「無理だよ。現実見ろって。三回全滅して、装備も金もすっからかんなんだぞ」
「次こそパターンは読める! あと数レベル上げれば――」
「そのレベルを上げるのに、また何ヶ月かけるんだよ! 俺はもう疲れたんだ」
男は吐き捨てるように言い、顔を伏せたまま手を振った。
振り返らなかったのは、ボルグの顔を見たくなかったからだろう。
ほどなくして、ボルグの夢を乗せたギルドは解散となった。
「クソッ! クソが!」
彼の冒険者人生に止めが刺されたのは、その半月後だった。
「……!? な、何だお前ら!?」
「クックック……大人しくしろ。俺達ァ盗賊ギルドだ!」
一人で山道を歩いていたところを、四人組に囲まれた。
全員がボルグより二十は上のレベルで、装備の輪郭が光っていた。
抵抗する暇もなく地面に押し付けられ、彼らは彼を殺さずに何度も削った。
最後に、リーダー格の男がしゃがみ込んで顔を覗いてきた。
「あんた、前に峠で見たわ。三回来て三回死んでたやつだろ」
「……なん、だ、お前……?」
「努力すれば報われるとか思ってんの? バカじゃねえの。この世界はな、強い奴が弱い奴から奪うようにできてんだよ」
男は笑いながら、ボルグの喉に短剣を落とした。
――視界が白く飛び、村の泉のほとりで再構成されたとき、レベルの数字は21になっていた。
積み上げた四年が、二時間で消えたのだ。
(ふざけるな……ふざけるなよ……!)
彼はその場に座り込み、しばらく動かなかった。
誰も声をかけなかった。負けた人間に構う余裕は、この世界の誰にもない。
そして彼は、ひとつのことに気づいてしまった。
(殺した側は経験値を得る。殺された側はレベルを失う。……なら、奪われるより、奪う側に回ればいいんじゃないのか?)
自分より弱い相手なら、絶対に負けない。確実に勝てる。
そうして初心者狩りに手を染め――格下からは経験値があまり入らないという仕様に気づいた後も、彼がそれをやめることはなかった。
他人の絶望をしゃぶる甘い味が、彼をその場所に縛り付けていた。
■
「先行っちゃうよ、アレン!」
「待ってよ、姉ちゃん!」
(……おっと)
昔の嫌な夢から引き上げてくれたのは、二人組の子供の声だった。
少年と、その姉らしき少女。装備は村の支給品、革の靴、布の上着。
少年の腰には鞘に入ったままの短剣がぶら下がっている。抜き方も知らないだろう。
ボルグは干し肉を放り、立ち上がった。
(来たな。俺の、今日の獲物だ)
「どこ行くんだ、おい」
二人が足を止める。少女が咄嗟に弟を背中へ回した。
ボルグは大剣を肩に担ぎ、ゆっくりと街道の真ん中へ出る。
急ぐ必要はない。この距離では、どちらも逃げ切れない。
「隣町に……薬を、取りに行くだけです」
「へえ。薬ねえ」
「通してください。お願いします」
「通す通さないの話はしてねえよ。俺は、どこ行くんだって聞いたの」
少女の膝が震え始めていた。
「お前らみたいなレベル1のひよっこが、ピクニック気分で町に? 舐めてんのか?」
「わ、分かっています。でも、どうしても今日中に……っ」
「だから無理だって言ってんの。親切心で教えてやってんだぜ?」
子どもたちが無力感に唇を結ぶ。
ボルグはそれを見て、腹の底が温かくなるのを感じる。
他人の恐怖と無力感。
この感覚を得るためだけに、彼はこの長いときをここで過ごしていた。
少年が前に出た。
震える手で短剣を引き抜こうとして、鞘ごと持ち上げてしまう。
「姉ちゃんから離れろ……!」
「アレン、駄目っ!」
「おっ、いいね。それ」
ボルグは醜く笑い、大剣を横に振った。
「オラァッ!!」
「――!!」
刃はわざと寝かせてあった。
少年の体は棒切れのように跳ね、街道の脇へ転がり、腕の骨が折れる鈍い音を立てる。
「ぎ……っ、あああぁぁっ!」
それでも死なない程度に彼は正確に力を抜いていた。慣れていた。
「聞け。よく聞け小僧」
ボルグは倒れた少年の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「やめて! お願い、お金なら全部出しますから!」
少女が悲鳴を上げて駆け寄ろうとし、ボルグは足で容赦なくそれを蹴り倒す。
「あぁっ……!」
「金? レベル1の雑魚のハシタ金なんていらねえよ。俺が欲しいのはな……お前らの『絶望』だ」
「……っ、く……」
「お前は最前線には行けない。隣町にも行けない。何者にもなれない。悔しいか? 悔しくても無理なんだよ。
俺が教えてやってんの、これ。無駄なことに人生使うなってよ!」
少年は答えなかった。折れた腕を抱えて、それでも姉の方へ這おうとしている。
(……なんでだ。なんでそこで諦めない。うざってぇな)
その健気さが、ボルグの神経をひどく逆撫でした。
彼は少年の背中を踏みつけ、全体重をかけた。
「がはっ……!」
「言え。俺は何者にもなれませんって」
「…………!!」
「言えよ。言ったら帰してやる。命拾いしてよかったって、泣いて喜べよ!」
少年の唇が動いた。
血反吐を吐きながら、声にならないまま、何かを繰り返している。
「……だ、れが……この、クソ野郎……!」
(馬鹿が。泣き叫べよ、絶望しろよ!)
ボルグの視界の端で、Lv.21の表示が鈍く光っている。
一年間、無数の初心者を刈り続けて、その数字はひとつも動いていない。
彼はそれを見ないようにしながら、大剣を振り上げた。
「あっそ。なら教育だよ。感謝しろ!」
白い光。少年の輪郭が砕け、街道に何も残らなかった。
「アレン……? アレン! 嘘でしょ、フレンドの表示が……ロストしてる……!? あ、あああああああっ!」
姉が這いずって、弟のいた地面を掻きむしり、狂ったように絶叫している。
ボルグはそれを一瞥し、剣を担ぎ直して小屋の日陰へ戻っていった。
(うるせえ女だ。どうせすぐ泉で再会できるだろ)
――だが村の泉に、少年が現れることはなかった。
この世界では、時々そういうことが起こる。
死んだプレイヤーの意識がリスポーンできず、完全なロストとして処理されるバグ――。
二年ほど前から現れたそのバグをボルグはそれを知っていて、いつからか考えるのをやめていた。
(たとえマジで死んだとしても……俺のせいじゃない。弱い奴が悪いんだ)
彼は再び椅子に深く腰掛け、次の獲物を待つために目を閉じた。
久々の依頼人パートです
最近マジで出なかったな!!




